仕事上の達成感を得る至上の妙薬、自由意志。
弊社では四半期に一度、MBO (Management Buyout...ではなくManagement by Objective) の名の下に、上司との面談及び業務上の目標策定を行う機会が設けられる。いつのまにやら入社して3ヶ月が経過し(もう3ヶ月かよ!)(こんだけ濃くてまだ3ヶ月かよ!)、第二回目の面談が行われた。
そこで僕の訴えた問題(?)というか最近の懸念事項は
「やる気をもてあます!(意訳)」
というものであった(これはひどい)。
...有り体にいれば、張り合いがなかった。やる気はあるのだけど、それを振り向ける先を一時的に見失っていた(現在助走中のプロジェクトが本格化すると気持ちよく炎上できて氏ねそうな気配なんだけど、インターバル期間のようなところにいる)。前回の「壁」 はとりあえず乗り越え、Mezzanine(中二階)(中二病ではない)のような部分にいるのかもしれない。...という意図。
不足で満たされているという事実は頭では認識していても、密度の濃い状態に慣れた身体と心は、さらなる充実を渇望する。
欠乏を感じた時には二つの道がある。
- 密度が薄まった仕事の代わりに、労力を別のものごとに振り向ける
- 仕事範囲を拡張し、薄まった空間に新たな仕事を詰め込む
僕が選択したのは後者であった。真空を嫌うように仕事を探した。
わずか数ヶ月の会社働き経験から、僕は「責任」を持たないとロクに仕事しねぇことが明らかとなったので、できるだけ自分に責任が降りかかる形で仕事を引き受けるように振る舞った。
目前の選択肢に真先に飛びついて、あるいは関係のないプロジェクトに自分から志願して、また、「やる気をもてあまして」いるという、色々と甘い僕の訴えに応える様なタイミングで、噛み応えのある社内PJを上司から与えられ、僕が手伝うことと相成った(ありがとうございます)。
そして僕の手の中にはおもしろい仕事のタネがいくつか乗っかっている状態となり、斯くして「やる気をもてあます」状態は、わずか1,2週間の悩みとして終焉を迎えることとなった。
あとは、実践だ。これを僕はどう料理していくことになるのか、結構、楽しみにしている。
※ただし実践に伴う「性格上の不都合というかある種の不得手」も、実は今の時点で見えている。脅威が実現してはいないものの、そのうち実体化するであろうことが予測される。僕の次なる壁となるか、もしくは回避可能なウィークポイントという立ち位置に落ち着くのかは分からないが。
どんな仕事でもおもしろみを見いだせる!...とは言わないが(言わないのかよ)、おそらく僕が集めたプチ・プロジェクト*1たちから学べるであろうスキル/知識は、僕のこの先に繋がるであろうことが予測できる。先に繋がるという価値観は僕にとってホントウに意味のあるものだ。
もちろん、僕の関わり方次第、真剣度次第ではあるけど。
※既に、"新サーバーへのLinuxインストール及びセットアップ、ネットワークの設定"という仕事が (だいたい) 片付いた。「ネットワークは要するに決まり事とテキストファイルのコラボレーションであり、大したこと無いもんだ」と気付いた*2ことも収穫だし、OSガンガン入れたり消したりソフトウェアRAID設定したり、というあたりの実地経験がちょっと積めたことも大きい。実は"仮想化"の設定をもう少し突っ込んで調べたかった*3んだけど、流石に横道に逸れすぎだし、ということでここは"おあずけ"にしている*4。
先述のMBOにおいてもうひとつ、「張り合い」を得るために、日々の仕事から小さな達成感を見つけ出そう、という課題も持ち上がっていた。
そこで僕は自分自身の仕事ぶりとそれに対する心の反応("張り合い"とは結局のところ精神状態だ)をよく観察してみたところ、ひとつの要素が浮かび上がった。僕が「張り合いがある」と感じ、達成感を得ることが出来るのは次の様な場面である。
僕は、あまりプロジェクトが終了したその瞬間には達成感を感じない(開発プロジェクトの最後ってイマイチ締まらないなぁ、という印象を持っている)。
それよりもむしろ、お客さんもしくは協力会社 -- つまり元来「仲間という前提」のない人 -- と、何かの面で(それは仕事上の話でもいいし、ちょっと踏み込んだ個人的な話でもいい)「同じ方向を向いている」と確信出来る出来事や経験、そういったものに達成感を感じる。
コンテクストは電話だったり、打合せだったり、メールだったりするが、とにかく「あー俺たち一緒に仕事してるぜ!感」といいますか、「相手は自分を人間として見てくれていて、人間としての自分が何がしかの役に立てているという確信」とでも言えましょうか。兎にも角にもそのような感覚が己の達成感を醸成している自分自身を発見したのであります。
