外銀各社の特徴とか雰囲気について淡々とまとめるよ
そろそろシューカツ情報を出していきましょうかね。
だいたい選考がクライマックスに突入しているであろう外銀について、僕の印象を列挙してみる。説明会が印象的だった企業は説明会の雰囲気を書いた。選考とかについても書こうか迷ったが、まぁ気になる人は個別に聞いて下さい。受けてないのもあるけど。なお正確な情報ではなく僕の印象に過ぎないので、2ch程度に流し読みして下さい。
あともう一つ、次の機会に、比較的有名なITなベンチャー企業についても似たようなまとめをやりたいと思ってる。なんでこの二つの業界かというと、比較的選考が早いからもう情報は出そろってるし、僕も50%くらいはこのあたりの企業受けたから、です。
では外資金融についてまとめていく。部門別選考なので、基本IT部門しか受けてない。今思うと、バリバリ情報系学生の中に飛び込むのはすごい不利だった気がするけども。
ゴールドマン・サックス Goldman Sachs
マッチョな雰囲気。
アルファ投資銀行。投資銀行業務(IB)だけでなく全般的に強い。
社員さんからエリートオーラ出てたし、選考の学生もムキムキしてた。
モルガン・スタンレー Morgan Stanlay
優等生な雰囲気。かと思いきやプライド高い社員さんも多く*1、選考時には「おまえらにチャンスやってんだからありがたく思え」と言う意味のことを言われたとか言われなかったとか。
IT部門に限って言えば、結構まったりしたいい人が多かった。
J.P.モルガン J.P. Morgan
大手の貫禄、といった雰囲気。
社員さんはおっとり。
アルファ商業銀行で、デリバティブも得意だとか。説明会では、JPMがいかに今回の金融危機で損失を被っていないかを示す図を見せられた。
(この図自体は---------- From The Earth ----------: Visualizationからもらってきた)
バークレイズ・キャピタル Barclays Capital
ゴージャス・エリートな雰囲気。
絶対、説明会で豪勢な食事が出たからだな*2。ハメられておりますね。
優秀エリート、それでいて謙遜な雰囲気の人が多い印象で、社員さん好感度は1,2を争う。
UBS Union Bank of Switzerland
まったりと優秀な雰囲気。
株に強く、日本の株式取引の9割はUBSが扱っている
結構投資銀行業務もいい線。スイス系なのでアセットマネジメントに強いとか強くないとか。
クレディ・スイス Credit Suisse
プライド高そうな雰囲気。
アルゴリズム・トレーディングに強いあたりに興味を持った。選考の段取りが悪い。
メリルリンチ Merrill Lynch
今ひとつ目立たない印象。
激務で有名、らしい。
本など
あと、金融関連の勉強に使った本をリストアップする。
保田さんの二冊
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- 作者: 保田隆明
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この二冊は入門的におすすめ。
堅めの業界本
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図解入門業界研究 最新証券業界の動向とカラクリがよーくわかる本 (How‐nual Industry Trend Guide Book)
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証券〈2009年度版〉 (最新データで読む産業と会社研究シリーズ)
- 作者: 齋藤裕
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時事話題をやわらかく解説
- 作者: 北村慶
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読みやすくていい。
ストーリー仕立て、欧米風味
- 作者: マイケル・ルイス
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ジャンクボンド帝国の栄枯盛衰。現在の業界にあてはめてみるとおもしろい
サルになれなかった僕たち―なぜ外資系金融機関は高給取りなのか
- 作者: ジョンロルフ,ピータートゥルーブ,John Rolfe,Peter Troob,三川基好
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良くも悪くもアメリカンな小説。投資銀行の狂乱具合がよくわかる。
いじょ。
譲れない基準を持ってさえいれば、どこに内定しようと問題ではない
充実した日常を送っている。
