ミームの死骸を待ちながら

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators. We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators. - Richard Dawkins "Selfish Gene"

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators.
We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators.
- Richard Dawkins "Selfish Gene"

ハックルベリーに会いに行く、の巻(kawangoさんも来たよ!)

メールをよこしなさい、id:y_arimは。あとid:Hashも。

ハックルベリーに会いに行く


すすすすいませんでしたあというわけではてなアルファブロガーの一人であるハックルベリーこと岩崎さんに連絡を取り、会社にお邪魔してお話して来た*1。そして「直感的にこれは行くしかないと思った」と語るid:iNutこといぬたんも同席。

(駅にて)
iNut「今日は無理に混ぜてもらったから、ちゃんとほら」
Hash「ん?何それ」
iNut「大学芋。ハックルさんイモのお菓子が好きって言ってたから」
Hash「で、デキる子や...!」


会社にお邪魔するのだから手土産くらい持って行っていいものだろうが考えが及ばなかった。オフ会気分すぎた。そして気楽に臨んでいざ相対すると萎縮する自分&果敢に議論を挑むいぬたん。その晩は彼の家に泊めてもらったりと、いろいろ助かった。


kawangoさんも来たよ!


話し始めて1時間ほど経った頃、突如id:kawangoさんが現れ、4人で近所のイタリアンにてお食事。id:kawangoさんは5月上旬に突如現れて何度もはてなの話題をさらってきた方であるが、

わたしはkawango。ネットのみに存在して、ネットの宇宙をさすらう旅人

(続)コンテンツプラットホームとしてのiPhoneの設計が間違っている件 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記


ということで、彼/彼女の正体にはみなさん興味のある所でしょうが、覆面をかぶって登場したため僕もkawangoさんが何者かわかりませんでした。
ハックルさんが id:kawangoさんは悩みがあるならぼくに相談しに来るといいんじゃないか? と呼びかけたのは把握していたが、まさか会えるとは思っていなかった。これはハックルさんの計画したサプライズだったらしい。感謝です。

そしてkawangoさんは今回の会食について はてブというコミュニティの設計について という視点で記事をupしています。そう来ましたか。


さて僕はどう書いたものか


まあそんな感じでお話して来たものの、"ここだけの話"が多かったりでどう書くべきか非常に悩んでいた。「ガツン」の舞台裏、エンターテイメント、はてブ、ブログ、ビジネスと経営、言葉について...etc。

僕はそもそもハックルさんはブログイメージとは違った人であろうと予想した上で、あんなブログを書く人はどんな人だろう、どんなことを考えて書いているのだろう、と興味があった。実際に会ってみて、「ブログとは違う」ことは予想通りだったものの、ある意味でブログから推測した通りだった。奥歯にものの挟まったような書き方で申し訳ないが、ふたつほど言えるのは、ハックルさんはプロかつ無敵であるということと、kawangoさんが異次元、ということか。

個人的には思考のネタとなる話も多く、未だ自分の意見をまとめきれているとは言えないが、ここはHashのブログであるし、僕は僕の興味のあることを絡めつついつものように書くとする。


実名でブログを書くということ


まず僕が聞きたかったことは、実名でブログを書くことに対してどう考えているかという点だ。これはもちろん先月ハックルさんが実名を公開した 流れを受けてのこと。加えて、僕もここ数ヶ月でただのid:Hashから脱却すべく顔写真と名前をさらし、内定先を公開し、所属を明かしてハチロク世代のインタビューを受けるなどして、リアルとネットの相乗効果を模索するという試み、流行りの言葉で言うと"人体実験"を行って来たため、他人事とは思えなかったのだ。
僕の二倍近い人生経験のある岩崎さんがネットとリアルの境目をどのように見ているのか、という点も知りたかった。


ハックルさんの答えは"今回の記事"でも書かれているが、端的に言うと、「言葉に力を持たせるため」ということだ。匿名のid:aurelianoではなく、岩崎氏個人としてブログで発信していきたいのだと。

そのためには今までと違う読者層を取り込む必要があろうし、今までとは異なる立ち回り*2が必要とされるのだろうと思う。
この考えには非常に共感できるけれど、僕がひとつ心配しているのは、今まで積み重ねて来た「ハックルベリーに会いに行く」には、実名公開ブログと両立しない(あるいは共存し難い)要素*3があるように思われるのだ。もっともこれは「僕ならヤバい」というだけで、岩崎さんの実力ならやってのけそうな気もする。


環境を共有する人がブログを読む、ということ


少し余談的になるが、ただ実名を公開することと、環境を共有する人がブログを読んでいるということは別の意味を持つのではないかと僕は考えている。リスクの意味と度合いが違う。前者は「知らない人がネットの情報とリアルの自分を結びつけることが出来る」という所に意味があるが、
後者は、"環境を共有する"人、すなわち、家族・恋人・クラスメイト・先生・同僚・上司・部下など、様々な意味で近しい人がネットでの行動をも見ることが出来る、という点に特徴がある。ネットのアレコレが、積み上げて来たコミュニケーションに加算あるいは減算される。基本的にWeb上に公開した情報というのは取り返しが付かない*4し、これが怖い。
リアルの人間関係に加え、ネットでの行動にも責任を持つ、二重の重みを背負うことになるのだ。


ブログというアリーナでどう立ち回るか。


それで、僕の最も興味のあった「どんな人が書いているのか」という疑問は大方解消されたというか、腑に落ちた感じがある。そこを理解した上で、個人的にハックルさんのスタンスからは学ぶ所がたくさんあった。たとえば

