エンジニアが一緒に働きたい人間ってどんなんだ?
黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか。スペシャリストにもなれず、マネージャーにもなりきれぬ、哀れで醜い可愛いわが娘だ。
最近、表題のようなことをよく考えている。エンジニアが一緒に働きたい、と思える非エンジニアは、どんなタイプなんだろうね。まぁエンジニアの細かい定義は置いておくとして。
数年前からわかっていたけど、僕はエンジニア向きじゃない。
もちろん、僕に出来ないことをやってのけるエンジニアはすげーと思うし、尊敬もする。友人にもエンジニアは多いし、はてな界隈で話題のネタを追っていたらイヤでも眼に入る*1。
それでも、僕は彼らと同じフィールドには立てないことが、どうしようもなく自覚できる。どうやら僕自身にエンジニアの適性がないようだし、今までの積み重ねも違う。のめり込めない。基礎の基礎からしっかり学んでいる人に、追いつける気がしない。
追いつくだけの学習コストを払うくらいなら、別のことに時間を投資したいと考える。そう考える僕は、要は思考の有り様からして、向いていないんだろう。
そういう訳で、僕はエンジニアにはなりきれない。
ところが、僕自身がエンジニアになれないとしても、
- 「仕事の範囲を広げ、クオリティを高めるため」
- 「僕自身のやりたいことをやるため」
に、エンジニア的能力*2が必要である。(業界要因もあるのだろうが)仕事をしていく上で、ああ、これはエンジニア的能力があるとずいぶん可能性が広がるな、という場面に日々遭遇する。
そのエンジニア的能力を自分自身の中に蓄えてもいいが、前述の通り、僕が将来蓄積できるであろう(or, 現在できている)能力は、他に比肩しうるレベルでは決してない。哀しいことに。
そう考えた末に「エンジニアが一緒に働きたい人間」になりたい、という志向に辿り着いた。現在の中長期的な目標と見なしても良いかもしれない。
※正確に僕の考えを表すなら「(エンジニアに限らず研究者なども含めた)特定の分野の"スペシャリスト"が一緒に働きたい人間」、となるのだけど。
ところがその方法がよくわからない。さてどうしたものだろう、と30秒で考えて箇条書きしてみると、こんな感じになった。
- 『疎通』
- 技術の言葉が通じること。技術を理解する姿勢を持っていること。知ったかぶりをしないこと。
- 『補完』
- エンジニアには出来ない部分をフォローしてくれること。役割分担をわかっていること。
- 『尊重』
- 使う側使われる側という意識ではなく、対等なパートナーとして付き合えること。
この3点を意識していることは重要だとは思うけど、抽象論しか出てこない。だめだ。というわけで悩んでいる。
リチャード・ドーキンスは『延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子』の中で、遺伝子の表現型効果は生物個体の枠に留まらず、他の個体まで"延長されて"いると論じた(記憶ベースの超要約)。
これと同様に、人間個人という枠を越え、自分の中にある才能であれ、他人の中にある才能であれ、等しく利用可能になれば良いと思う*3。
同様に、僕は僕自身の中にある才能(そんなもんがあればの話だが)を広く利用可能にしたいとも思う。
そうなれば、個人のできることはもっと広がると思うのだが、、どうだろう。
まあ、これまた理想論だ。そのための具体的論は、僕が、エンジニアが一緒に働きたいと思える人間になれた後に、ゆっくり考えていくとしよう。
そもそも今回の記事のきっかけになったのは、
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を読んだことだった。
会社で『Webを支える技術』を読んでいたらid:rindai87に「たぶん今読むなら続編の『24時間365日 サーバ/インフラを支える技術』とか『Web開発者のための 大規模サービス技術入門』の方が面白いぞ。ちゃんとしたWebサービスの運用方法がわかる」と言われて買ってみたものだ。なるほど、確かにこちらの方が面白い。今やってる仕事がWeb屋もどきだからだろう。
特に『Web開発者のための 大規模サービス技術入門』の方は、はてなインターンで行われた講義を元に書かれた本であるらしく、それを読んだときに、そうか、id:syou6162や id:yaottiやid:suztomoはこんな面白く・ハイレベルで・本質的なことをやってたのか。これはもう経験の濃度が違うわ。
と思ったことが、冒頭の疑問に繋がったのであった。