誰かに「今何やってんの?」と聞かれてそれに一言で答えるとしたら「就職活動」という答えになる。一番時間をつぎ込んでいるし、一番の関心事であり、最優先事項に位置付けている。
この就職活動というものはそもそも不規則なもので、今日は朝からセミナーに行ったかと思えば明日は夜遅くに説明会があり、休日にはグループ面接が入りと、そろそろ毎日予定が目白押し。周囲も就活モ−ドになって、研究室の同期とGoogle Calで予定を共有したりしてる。
3月まで研究報告がないので、ゼミの日に予定入れることを極力避けて、あとは就活に尽力すればいい。ようやく時代が僕に追いついてきたようだ(違
自分なりに時間と思考リソースを割いて将来や仕事について考えてそして実践経験が溜まってきた結果、題目のような境地に達した気がするので、この"ウィトゲンシュタイン状態"を今のうちに残しておく*1。
忙しいが、僕自身は就活と就活に伴う進歩を楽しんでいる。
めまぐるしくいろんな人に出会い、いろんな刺激を受け、極めて短期間のうちに思考と志向が変化する。一週間前のことが一ヶ月前に感じられ、泡のように浮かんだ新しい概念が、昔からの信念であるかのように精神に定着する。昨日の自分の意見が幼く浅いものに感じられ、明日は今日の自分がそのように見えているのだろうと思う。つまりこれは進歩しているのだろう。
例えばコミュニケーション能力。
集団面接やグループディスカッションに行くと、ものっそいスラスラと質問に答え、的確な合いの手をいれ、いとも容易く*2面接官や他のメンバーと親密な空気を作り出してしまう人がいる。
そりゃ、僕が社員でも、そんな人と一緒に働きたいと思う。スキルとか知識は二の次で、後輩として入ったら教えたくもなる。
僕はその辺の"コミュニケーション"は苦手なのだが、場数を踏むことで、多少マシになっている、気がする。最も僕に足りないコミュニケーション能力が鍛えられるのは、個別面接(PI)であることが分かってきた。
面接は本音を出さないと。
最近気付いたことには、面接はブログに似ている*3。
自分の考えを吐き出して評価され軌道修正する場であり、disられる(圧迫される)ことで少しずつ耐性が着き、効果的な表現(態度、話し方、タイミング)を少しずつ学ぶことができる。
就活に特化した学習、という面で言うと、どんな質問をされるのかとか、このネタを話したらここに食いつかれるのか、ということを学べる。
そして、これらを学ぶためには、マニュアル面接しても時間の無駄であるようだ。ぶっちゃけないといけない。そして「正しく」ぶっちゃけるためには、一度はマニュアル面接をやって、痛い目を見て、もどかしい思いをして、自分なりの伝え方というものをなんとなくつかまないといけない。
ウィトゲンシュタインの梯子を上り切り、ひとまわりして戻ってきた感じかもしれない。
私を理解する人は、私の命題を通り抜け―その上に立ち―それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気付く。そのようにして私の諸命題は解明を行なう。(いわば、梯子をのぼりきったものは梯子を投げ捨てねばならない。)
私の諸命題を葬り去ること。そのとき世界を正しく見るだろう。
論理哲学論考 (岩波文庫), p.149
仮に最終的に「型」に意味がないとしても、しかしその事実は、「型」を学ばなくてもよいという結論を導かない。一度は型にはまって、その中からの眺めを確かめる必要がある。
たぶんこの気付きは、就活に限らず、哲学でも科学でも武道でも、広い範囲の物事にあてはまるのだと思う。
そして「型」を試すには集団面接はあまりにも「発言 => 反応」が通常のコミュニケーションとはかけ離れすぎている。だから早めに個人面接を経験できる外資 or ベンチャーを受けるなり、インターンに申し込むなり、面接対策ができる就活塾を利用するなりしてやれば、僕のように対面コミュニケーションに不安のある人は効率的に就活対策(見せ方、外面的な部分)ができる気がする。
しかしコレは、どうやら元々コミュニケ−ションのうまい人は自然にやってることみたいだ。なんともうらやましい。
内定先は「絶対」ではないような気がしてきた
その気になれば周囲のあらゆるものから学ぶことができ、したがってどこに就職するかはさほど問題ではない。自己分析し、企業研究してたどり着く境地は、そこにあるのではないかと思う。最低限の基準さえもっていれば、受けるべき企業も絞れてくる。最低限の基準を持つためには、実際に選考プロセスに乗る必要がある。
「自分が就職すべき企業群」というものを五社くらい決めておけば、あとはどこに内定しようが問題ではない。決定的な一社というものはなく、"縁"で決めてもいいだろうと思う。
流されるでもなく焦燥感に駆られるでもなく就活を楽しめる様になった時点で、僕はもう就活の結果に不安を感じてはいない。
後は気楽に、楽しんで行こう。
