譲れない基準を持ってさえいれば、どこに内定しようと問題ではない
充実した日常を送っている。
誰かに「今何やってんの?」と聞かれてそれに一言で答えるとしたら「就職活動」という答えになる。一番時間をつぎ込んでいるし、一番の関心事であり、最優先事項に位置付けている。
この就職活動というものはそもそも不規則なもので、今日は朝からセミナーに行ったかと思えば明日は夜遅くに説明会があり、休日にはグループ面接が入りと、そろそろ毎日予定が目白押し。周囲も就活モ−ドになって、研究室の同期とGoogle Calで予定を共有したりしてる。
3月まで研究報告がないので、ゼミの日に予定入れることを極力避けて、あとは就活に尽力すればいい。ようやく時代が僕に追いついてきたようだ(違
自分なりに時間と思考リソースを割いて将来や仕事について考えてそして実践経験が溜まってきた結果、題目のような境地に達した気がするので、この"ウィトゲンシュタイン状態"を今のうちに残しておく*1。
忙しいが、僕自身は就活と就活に伴う進歩を楽しんでいる。
めまぐるしくいろんな人に出会い、いろんな刺激を受け、極めて短期間のうちに思考と志向が変化する。一週間前のことが一ヶ月前に感じられ、泡のように浮かんだ新しい概念が、昔からの信念であるかのように精神に定着する。昨日の自分の意見が幼く浅いものに感じられ、明日は今日の自分がそのように見えているのだろうと思う。つまりこれは進歩しているのだろう。
例えばコミュニケーション能力。
集団面接やグループディスカッションに行くと、ものっそいスラスラと質問に答え、的確な合いの手をいれ、いとも容易く*2面接官や他のメンバーと親密な空気を作り出してしまう人がいる。
そりゃ、僕が社員でも、そんな人と一緒に働きたいと思う。スキルとか知識は二の次で、後輩として入ったら教えたくもなる。
僕はその辺の"コミュニケーション"は苦手なのだが、場数を踏むことで、多少マシになっている、気がする。最も僕に足りないコミュニケーション能力が鍛えられるのは、個別面接(PI)であることが分かってきた。
面接は本音を出さないと。
最近気付いたことには、面接はブログに似ている*3。
自分の考えを吐き出して評価され軌道修正する場であり、disられる(圧迫される)ことで少しずつ耐性が着き、効果的な表現(態度、話し方、タイミング)を少しずつ学ぶことができる。
就活に特化した学習、という面で言うと、どんな質問をされるのかとか、このネタを話したらここに食いつかれるのか、ということを学べる。
そして、これらを学ぶためには、マニュアル面接しても時間の無駄であるようだ。ぶっちゃけないといけない。そして「正しく」ぶっちゃけるためには、一度はマニュアル面接をやって、痛い目を見て、もどかしい思いをして、自分なりの伝え方というものをなんとなくつかまないといけない。
ウィトゲンシュタインの梯子を上り切り、ひとまわりして戻ってきた感じかもしれない。
私を理解する人は、私の命題を通り抜け―その上に立ち―それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気付く。そのようにして私の諸命題は解明を行なう。(いわば、梯子をのぼりきったものは梯子を投げ捨てねばならない。)
私の諸命題を葬り去ること。そのとき世界を正しく見るだろう。
論理哲学論考 (岩波文庫), p.149
仮に最終的に「型」に意味がないとしても、しかしその事実は、「型」を学ばなくてもよいという結論を導かない。一度は型にはまって、その中からの眺めを確かめる必要がある。
たぶんこの気付きは、就活に限らず、哲学でも科学でも武道でも、広い範囲の物事にあてはまるのだと思う。
そして「型」を試すには集団面接はあまりにも「発言 => 反応」が通常のコミュニケーションとはかけ離れすぎている。だから早めに個人面接を経験できる外資 or ベンチャーを受けるなり、インターンに申し込むなり、面接対策ができる就活塾を利用するなりしてやれば、僕のように対面コミュニケーションに不安のある人は効率的に就活対策(見せ方、外面的な部分)ができる気がする。
しかしコレは、どうやら元々コミュニケ−ションのうまい人は自然にやってることみたいだ。なんともうらやましい。
内定先は「絶対」ではないような気がしてきた
その気になれば周囲のあらゆるものから学ぶことができ、したがってどこに就職するかはさほど問題ではない。自己分析し、企業研究してたどり着く境地は、そこにあるのではないかと思う。最低限の基準さえもっていれば、受けるべき企業も絞れてくる。最低限の基準を持つためには、実際に選考プロセスに乗る必要がある。
「自分が就職すべき企業群」というものを五社くらい決めておけば、あとはどこに内定しようが問題ではない。決定的な一社というものはなく、"縁"で決めてもいいだろうと思う。
流されるでもなく焦燥感に駆られるでもなく就活を楽しめる様になった時点で、僕はもう就活の結果に不安を感じてはいない。
後は気楽に、楽しんで行こう。