このブログを書き始めた時に、ぼくは自分が道化師になる覚悟を決めました。道化師になって、アリーナに立つ覚悟を決めたのです。そうでないと、もうこれ以上は生きてはいけないと思ったからです。ぼくは道化師になって、客席に向かって自分をディスクローズする必要があったし、観客にコミットメントしていく必要があった。さらにはバカになって踊る必要があった。ぼくにはアリーナで踊る必要があったのです。

ハックルベリーに会いに行く


こういった考え方だ。ハックルさんはブログをアリーナと表現し、その中心で道化を演じるつもりで、しかし真面目に、文章を読者へと投げかけてきた。こういったスタンスは僕とはある意味正反対で、それ故にあの文章の書き手に惹かれたのだろう。実際に対面した岩崎さんはやはり僕の持たないものをたくさん持っており、魅力的だった。岩崎さんから見て僕がどう見えたかは正直わからない。


一方の僕のブログの使い方は、ネットのフィードバックを利用して、考え方や書き方を軌道修正して行きたい*5と考えてきた。(基本的には)自分のナマの考えを開示して、それに対するはてブやコメント欄でのフィードバックを正面から食らう。そして凹む。んでもって立ち直り、最初と比べるとほんの少し進歩している。そういったツールとしてブログを捉えて来た。
たまにただの荒らしとしか思えない書き込みもあるが、最近ようやくスルー力なるものの片鱗を身につけ始めて、はてブならそのユーザーを即座に非表示にするし、コメントなら無反応で削除する*6ようになった。


しかし最近は、この方針には限界があるなと感じていた。まず一つ、言葉というものは非常に限定的な思考を伝えることしか出来ず、かつ文章は会話と異なり修正が利かない。そして二つ目、所詮ネットはネットでしかなく、リアルに置き換わるものではない(少なくとも僕の生きているうちはそうだろう)。

この諦念が決定的なものとなったのは 「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」の取説とその弱点 - ミームの死骸を待ちながら という記事にたくさんの反応を頂きつつも、形容しがたい違和感を感じた体験だった。近しい人や個別に質問してくれた人には伝えたが、僕自身、この記事は僕の意図とはかなり異なった受け取り方をされたと感じている*7。10日間更新が無かったのはそのためだ。筆が進まない進まない。ピッチャービビってるー!ヘ(ry


そんな問題意識を持っていた僕の心理に、ハックルさんのブログとの付き合い方はとても新鮮に思えた。ハックルさんのように道化師として立ち回ることは出来ずとも、僕は、もう少し別の立場でブログを扱うべきだろうと気づかされた。ネガコメ対策に罵倒を釘宮ボイスで再生するとかね。冗談ですよ。


あと20年生きれば二人のようになるか?


僕の受けた印象では、ハックルさんは人間や言葉に対しての洞察が深く、kawangoさんの経営・マーケティング・ビジネス話は、感覚的であるように思えてその実確固たる哲学*8に基づいているように思えた。これを僕は人生経験から来るものだと思い、あと20年生きれば僕にもそれなりの核が備わるのだろうかなどとぼんやり思った。
しかし、その晩iNut家でワインを飲みながら意見を交わしていて、彼が自身の哲学に基づいて二人の言葉を適宜フィルタリングして聞いていたことを知り、これは年齢の問題ではないという当たり前のことに気づいた。


僕は人の話を聞く時、一つ一つの情報をフィルタリングするのではなく、聞いたことをそのまま受け入れて、まず相手の論理というか思考の背景を自分の中で再現しようと試みる。それまではひたすら聞くのみだ。
ある程度咀嚼・再現できてから「ああ、この人はこういう考えで発言しているのかな」と判断し、自分の意見を述べる。誰に教えられたでもない、これが僕の自然なコミュニケーション方法だ*9。故に僕が人とそれなりの関係を築くには比較的時間がかかるように思われる。

また、相手のことを理解していないうちに「どう思う?」と聞かれると、いや、どう思うか判断する前にあなたがどう思っているかまだ把握しきれていないのですよ、と思ってしまう。


先ほどのブログフィードバックの話にも繋がるのだけど、結局他人からのフィードバックが楽しみであるということは、思考に柔軟性があるという強みの反面、核がないという致命的な弱みをも示している気がしてならない。
...ハックルさんにも「自省的」と言われたけど、こうやって暴露するからまた的確な指摘を受けて凹むんだよな。というかレポですらないし、もうやめるか。最近不調だ。


不完全燃焼。どうも書ききった感がしないのでまた内容をスピンアウトして書こう。kawangoさんの話とか面白かったし。そのときには、自重しない感を取り戻せていることを他人事のように願う。


*1:会いに行くというか「会って来た」が正しいね

*2:その一環が今回の呼びかけだったり、はてな「ガツン」事件(?)だったりするのだろうけど

*3:定期的にネガコメを付けるアンチがいたり、特定のユーザーをdisったり、コンテンツ力で大量のブクマを獲得していたり

*4:魚拓とか、Googleのキャッシュに残ったりとか。事実、最近[http://kousyoublog.jp/?eid=2291:title=こんな記事]が話題になったけど、即座に当該記事が[http://b.hatena.ne.jp/entry/http://ameblo.jp/miraizblog/entry-10250941904.html:title=発掘され]ていた。

*5:これはブログのaboutページで第一目的として掲げている

*6:コメントが多くなればなるほど、どうしても匿名のコメントは相対的に軽く扱ってしまうので、可能な限り個人を特定できる名前で書き込んでほしいです、と脱線してお願いしてみる

*7:説明記事を追加で上げる気は今の所ない。

*8:あるいはそれは、体当たりで経験を積む中から自然と生まれてきた哲学なのかも知れないが

*9:就活で求められるコミュニケーションはこの方法とは別物であったため、意識的に就活用プロセスを走らせたりしてたけど、それはまた別の話。