シンクタンクでのインターンから学んだ、部下の激励と情報処理のスタンス
昨年12月後半の二週間、とあるシンクタンクで金融っぽい内容のインターンをしてきた。ここでも少し言及している。学びを箇条書きにしてここに晒しておき、僕個人としてはこの経験をさらに深堀りしておこうと思う。
コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された
タイトル通りなわけだが。先日、とあるコンサルの個人面接で珍しい質問をされた。
「じゃあ、最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」
思いつかず焦った僕は、最近まとめた去年の読書冊数を伝えた。質問に答えた瞬間社員さんの反応が「微妙」であることを悟り、しかるのち軽薄な自分を恥じた。
全然すごくねーよアホ。
コンサルティング、とりわけ戦略コンサルティングという仕事はインプット量が半端ない。なにしろ経験のない事業について、その事業の専門家にアドバイスせねばならないのだから、生半可な情報インプットではまともに会話すらできない。
具体的にその社員さんが何冊くらい読むのかは聞けなかったが、というか恥ずかしくてそれ以降ろくな受け答えが出来なかった*1のだが、明らかに僕は、勝負を仕掛けるフィ−ルドを間違えたのだろう。反省することしきりである。
それぞれのインプット・スタイル
僕程度の読書家はごろごろいる。上を見るときりがないが、たとえば有名どころで言うと、
勝間和代さんなどは一ヶ月で50-100冊は読むというから、僕の一年の知識インプット量は勝間さんの一ヶ月に等しい。
また、立花隆氏はひとつのテーマについて本を書くとき、500冊の本に眼を通すという。
明治維新後の日本海軍の基礎をほとんど一人で作り上げた秋山真之も、乱読家であった。幼少のころから「要点集中」の思考法を身につけていた秋山は、"気ちがいじみた"量の本を読み、そのなかから要点だけを記憶し、自分の血肉と化した。読んだ本は捨て、蔵書をほとんど持たなかった。
「それが戦争屋よ。海戦をするのに本をみながらはできまい」
「憶えておくのか」
「数行だぜ。その事柄、つまりあし (私) の場合は海軍作戦だが、それに関心さえ強烈ならたれでも自然とおぼえられる。ただ、名文句にぶつかることがある。これは本の内容とはべつに、書き抜いておく。もっとも書き抜きの手帳を紛失することがあって参考にはならんが、まあ憶えちゃいる」
坂の上の雲〈2〉 (文春文庫), p.306
これに、著者である司馬遼太郎は「新鮮な方法とはいえないが、文章のリズムを体に容れるには案外いい方法かもしれない」とコメントをつけている。
自分の中でその本を読む目的、あるいはあらゆるものに対する「ものの見方」すなわち個人的な関心ごとを強く意識していれば、おのずと必要な箇所のみが心に残る。超多読家に共通するこの能力*2は、フォトリーディングの「アファメーションaffirmation」に近いものがある。
結果的に処理できる情報量がふえることになるのだろう。
しかし
ここで考えたいのは
「読む」
ということばの定義だ。
間違いなく、ひとそれぞれ異なる知的行為を「読む」と称している。本の読み方というのは知識インプットの基礎をなすもので、さまざまな人の読書スタイルとライフスタイルを見比べてみると面白い。
知的生活の方法 (講談社現代新書 436)の著者である渡部昇一氏は、逆に、たいへんな精読家だ。幼少のころから気に入った本を何度も何度も繰りかえし読み、"自分の古典"を作った。
あなたの古典がないならば、あなたがいくら本を広く、多く読んでも私は読書家とは考えたくない。
知的生活の方法 (講談社現代新書 436), p.67
とまで言っている。
文体の質とか、文章に現れたものの背後にある理念のようなものを感じ取れるようになるには、どうしても再読・三読・四読・五読・六読しなければならないと思う。何かを「感じ取る」ためには反復によるセンスの練磨しかないらしいのである。
知的生活の方法 (講談社現代新書 436), p.59
あきらかに渡部氏は「読む」ということばを、知識のインプットではなく、文章そのものを味わう、行間を読む、心にしみこませる...そういった意図で使っている。三色ボールペンの斉藤氏もこれに近い。
まとめてみよう。
「多読家の読み方」と「精読家の読み方」は同じ「読む」という名で呼ばれており、ともすれば、二種類の「読む」という行為が混ざってしまう。そこに、同じ土俵で語れない難しさが生まれてしまう。
結局は、その人が読書に何を求めているか、という話になる。「知識か知恵か」と言ってしまうと暴論かな。「テキストブックとテキスト」でもいいかもしれない。
