理系修士が就活を経験すべきだと思う理由
blanc_et_noirの上記のエントリを契機に。iNutやsyou6162やMishoも話していた気がするし、ということで、書いてみた。僕の立場は以下の通り。
- 研究するだけでは視点が狭くなる恐れ
- 最悪なのは中途半端
- 経験不可逆性理論
もちろん今の時期は基本的には採用活動がようやく開始、という企業がほとんどだと思う。僕は(せっかちなので)夏あたりからインターンに申し込んだり早くから採用をやっている外資系にエントリーシートを送り、ポコポコ落とされて涙目になっているところだったりする。
だから、一般的な「シューカツ」の話をするのはまだ早い、加えて僕は就活優等生では決してない、ということをアタマに置いて、しかも棚上でこれを書いてる。
1.研究するだけでは視点が狭くなる恐れ
就活してみて一番よかったなあと思ったのは、研究室にこもっていては決して会えない人に会えたり、就職を意識しなければ決して聞けない話を聞けたり、研究のことを考えているだけでは使わない脳の回路を使ったりするところ。
要するに、経験のバリエーションが増えること。
僕はProfileで"ディレッタントを自称する興味拡散系"と書いているくらいなので、接する知識や視点の幅に価値を置いている。異質な価値観にどれだけ触れているか、その幅がそのまま柔軟性や創造性*1に繋がると信じている。
だから、この機会を逃すわけには行かないのです。
社会人が学生の目線まで降りてきて「私たちは何をやってるのか」親切に教えてくれる機会なんて、これを逃したらもう無いんとちゃうかな。
学会でいろんな人と会えると言っても、結構共通用語は多いはず。その点就活してると、「タンパク質って肉だよね?」という方々に研究テーマを説明する機会にも恵まれる*2。
井の中の蛙にならないためにも、分野外の人と会話する能力は、大事。「自分の研究は一般から見るとその程度かorzと客観視もできる。
就職しない(=博士に行き、研究者としての道を歩む)としても、この経験は役にたつはずだと思っている。ひとつの分野にずーっと浸ってきて「私はこの分野では負けないけどこれしか知りません」という研究者よりも、客観的に自分の研究分野を見ることができる研究者の方が、魅力的だ。
お偉い人に科研費申請するときも、うまくやるのじゃなかろうか?
2.最悪なのは中途半端
みんなで一斉に自分探し始めてみたり,そんなに興味無くても沢山の企業に取り合えずエントリーシート送ったり,大学院入って落ち着いて研究する間もなく就活して,就活終わってから何とかやっつけで修士論文出して卒業,とかね.
|ω・)ノ <黒猫の気まぐれ日記
中途半端な就活は時間対効果が最悪になる選択肢で、時間の無駄。
「みんなやってるから」「どうせどこにも引っかからなくてもドクター行くし、一応」と中途半端に就活して時間を無駄にするくらいなら、最初から推薦を使うか、一切やらずにドクターに突き進むべき。
ちなみに、僕は研究室/学科の推薦制度はアリだと思っていて、
「理系は研究に最大の時間を投資しなければならない。その代わり就職する際はある程度レールが用意されている」
という暗黙の前提があって、そういう制度なのだ、と割り切ったほうがいいように思う。
理系を選択し大学院に進むということは、そのレールに乗りますと宣言したことに等しい。だから文系と同じだけの時間を投資して就職活動を行うこと、暗黙の前提に反しているともいえる。上の反発も当然。
4月に大学院入って,1年生の間はまずは単位の確保.夏休みはインターンシップ.この時期に既に就活が始まってると言えばその通りだと思う.
秋までには自己分析・業界研究終わって早いところは選考が始まってくる.少なくとも翌年のGWの頃までは就活やってるのかなぁ・・・
で,研究は?
大学院って何するところなんでしょうね.本当に.
