言葉に寛容である時と、定義に沿って議論すべき時を区別する
友達の間で、血液型性格診断の話になって「あの子はB型っぽいねー」とか「えーO型に見えないー」とかワイワイ盛り上がっている所に「いや、科学的には血液型と性格の間に関連性はないんだよ」などと水を差そうものなら「そ、そう...」という冷めた反応が返ってくるだろう(そして大抵、空気を読むことに長けた人がフォローして会話につなげてくれる)。
何の話かって?
- イノベーションはなぜ起きたか(上) 「指さない将棋ファン」がとらえた現代将棋の「もっとすごい」可能性著者インタビュー 梅田望夫氏 JBpress(日本ビジネスプレス)
- 梅田望夫にオープンソースを語るなとガツンと申し上げたい - ひがやすを blog
- 404 Blog Not Found:梅田望夫がオープンソースを語っても残念でない理由
- 海部さんと梅田さんに知って欲しいオープンソースの三つのポイント - ひがやすを blog
- 梅田望夫オープンソース騒動まとめメモ - iYappoList::Writing
先月のことだが*1、梅田望夫さんがネットの協力的コミュニティを指して「オープンソース」という言葉で語ることに対しプログラマな方々が待ったをかけ、なんだかんだと議論されてなんとなく丸く収まるという騒動(?)があった。
一昨日新宿で、僕が個人的に知る中で最もオープンソースの世界にコミットしているid:sotarokと話す機会があったので、この一連の騒動について感想を聞いてみた。すると「こまけぇこたぁいいんだよ」という粋な回答をもらった*2。
斯く言う僕自身も(僕の場合はオープンソース当事者ではないからかもしれないが)些細な問題じゃないの、という感想を持っていた。
オープンソースコミュニティに悪い影響があるのかどうか知らないが、id:dankogai氏の言うように「今更梅田望夫がオープンソースに関して何を言おうが、オープンソースはびくともしない。こういういい方もなんだけど、梅田望夫に貶められるほど、オープンソースはやわじゃない。」と(勝手に)思う。
勘違いした人間が参加してきたとしてもちゃんと淘汰されるだろうし、勘違いに気づいて適応してくれれば、オープンソースコミュニティの参加者がひとり増えてハッピーじゃないですか。
これはたぶん、バイオ屋に対して「企業のDNA」とか「なんとか進化論」とか言うと反発があったり、「どっちつかず」のことを「量子的」なんて言うと物理屋さんが怒るのと同じだ。皆、自分の世界が汚されるのが嫌なんだな。
言葉は変化するものだし、元は特定の分野でしか使われていなかった概念/言葉を、一般的な使い方として拡張することはさほど珍しくない。目くじら立てるより、スルーするか、双方幸せになる道へ誘導すればええんとちゃうの。
その言葉を使う時の「意図」を読み取る
ここまでは記事の枕(抱き枕並に長い枕だ)として。
今回書きたいのは、タイトルにもあるように「言葉の使い方」「どういった意図でその言葉を使っているか」の認識がずれると、悲喜劇が起こるのではないかというつぶやきだ。
「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」の取説とその弱点 - ミームの死骸を待ちながら
この記事には異様な量の反応があったが、興味深い匿名のコメント*3があった。
観察できないことを書いているという自覚はありますか。思い込みだけで書いている限り、それは単なる性格占いです。取扱説明書として保証されていない。
「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」の取説とその弱点 - ミームの死骸を待ちながら
大学院生なら一層科学的な考え方をして下さい。雑文といえども。
あなたは、科学的でなく客観的でもないことを書いて、分析できている錯覚に陥っていませんか。だから脳内とかプロセスとか見栄えのする言葉をつないでいるけど、何を言っているか全く分からない。
「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」の取説とその弱点 - ミームの死骸を待ちながら
この人にはなんどか繰り返しコメントをいただいた(たぶん。匿名なのでその保証は無い。同一人物を装った他人の可能性もある)のだが、これは非常におもしろい反応だった。