勝間さんも、彼女自身の座右の書である史上最強の人生戦略マニュアル や スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫 に、なにもフォトリーディングで一回読んだだけで惚れ込んでいるわけではあるまい。繰り返し読み、"古典"としているはずだ。
どちらが正しくどちらが間違い、というわけではない。ただ、区別して考えないと、知的生活は破綻するように思う。
自身の読書を省みて
さて僕はどうなのか。74冊とか調子に乗ってるが、乱読家を自称するわりに通常読書速度は所詮2000-3000文字/分という「ちょっと速い」程度で、かといって繰り返し読むわけでもない。
もちろん利己的な遺伝子 <増補新装版> や 7つの習慣―成功には原則があった!といった座右の書は半年に一回くらいのペースでここ五年くらい繰り返し繰り返し読んでいるが、普通の本、つまりAmazonや書店で買って知識を仕入れる用途の本のうち大多数は、線を引いて読んで、満足してしまうのである。
すなわち志向としては多読家、スタイルとしてはやや精読家。
しかし量は多くなく、精読の極め度合いも大したことがない。
つまり中途半端なのである。これはまずい。
どうすべきか。
志向が多読・速読なのだから、スタイルもそれにあわせるよう矯正すべきだ。
いまこの矯正を阻害している要因はただ一つ。
(出展: 要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51)*3
「捨てる勇気」がない。
"収集心"が第一位であるぼくの性格は(参考: 僕の脳回路はこのように繋がっている: 『さあ、才能に目覚めよう』ストレングス・ファインダーの結果と読後感 - ミームの死骸を待ちながら)、情報の可能性を無視することを許してくれず、本をフォトリーディングしてそれに「読んだ」というタグをつける行為は、まるで上質な料理をたべかけのままゴミ袋に落とし込んでいるような錯覚を覚える。「おのこししたらゆるしまへんで」である。
秋山真之がそうであったように、無意識的に、またより効果的なことには意識的に、自分なりの"認識の窓"を設定してさえいれば、何を見ても重要なものごとが瞬時にわかる。
それは必然的に取りこぼしを許す読書となるが、自分にとって大事なものを、広範な情報群のなかからすばやくスキャンすることを可能とする読書でもある。
「捨てないと拾えない」
これを念頭において、過剰な情報をスルー、スキャン、あるいはディッピングするような情報処理スタイルを確立しないと、僕は自分の性格と志向の狭間で限界に達してしまいそうな気がしている。
シューカツが気持ち悪いのは要するに進化ゲーム理論。
404 Blog Not Found:「タダで働きます!」? 30年または$300万早いわ雑魚
糞学生はザマー。こんな人材はいらない。|web2.0 (^O^)v
不動産不況は誰でも知っていて、そのリスクを承知で、
「ぜひ!御社にします!」
と言って内定をもらったはず。※しかも6社ももらっていて・・・・
学生のために企業があるのではない。
不動産業界が「好き」だから面接したのではないのか?好きだから、情熱を持って就職活動をしたのではないのか?
将来性があると思ったから、他の業界の内定を否定したのではないのか?
だから当然、その業界が好きなら、
タダで働きます!
と言えばよいだけ。
給与をもらうため「だけ」に働きに行っているのではないのだから、本末転倒だ。
実力があり誠意があれば、絶対に企業は給与を出す。
※少し遅れるかもしれませんが
糞学生はザマー。こんな人材はいらない。|web2.0 (^O^)v
一面的な屁理屈だ。
業界不人気=学生層が薄いことは誰でも知っていて、そのリスクを承知で、「あなたを採ります!」と言って内定を出したはず。※しかも多めに採っていて・・・
だから当然、その学生がほしいなら、「厳しいけど給与上乗せします!」といえばよいだけ。帳尻あわせのため「だけ」に学生を採っているのではないのだから、本末転倒だ。企業に実力があり誠意があれば、絶対に学生は腹をくくって入社してくる。
※少し倒産するかも知れませんが
いくらでも屁理屈返しができる。あまりうまい屁理屈じゃないな。元ブログの中の人には適わん。
僕が思うに、
企業側が内定蹴って他所に行く学生を見送るしかないのと同様に、
学生側にも内定取り消しをぐだぐだ言う権利はない。
内定は法的には始期付解約権留保付労働契約というらしく*2、雇用側の「内定取り消し権利」がセットになっている。すなわち、
内定≠入社確定
である以上、学生は内定を辞退できるし、企業は内定を取り消しできる。
そもそも内定って何。
三年(修士一年、博士二年)で就活、内定後一年して入社。常識となっているこの流れだが、一昔前は就活開始時期は4年の夏ごろだったらしい。現代となっては、この時期に開始しては少々残念な結果になるであろうと予測される。
このゆがみはどこから来たのか?
