完成されたミームとしてのヱヴァンゲリヲンがふたたび変異を開始する『新劇場版:破』
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!
...と延々ビーストモードで叫びたい。かつてエヴァのせいでいろいろこじらせた人間なので、上映中に何度興奮のため叫びそうになったことか。 ようやく観てきた『ヱヴァ破』ですが、畜生、良すぎた。
しかし見終わってからずっと心の中で絶叫していてさすがにこのままでは人間としてどうなのと思えてきたので、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観て感じたことを日本語で表現するとしよう。そう思ってMacbookに向かった所、奇しくもハックルベリーことid:aurelianoさんもマリ萌えなエントリ を上げられていることを知る。マリかわいいよマリ。氏のエントリで綺麗な『破』の予告ムービーを見つけたので、ここに貼っておこう。
ちなみに今回の記事はネタバレが含まれているので、観ていない人は注意。まぁ映像ありきだからストーリー知っても十二分に楽しめるけどね。事実、僕はちらほらネタバレを観てしまっていたけど、全然問題なかった。
本題の前に少し。
「完成されたミーム」という言葉は、増田の
マイケル・ジャクソンが死んだ日、君がどこにいて、何をしていたか、というのはこれから先ずっと問われ続け、語り続けられるだろう。なぜなら、それが個人と歴史が出会ったということの証し立てだから、ってことだ。この日は決っして忘却されない。
株式会社「はてな」が滅亡するとき
この記事を見てふと思い浮かんだものだ。先月急逝したマイケル・ジャクソンを釣り針として引っ掛かってくる僕の記憶はさほど多くないのだけど、ここで元増田が言わんとすることは理解できた*1。
これ以上、マイケル・ジャクソンについての情報は更新されることは無い。彼の死は"Where were you when MJ died?"という形で指される、共有された「歴史」の一つのポイントを刻んだということと、反対に、MJから受けた影響や思い出...そういった個人的なストーリーが、人の数だけ存在し続けるだろうということ。ぼくらの中で彼が固定された存在へと静かに移行し、概念として語られるようになり、変異しなくなるということ。
そのことを「ミームの完成」と呼びたくなった、ただそれだけの話だ。
完成されていた「エヴァ」を塗り替える「ヱヴァ」
そして、僕にとって「エヴァンゲリオン」という作品およびその引き起こした現象は、TV版と(旧)劇場版で完結していた。「エヴァ」という言葉は、一連のストーリーとそれを受け取った自分の感情、以上で完成されていたミームだった。
ところが、今回の新劇場版『破』において、今まで固定されていた物語が、レールを外れて動き始める。既存のイメージが『破』壊されていく。
「自分のよく知っているものが、姿形はそのままに、中身だけすこしずつズレていく。その違和感を、圧倒的なクオリティとスピードでねじ伏せられていく」...そこに苦しみを感じる 、という人も居るけれど、僕はむしろこのポイントに魅力を感じた。
ウジウジして逃げてばかりで、(旧)劇場版の最後の最後になっても「ぼくには人を傷つけることしか出来ないんだ。だったら何もしない方がいい」などと言っていたシンジが、自ら誰かを助けたいと強く願う。プライドの固まりで孤独に生きていたアスカは、突っ張りつつも自己犠牲的に行動するようになり、最近人と居ることが楽しい、と語る。何も望まず人形のように生きていたレイが、碇親子を仲良くするためにパーティーを企画するという、二次創作小説ばりの展開を見せる。個人的にはレイの変化が一番グッと来た。
そして、新キャラの真希波・マリ・イラストリアス。
「じーんせいはー、わん・つー・ぱんち!」
「へぇ、エヴァに乗るかどうかで悩む人もいるんだ」
ノーテンキに歌を歌いながら戦う彼女は、異分子でありトリックスターでもある。巨乳でメガネで絶対領域という"狙った"外見*2に加え、悲劇的であった旧作を壊す意思そのもののように、無頓着さと明るさを携えて(ハックルベリー氏の言葉を借りれば)"狂言まわし"のような存在感をもって描かれている。たとえば彼女は、シンジを最強の使徒との戦いに駆り立てる役目を担っている。
