魅力的な文章を書く人がいる。
ブログを情報の提供者という観点から見たとき、その人気とコンテンツのクオリティが比例しないという事実はいささかやるせない気分を引き起こしはするものの、逆に、自分だけがあのクオリティの高い情報提供者を知っている、という優越感の源ともなるように思う。
僕にもその優越感の源、つまりプロのブロガーというわけではないにしても、魅力的なコンテンツを提供してくれるお気に入りのブロガーというものが存在する。
長文を好んで書くからかどうかは知らないが、僕が読んでいて「これはすごい」と感服させられるブログ記事は大抵の場合長文だ。今回、身近な人*1の中から物書きとして見た場合に個人的に好きなブロガーを取り上げ、しかるのち文章を書くことについて考えたいと思う。
- handmade yellow のid:iNutと、
- As a Futurist… のid:riywoさんだ。
僕は彼らの文章なら金を払ってもいいと思ってる*2。文章には個人の好みが多分に入るということを了承した上で、肩肘張らずに読んでいただければありがたい。
iNut, 真ん中の中の真ん中
サッカーと料理を愛し、"痛んぶらーの真ん中"としてYahoo!ニュースで全国にそのイケメンっぷりを晒したことで一躍有名人となった彼の本業は菌をかもすお仕事。本格的に書かれた長文は多くはないが、読んでいると幸せな気分になるような文章を書く。
以前僕が 生物オタが非オタの彼女に分子生物学の世界を軽く紹介するのための10タンパク - ミームの死骸を待ちながら を書いたときに「iNutの菌オタエントリはまだですか」と言った無茶振りに応じて 菌オタが非オタの彼女に農学世界を軽く紹介するのための10菌 - handmade yellow を書いてくれた、ノリのよいバイオ仲間である。
僕自身、彼の文章の魅力に再現性があることに気付いたのは最近なのだが、語りかけるような、独白のような、その独特のリズムには読み手を惹きつけてやまない何かがある。その名フレーズの一部を紹介する。
皆さんは日本という国をご存知だろうか。
世界の東の果てにある、小さな小さな島国。食、言葉、建築、生活様式といった文化、そしてその歴史においても他国とは全く違うその国には、勤勉に働き、慎ましく生きることを良しとする、日本人が住んでいる。四季にあふれた気候と、山と海に囲まれた土地で育まれた独特の美意識、価値観を持った彼らは、しかし西洋の大国と並ぶほどの経済力で世界にその名を広く知られている。俺はそんな国の、ほんの少しだけ特殊な環境で育った。
鎖国しようぜ、鎖国! - handmade yellow
しかし飯を喰わねば腹は減る。これは従属栄養生物の宿命であり、
お金なくったっていいさー!と言うだけじゃ生きていけないのです。
しかしお金が無いからと言って安くて不味いインスタントジャンクフードを
食うのはイヤだ。じゃあどうするか。
かのマリー・アントワネットは言いました。
「パンがないなら焼けばいいのに」
長靴で行こう。 - handmade yellow
規則正しい生活と栄養バランスのとれた食事、適度な運動とストレスを溜めないポジティブシンキング。それに筋トレをすれば、美しいお肌と夏でも堂々とビーチに出られるナイスバディを安く手に入れられるのは納得してもらえそうなものだ。それを知ってか知らずか、今日も彼女達はハーブを混ぜ過ぎてむしろ異臭のする「無添加」という名のクリームを肌に塗り付け、ケーキ屋のウインドウを恨めしそうに睨むのだ。こう書いてると乙女心なんて全く理解不能だな。アリの方がまだ何を考えているか分かる気がする。おい、そっちに行くと蟻地獄があるぞ!
untitled description - handmade yellow
センスを感じさせる言葉の選び方もさることながら、このテンポがいい。段落の切れ目切れ目で、なんともいえない余韻を残してくれる。感性が豊かじゃないと書けない文章だと思う。
Twitterから垣間見える彼の日常は非常なリア充であり、ネガティブ思考をどこかに置き忘れたのかと思うくらいポジティブかつセンスのあるPOSTをする。いったい彼は何を読んで育ってきたのか興味がある。
卒論提出が終わり、これからはガンガン書いてくれるそうなので、首を長くして更新を待つとしよう。
riywo, 最初の印象は「お前は俺か」
個人的に riywoさんのプロフィール がかなり共感できて好きだ(絶望感を乗り越えた先の未来志向とか)。物書きとして見た場合、エントリ全体を読むことでその知性が分かると思う。とくに僕が好きなものは、
- 「日本語が亡びるとき」から得られる議論のプラットフォーム - As a Futurist...
- 少し前に話題になった日本語が亡びるとき―英語の世紀の中でを、「当たり前」を掘り起こした議論の土台として評価している
- ビジョナリーカンパニー2がすごい件 - As a Futurist...
- 僕は昔ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則を借りて読んでたが、このエントリを読んで改めて購入した。
- ネットやコンピュータを体の一部とする人に限って本をたくさん読んでいる - As a Futurist...
- メディアのありかた。活字離れは本当か?ネットと書籍は排他的か?
書評を含むエントリでは、書籍の内容をいったん噛み砕いてから独自の言葉で表現しているのがわかる。考察の切り口や視点が鋭く、また新しい。僕の勉強不足を差し引いても、かなり非凡だと思う。
さらにそのアイディアを乗せるフォーマットたる"文章構成"が非常によく練られて*3おり、小論文を読むように、主張がすっと頭に入ってくる*4。接続詞の使い方もうまい。
riywoさんの文章をいろいろ読んでいると、"構造構成主義"というフレーズが随所に見られることに気付く。empiricalに対するab initioのようなものだろうか?彼の文章構成力の秘密はここにあるのだろうか?気になる。
リラックスしたいときにエッセイとして読みたいiNutの文章とは対照的に、問題意識を掘り起こされ、思考が戦闘モードに突入して僕も何か書きたくなるような文章だ。
ところでお前はどうなのさ
翻って僕の書いた文章を見ると、隣の芝生効果を差し引いたとしても、余計な修飾語が多く無理にリズムを揃えようとしており、中身のない散文を撒き散らしている感が否めない。
構成という観点から見ると僕の文章は"イベント"から始まることが多く、無理にでも自分自身の等身大の問題に落とし込み*5、最終的には何らかの立場表明や決意で占める。独白の形を取ることが多く少々偉そうであり、それでいて直感的印象に尤もらしく肉付けしたような、深いようで実は浅い考えも少なくない。
これは僕がブログに持たせている役割に沿ったもので、その役割とはProfileページに
- ブログの目的
- 第一に、意見をアウトプットすることで思考を客観視し、論理や知識、文章スタイルを向上・軌道修正する。
とあるように、書くことによって問題を深く考える機会を持ち、自分の現時点での考えを晒して保存する、というものだ。
ただその日あった出来事を連ねるブログはmixi日記と大差なく、ググって分かる情報/知識の劣化版を掲載するブログはただの検索ノイズに他ならない。
意見にしろコードにしろ、ブログに書く記事にはその人独自の色*6が出ていないともったいない、というのが僕の考えだ。
もちろん他人に読まれ、符号の正負にかかわらず評価とフィードバックがもらえるという立場は非常に恵まれたものであるとは思うが、外からどう見られるかは二の次である。少なくともそう言えるようになりたいと思いながら、これを書いている。
個人ブログというメディアにおいて真に重要なものは自分自身を中心としたInputとOutputで、積み上げてきた数々のミームの残骸は僕が書きたいから書いているだけであり、それ以上でもそれ以下でもないのだから。