僕は、進化ゲームと同じだと思う。
何らかのフィルタリングを行おうとすれば、淘汰される側は、ただ「フィルターを通過すること」に特化した進化を遂げる。
学生側・企業側の規模の拡大と、過剰な効率化は、生物の性淘汰、あるいは軍拡競争に見られる「相手がやめないからやめられないよ><」という進化ゲームにたとえられる。企業同士、大学同士、学生同士でどんどん相手を出し抜こうと進化し、孔雀の羽、チーターとガゼル、カッコウとオオヨシキリのように、傍から見ると茶番にしか見えない闘争に興じることになる。
起業は「もっと早く」優秀な学生を囲い込もうとするし、大学も「もっと
進化ゲームに関して言えば「シューカツ≒受験」であると認識している。二ヶ月ほど前、「意識の高い(笑)」学生のための就活勉強会というものに参加し、その雰囲気から都会の予備校を思い出した。田舎の公立高校*3に通っていた僕は、高三の冬、大手予備校の直前対策冬期講習を受けに初上京した。*4そのときにそっくりで、気持ち悪かった。あの教室は、「受験に合格する」という前提を空気として保有していた。
「働きたいです」「どうぞどうぞ!」
そもそも採用の流れで一番シンプルなのは、柔軟なベンチャーに見られる形で、人材重視のその場採用、ではないか。個別に能力/人格を知っていたり、知らなくても密な付き合いを繰り返すことで、人ベースの採用決定を行なう。そして就業は即座に開始することが可能。
しかし会社の規模が大きくなると、個別に探して入社、というプロセスでは間に合わなくなるし、採る人数が多いならもっと広い学生を見てみたい、となる。そこで大学にアプローチ・ある程度の結託を行なう。規模の拡大に伴う効率化、システム化だ。優秀な学生を早期に確保しようとシューカツの早期化が進み、大学側は「就職実績」と「学問の軽視」の板ばさみに苦しみ、リ○ルートはがっぽり儲ける。
最近経団連が警告を出したので製薬企業などは「実質的な採用活動(笑)」を遅らせているけど、でもやっぱり外資は自重しない。もうマッキンゼーやボスコンは内定が出ているし、外銀も夏のインターンで有望とにらんだ学生にはこっそりアプローチして内定を出している、らしい。僕?聞くな。
また、効率化を推し進めた結果の一つが学歴主義で、美人しか相手にしないイケメンのごとく高学歴しか採用活動を行なわないS級企業に顕著。他の条件が同じなら、「偏差値が高い」大学の方が優秀な学生がいる可能性が高い、という原則。「他の条件」を見るヒマがないのだ。
社会に適合して優秀さ*5を発揮する人材は不況でもガンガン内定する。例えば僕が先月MITで出合ったある博士は「今年は採用しない」と言うある有名企業に履歴書を送り、人事と小一時間話すだけで「ぜひ我が社に」と言わしめた。
不況だからこそ、コストを抑えて優秀な人材「だけ」をピンポイントで取りたいのが本音だろう。
大学エリート様とは、ここまで精神が壊れているのかと思う。
糞学生はザマー。こんな人材はいらない。|web2.0 (^O^)v
面接の時は口先だけ。
バレバレがわかるのが情けない。
企業側も口先だけなもんだから、お互い地雷を踏まないようにコミュニケーションするのが大変なんですよ。イタいところを出さないように「魅力的な企業」「優秀な学生」を演じるのですよ。茶番を演じるのが上手な学生が多くて、いつも選考の際には劣等感と気持ち悪さを感じてますよ。
人事とは本来、経営の根幹にかかわるものである。新卒採用とは、会社の未来をつくる人材を獲得する行為である。
就活のバカヤロー (光文社新書), p.191
ところで僕はいつまで茶番やればいいの?
*1:『就活のバカヤロー』は以前立ち読みしたけど、このエントリ書きたくなって購入した。
*2:いまググッた
*4:そこで出合った鈴木という英語講師は軍隊のように授業を自分色に染めないと気に入らない人間であるらしく、彼の授業に初参加であった僕は知らず知らずのうちに「規律」 -- すなわち紙の辞書をかならず持参して授業前には机に置いておかねばならない、質問されたら「受験英語用語」で回答しなければならない、鈴木が生徒の一人を馬鹿にして笑いをとったときは一緒に笑わなければならない、など -- を破ってしまった。授業文化に沿わない振る舞いをした僕は決定的に嫌われたらしく「こんな人は何年浪人しても受からないんですよねー」「じゃあこの問題をそこの変な人...わかんないの?ほんとだめだね」などと吊るし上げられ苦痛の120分を過ごしその夜東京砂漠のホテルで泣いた。なので僕は都会の予備校というものに良い印象を抱いていない。という勝手な話
理系修士が就活を経験すべきだと思う理由
blanc_et_noirの上記のエントリを契機に。iNutやsyou6162やMishoも話していた気がするし、ということで、書いてみた。僕の立場は以下の通り。
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- 研究するだけでは視点が狭くなる恐れ
- 最悪なのは中途半端
- 経験不可逆性理論