|ω・)ノ <黒猫の気まぐれ日記
もちろん、大学院は研究したい人が行く場所だ。
そして、本来その覚悟がある人のみが行くべき場所だと思う。
なお、今必死こいて就活してる僕に関してのみ自虐すれば、学部三年の時点で自分の適性を見極められず、憧れ・イメージだけで研究者を志し、周囲に流されて進学した、自覚の足りない馬鹿だった*3。
3.経験不可逆性理論
僕は、いつかやれることよりも、今しかできないことに価値を置くべきだと思っている。同様に、できることが狭まる選択肢は、他の条件が同じなら、選択しないことが賢明だと思っている。就職先の選択においても同様で、僕がいきなりベンチャーに行かず大企業に行くつもりであるのも、
- ベンチャー => 大企業(とくに異業種)
は、かなり難しい一方、
- 大企業 =>ベンチャー、 あるいは
- 大企業 =>大企業
の転職が比較的容易であると思われるからだ。もちろん転職するかどうかわからないし、長いこと務められる企業を選べればそれに越したことは無いけど、大事なのは、可能性を狭めないことだと考える。
これを経験不可逆性理論などと呼んでみたくなる中二脳。
上にも書いたけど、社会人が「お客様*4」として僕らを扱ってくれるのである。飛びぬけた実績を持たないただの学生が唯一ちやほやされる「新卒」というゴールデンタイム*5であると同時に、公的にモラトリアムる最後の機会でもある。これは不可逆な、今しか出来ないことであるため、これをする。
きみたちにとって今という時期は、自分自身に向き合い、自分について深く、徹底的に考え、自分の本音を探る、人生でまたとないチャンスなのだ。このタイミングを逃すと、なかなか自分と向き合う時間はとれなくなる。何より、そんなことを考えなくても毎日毎日は過ぎていく。一見すると平穏無事に。
(『絶対内定2009 エントリーシート』 p.457)
そう、自己分析(笑)というやつですね。
(笑)つけて馬鹿にする人をちょくちょく見るのだけど、たぶん自分自身の方向性に自信があるのか、もしくはこの響きが嫌なのか*6。
ともかく、僕はこいつは侮れないと思ってる。
自分の適性と過去の選択、今見える視野の広さに自信がある人は嫌味抜きでうらやましいし、そんな人はあちこち見て回らずに、我が道を行ってほしいと思う。
しかし少なくとも僕の場合は、自分の適性と将来を今この場の経験と視野と知識で決め打ちできるほどのギャンブラーじゃないし、そこまでアタマよくないし、将来の自分を信じられないから、分析するのである。
分析すると何か見つかるのか?
確固たる物は何も見つからないと思う、が、それでいいとも思う。
「好きを仕事に」とは言うが、そもそも、そんな確固たる「自立した主体」などというものは存在しない。
「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
「ほんとうの自分」がどこかにあるはずだと、「自分探し」を続ける若者がよくいるが、多くの場合、自分なんかいくら探したって見つかりゃしないのである。
こういうことだ。
うすうす感づいていたのだけど、僕に一貫性など無い。人間ってそんなもんじゃないか、と22歳は愚考する。
けど、企業の専攻においては、多種多様な人格の一側面を切り出してそれを確固たる一貫した個性として見せねばならない。そのためには、自分の中にいかなる企業向けの側面が埋もれているのか(己を知る)、そもそもどの企業がどの側面を求めているのか(敵を知る)、それを把握せねばならない。
見せ方の問題ほかにも、拡散してばかりでは何も自分の中に残らない、という現実的問題もある。
もちろん、だからと言って、全く選択と集中をしないでそのときの気分だけで生きていたら、
「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
毒にもあたらないけど得られる報酬が少なくなりすぎる。
だから、この果実を食べること自体は必要悪だ。
なので、あとは、いかにこの果実の毒抜きをして上手に料理して食べるかがカギとなる。
知識労働者の時代がまだ終わらないとすれば、どこかでこの果実を食べなければならない。そのために自己分析、業界/企業研究をやるわけである。研究室選択で失敗した僕は、特に神経質になってしまうのかもしれない。Only the Paranoid Surviveである。
暗中模索の果てに、何か見つけたような気になる。それはたぶん外的要因の影響を多分に受けた思い込みなのだろうけど、その思い込みが大事なのではないか。
自分の本当にやりたいことはこれだ!と断言できる人はいないし、断言しても数年後もそのままとは限らない。ましてやこのご時勢、今あるものが10年後、いや5年後も継続しているかどうかわからない。そういったものだと割り切って、
「今までの経験と現時点の情報を総合すると、最良の選択肢はまぁこのへんだ」
と思い込んでしまって、相手の求めるものに応じて自分の見せ方を変える。あとは状況に応じて、合気道のように最小限の力で環境を受け流し、制御する。それが一番疲れない、賢い生き方ではなかろうか。
*1:天が下に新しきものなし。
*2:別に馬鹿にしてるわけじゃなくて。僕も日本史専攻の人の研究テーマ聞いて頭がハテナだったし
*3:その意味で、理系の8割が進学するこの環境下において、学部三年の時点で自分の進むべき道を把握して行動を起こしたクラスタは、本当にすごいと思っている。
*4:この表現は間違っているかもしれないが
*5:新入生のときだけあちこちのサークルで熱烈な歓迎を受けていい気になって、優しくしてくれた美人の先輩にあこがれて入部して、後から彼氏がいることを知るような、ってあれ何を書いてんだ
*6:別にストレングス・ファインダーでも、戦略的人生計画でも、ガキューでも、好きなように呼べばよいのだけど