ミームの死骸を待ちながら

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators. We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators. - Richard Dawkins "Selfish Gene"

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators.
We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators.
- Richard Dawkins "Selfish Gene"

KGC柴田さんの意見を受け、以前の"若者投資信託"の仕組みについて思考したが...


就職先が決定しました。そう送ったメールに反応してくれたKGC理事長の柴田さんが先月末たまたま東京に来ており、ちょいとお茶など、ということでお話ししてきた。代表の柴田さんとは昨年京都で開催された博士ネットワークMTGで知り合い*1、そこで聞いた話が「僕の考えていることと近い!」と思って勝手に慕い、ボストンでしばらく行動を共にしたり、進路相談に乗ってもらうなどお世話になってきた。

この日会ったとき、少し前に書いていた


金融サービス業は"若者投資信託"を生み出す程度には進化すべき - ミームの死骸を待ちながら


この記事を読んでくれたようで、"若者投資信託"および人に投資することについて、いろいろとアドバイスを頂いた。

僕はそもそも"若者投資信託"を思いついたきっかけは、本を買いすぎてクレジットカードが止まりかけて「出世払いで本代出してくれる人いねーかなー」と思ったことだったりするわけで、そこから人間の能力を伸ばす際に多少なりとも資本主義の力を借りた方が効率よく回るはず&金融という概念はもっと拡張されてしかるべき、と考えてアイディアベースでこの記事を書いたのだが、まさかそれに対して具体的なツッコミを受けようとは。
目鱗の情報の数々に感銘を受けつつ引き出しの多さに驚くと、

僕も数年前に同じことを考えたことがあるから

という答えが返ってきた。


KGCのモデルと"若者投資信託"の共通点


KGC (Knowledge Gathering and Communication)は、研究者とスポンサーのマッチング、異分野研究の融合などを媒介するNPO法人。研究のみならずビジネス的な領域にも手を広げているので、アバウトに"世の中の触媒"と呼んでしまっても良いかもしれない。

The KGC helps researchers or companies that fight to create "Future Common Wisdom". We provide them an opportunity where they can interact and collaborate with researchers from various fields and sponsors.


なかなか公的な補助金の出にくい研究であっても、マッチングがうまくいけば、ニーズのあるところにお金を配分することが出来る。このモデルにおいては、研究のおもしろさ以上に「この研究者ならやってくれる」という個人の人間関係が重要になってくる*2。したがって、僕がこのエントリで書いた"人に投資する"という概念にかなり近いのだ。



"人への投資"を実現させる中で、僕が書いたような投資を募るモデルを数年前に考えたことがあったらしい。しかしうまく行かず、今は完全な寄付制...つまり、リターン度外視で気に入った相手に資金援助するというモデルで回している。
僕が抽象的に書いたシステムを、実現させようと踏み込んでいた先輩の経験という形で具体化することが出来た。なかなかレアな経験が出来たのではないかと思っている。


"人材投資信託"的なモデルで、何が問題だったのか?


KGCが断念した"人材投資信託"的なモデルで、何が問題だったのか?柴田さんから聞いた話を総合して、自分なりにまとめてみた。大きく分けると以下の二つ。

基本的人権という"障害"


完全に盲点だったのだが、人間を契約で縛ろうとすると、憲法規定される「基本的人権」に抵触するのだそうだ。
日本では特に強いけど、基本的にはどの国でも事情は同じであるらしい。


通常の投資信託は、投資家から集めた資金を、特定のルールに基づいて金融商品に投資し、リターンを投資家に分配する。ここで、金融商品の代わりに人に投資するとしよう。ある人に資金を提供する、そこまではいい。しかし、人間を契約によって完全に縛ることはできない。

借金をしまくっても最終的に自己破産すればチャラになるという仕組みもそうだ。これもまた、基本的人権を守るための最後の手段として存在する。

こんな本もあったし。図解 借りたカネは返すな!―目からウロコの合法的“借金”帳消し術 銀行にカネは返すな!―会計士・税理士では手に負えない会社を再生するテクニック


以前Youtubeで動画をupして自己プロデュースし、投資を募っていた女の子が居たらしい*3が、彼女も会社を作りそこを投資先としていた。このように、悪く言えば"逃げ道"があるので、法人格ではない個人に対して契約を100%守らせることは原理的に出来ない。"逃げ道"がある人間を投資対象とするとボラティリティが大きくなる。したがってリスクも高くなり、適性投資額は超少額...たぶん1000円とか2000円のレベルとなる。とてもまともな投資先とはならない
やはり「全て失っても良い気持ちで出資する」という、寄付モデルに落ち着いてしまうのだ。


定量化の難しさ


もう一点の問題として、リターンの定量化の問題がある。

定量化の難しい人材投資と定量以外の何者でもない普通の投資信託の中間に位置するのが、コメント欄id:leolioが教えてくれた音楽ファンドで、これはとても良い例になる。

音楽の場合は、完璧ではないもののCDが何枚売れてライブチケットが何枚出て...というように成果の定量化が出来る*4。一方、面接の評価シートみたいな感じで特徴を集計して前例と比較したりWebでの話題性を計量したりと、投資対象のアーティストをパラメータ化することも可能。
このように、収益性と投資対象パラメータとの対応付けが可能なので、ある程度リターンの予測が出来、投資ビジネスとして成り立つのだそうだ。


僕は前エントリで、"若者投資信託"はフレームワークがなく自由に投資対象と内容を設定できる、という風に想定したが、これだととても投資対象として安定しない。うーん。定量化しやすい所から個別に決めてやるしかないのだろうか。
もっと包括的に新しい概念を作って変えられないかと考えていたのだが。


もし可能性があるとすれば、どこかで"価値"を定量化してやり、パッケージとして扱いやすいようにしてやる必要がある。モーゲージの場合は格付けが一人歩きしてダメになってしまったけど、ちょうどMBSのような感じで。
20年前に小口証券化の仕組みを作り出したマッキンゼーや、あるいはジャンクボンドの仕組みを作ったマイケル・ミルケンは長期的な結果はともかくイノベーションを起こしたと言って良く、このようにパラダイム転換を起こして今まで経済から切り離されていた対象を市場に組み込むことは可能だと思う。



道は閉ざされてはいないと思うが、僕の思考力では今画期的な策を提案することは出来ない。別の人なら抜け穴を見つけられるのかも知れないが、法律が絡んでくると僕としてはお手上げ。何か良い案が無いものか?

*1:それ以前に赤の女王のid:sivadさんから話を聞いてはいた

*2:と勝手に思っているだけ

*3:少し探してみたが見つけられなかった。

*4:上記の音楽ファンドだと、1口1万円、リターンはCDの売り上げに応じて分配というわかりやすいモデルを採用しているようだ