「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間の神経細胞は、発火パターンに特徴があり...」とか言い出すと似非科学になるだろうけど*4、別に科学的な話はしていないし、分析をしたつもりもない。 この落ちこぼれ大学院生をつかまえて院生は常に科学的たるべきもないだろう(言ってて悲しくなってきた)。
記事のカテゴリがいつものように「戯言」であるし、Mishoに昨日コメントで指摘された通りブログのタイトル『ミームの死骸』自体がナンセンスだ。極論劇場ほどではないものの、このブログにおいて僕は思考や日常を一面的に切り取り、それを読み物としてまとめている。読んだ人が何かを「発見」したりそういう見方もあるのかと気づいたりすれば嬉しいし、書き手側としても、フィードバックによって何らかの気付きを得て必要ならば軌道修正する、それが最上の関係だ。
情報の伝達に発生した齟齬は、ブログやってると嫌というほど出会う。嘘を嘘と(ry
結局この「きわめて短時間(ry」の記事に関しては、id:sotarokのブコメおよびTwitterのつぶやきが、最も適切に真実を見抜いていたと思う。さすがにしょっちゅう飲んでると、性格が把握されるのか。今日そーたろーよく登場するな。
言葉を真正面から捉える人というのは、思った以上に多い。言葉のドッチボールをしたいなら、それはそれでいいだろう。じゃあ俺外野ね。内野が死んでも戻らないルールで*5。
ただ難しいのは、他人がどういった意図で言葉を使っているか見抜くのは容易ではないという事実だ。
理解して言ってるのか、理解した振りをしているだけなのか、たまたま理解しているように見えているだけなのか。相手の土台を理解しているかどうか、相手に理解されているかどうかを判定するのは容易ではない。「中国語の部屋」みたいな話になってしまう。
言葉に寛容である時と、定義に沿って議論すべき時を区別する
他人に求めるのは難しいから、だからせめて自分の中では「言葉に寛容である時」と「定義に沿って議論すべき時」を区別したいと思っている。
科学的な議論を行おうとするなら、もちろん定義に正確に、定量的な言葉を使う必要がある。法律は言葉に正確でなければ成り立たない世界だろうし、社会に出て、何らかの仕事で定量的なアウトプットが求められているときに、戯言とあいまいな言葉でごまかすのは卑怯だし賢くすらない。
しかしそういった文脈から開放された世界*6において、基本的に言葉に寛容でありたい。
新しい言葉を考えだすよりも、既存の言葉とのアナロジーを使った方が効率的であるし、おもしろいじゃないか*7。その言葉の使い方に悪い影響があるならば、その時はその時でまた考えよう。
僕は話下手なくせに人と合うのが(とくにここ一年は)好きで、呼ばれるとホイホイ出て行くし呼ばれなくても話したければ誘い出す。近い所だと、リクルートメディアテクノロジーラボの佐俣さんや、株式会社リートの秋好社長とお話する機会があったり、id:mishoとハンバーガーを食らいながら話したり。自分のコミュニティから外れた世界に首を突っ込みまくるのがアイデンティティだ。どんなだ。
で、いろいろな人と話していると、「人間ってのはこれほどまで、人それぞれ、好き勝手な言葉の使い方をするものか」と感心する。良い意味で。そして、話していて面白い人というのは概して、オリジナルの、普通とは少し違う形で言葉を使っているように感じられるのだ。そんな時にいちいち野暮な突っ込みするよりも、相手の言わんとすることを理解しようとする方が、ずっと建設的だし楽しいじゃないか。
何が言いたいかって?まぁ要するに、
/) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!! / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
*1:指摘自体は梅田さんが登場した頃から繰り返しされてきたらしいが僕が認識したのは先月が初めて
*2:sotarokの感想を直に聞いてみたくて、この記事を書く律速になっていました。というのは半分真。
*3:匿名のコメントには反応を返さないか、返すにしても適当にあしらうことが少なくないのだが、この時も適当に返しておいた。名前を書く人にはちゃんと返すようにしている
*4:そういえば脳科学の茂木さんはアウト?セーフ?
*5:書いてて思ったけど増田とか匿名コメント、ブコメの投げっぱなしはドッチボールの外野だよな
*6:僕に取ってネット上は、定義された言葉から開放された世界だ。だからあまりブログで議論をしたくない