新しいヱヴァは「正当派熱血アニメ」の匂いがする。一昨日、日本酒をカパカパやりながら、来年からの同僚である"第三の内定者" K氏は『破』をそう評した。匂いの変化に応えるほどの映像のクオリティと物語のスケールが、前面に押し出されている。明らかに、『ヱヴァンゲリヲン』は『エヴァンゲリオン』の世界を塗り替えようとしている。
僕はTV版19話『男の戦い』で一度逃げ出したシンジが戻ってくる場面がとても好きなのだけど、結局その後はどうしようもない、自分よりも大きなものに屈服する物語へと続いて行く。作品全体を覆う絶望感のようなものがそうさせたのだろう。
しかし『破』の終盤において、彼は自分の意志で「大きなもの」を乗り越えようとする。そこにカタルシスを感じた。彼は、ダミープラグやコアの開放といった「自分より大きなもの」に振り回される無力な少年ではなく、物語を動かす力を持った一人の人間として、レイを救出するべく自分の意志で沈黙したヱヴァを再起動させる。
今までの「エヴァ」の概念を壊すこの描写に、僕は劇場で、すげぇ、と呆然とするしかなかった。「もういいの」と自分の命をあきらめるレイを怒鳴りつけ、咆哮を上げながら必死に手を伸ばすシンジを、誰が想像できたろうか。
『破』では全体として、なんというか"明るい"雰囲気をまとっているように思える。映像技術的な部分はよくわからないけど、機体の動きには圧倒されるし、使徒の描写はすべて前作のラミエル並のハイテンションだ。特に振り子時計のような新使徒、落ちてくるサハクイエルの映像は圧巻。
前述のキャラクターの内面的な変化に加え、「式波・アスカ・ラングレー」という新しい名前、「ネブカドネザルの鍵」などという新キーワード、真希波・マリ・イラストリアスという新キャラや練り直した設定によって、ぐるぐるとした答えのない精神汚染アニメでもなく、はしごを外す結末でもない、真っ当なひとつの物語を作ろうとする意思を『破』に見た気がする。
予告の一節「次第に壊れていく碇シンジの物語は、果たしてどこへと続くのか」—その先を見てみたいと思う映画だ。
批判的な評価もあるけれど、僕はこの変化の方向性を歓迎したい。
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『序』のDVDをぽちっと買ってしまった僕を誰が責められようか。『序』を観て「なんだ結局TVの焼き直しじゃん!」と思った人でも、いや、むしろそう思えるぐらい旧作を好きだった人ほど、今回の『破』を楽しめるのではないかと思う。
ただしストーリー展開はかなり速く、使徒で言うとラミエル後からゼルエルまで、話数で言うとだいたいTV版7話から19話まで、一気に飛ばして行く。「元はどうやって展開して行ったのか」を知らないと、少し戸惑うかもしれない。
ま、突っ込みどころも皆無じゃないけどさ。純粋に楽しみましょうや。映画やらアニメってのはそんなもんだろ?*3
変化が終わるものと、変化が始まるもの。
僕は、変化しないはずのものが変化し始めるその瞬間が大好きだ。個人的に、変化に遭遇することは人類に共通する快感じゃないの、と思っている。『からくりサーカス』で、主人公マサルは「進化の反対は、退化ではなく無変化」だと言う。
たとえばよくできた推理小説で、貼られた伏線(それもたいていは伏線とも思わなかったもの)が、ふたたび目の前に立ち昇ってくる時の高揚感。屏風の虎が動き出す時の驚き。著名人に会って人が喜ぶのは、固定され、コンテンツとして存在していた人物が目の前で情報を更新し始めるからだ。
それがどこに向かおうと、僕は変化するものが好きだ。変化がめんどくさくて、現状に甘んじたい気分の日もあるけれど。
変化が終わるものと、変化が始まるもの。それらが混沌と入り混じり、うごめき続いていく世の中は、誇張でもなんでもなくかけがえのないものだと、最近はよく考える。
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