知識が増えるのはおもしろいし、楽しいし、嬉しい。それでも僕は、ただ知識が増えるだけではやる気を励起できない。これは自分にとっても新発見だった。
僕は僕自身を知識大好き人間だとおもっていたし、確かに今でも変わらず好きだけど、
自分自身が仕事という文脈上に組み込まれ、いくばくかの価値/プラスの影響を提供できているのだなという確信が持てた瞬間も、同様に幸福感/達成感を感じるのだ。
この小さな発見を僕が僕自身の哲学上に組み込むことを試みるとすれば、
ひとが達成感を感じる源泉はすなわち、自分が"意志ある存在として認められた"ということであり、自分自身の自由意志がそこに含まれるか否か、という1ポイントに集約される。
人は誰でも「労働力」「頭数」「人的資源」としてではなく、人間として価値を認めてもらいたいと考えている。組織内での地位にかかわらず尊敬されたいし、個性や持ち味を評価して欲しいのである。
(ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する, p.237)
「自由意志」に基づいた評価を求める会社人は、ただの単純作業であろうとも、可能な限り「俺はここにいる」という事実を知らしめようとする。
この種の仕事のやり方は、純粋な仕事の達成能力がない時期においてはリスクになりうるものの、仕事の「達成感」とそれに繋がる次の「やる気」をもたらす、汎用的な指標(ただし定性的)なのではないかと、今の僕は考えている。
人間意識はアイデア共有のために作られた。これはつまり、人間のユーザーインターフェイスは生物学的にも文化的にも進化で作られたと言うことだ。それは信念や計画を伝え合い、記録を比べるという行動上のイノベーションへの対応として生じたものだ。これは多くの脳を心に変え、そしてこの相互連結が初めて可能にした著者性の分散は、その他自然に対する人間のすさまじい技術的優位性の源であるばかりか、道徳性の源でもある。自由意志と道徳的責任の自然主義的な説明で必要な最後の一歩は、人それぞれに自分自身についての視点を与えるに至ったのが、どのような研究開発の結果だったのかを説明することだ。その視点という場所から、われわれは責任を取るのだ。
このアルキメデス的な場所の名前は、"自己"だ。
(自由は進化する, p.360, 強調引用者)
自由は進化する | |
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ジャマイカ記想録(2)--夏とイグアナと初戦敗退
ジャマイカは暑い。ほぼ赤道直下であることを考えると仕方ないが、日本/北アメリカとのギャップが激しいので感覚が狂う。爽やかな朝...とは行かず、いきなり太陽が本気モードで登場し「えっちょま」とか思ってるウチにほとんど日本の真夏を超える強さで照りつけてくる。
日向に出た途端にカンストする紫外線カウンター。
ちなみに治安が悪いため、あらゆる窓には鉄格子と南京錠。最初はびびったけどだんだんこれが普通に思えてきたのであった。
この日、西田さんの奥さんに案内して頂いて最初に向かったのはHOPE GARDEN...ちょっとした公園かと思いきや、かなり敷地が広い。気分はTHE・熱帯。
そして、HOPE GARDENの中にはなぜか動物園がある。そこらへんの山に入ればいくらでも居そうな気がするが、点在する檻の中に(色々と偏った)動物たちがのほほんと暮らしている。
どうもこんにちは
イグアナ種類居すぎ。関係ないけどイグアナの娘ってドラマが昔好きで見てたな。小学生くらいの時か。
途中でどこからか女の子が合流して、先頭に立って案内し始める。謎である。
↓ジャマイカンカラーのユニフォーム(?)を着た子供達が爆走している。
昼飯はベジタリアンレストランでベジボールとやらをいただく。スパイシーでうまい。肉じゃないとすれば、豆腐だろうか。うまいからいいや。
レストランからの風景がこれまた広大。
ところで、西田さんの奥さんは、UNIVERSITI OF TECHNOLOGY JAMAICA、通称U-TECで日本語教師をされている。本日は授業があるとのことで、僕も大学の授業に飛び入り参加させてもらった。いいんですか><。職員室は"夏休み中の小学校"のような雰囲気であった。。
授業が始まる。こちらの人ってなんか年齢不詳に思える。
日本語での数の数え方、4が「し」と「よん」の二通りあったりするあたりが、どうも難しいらしい。日本の遊びを紹介するということで、たけのこニョッキ。
なかなかシュールな光景です。敗者は頭をピコピコハンマーでしばかれたり、デコピンされるなどします。
続いて「たたいてかぶって」トーナメント戦に、満を持して参戦。純日本人の底力を見せてやんよ?
気を取り直して、夜にはブルーマウンテンに車で連れて行っていただきました。ええ、コーヒーのブルマンです。本場です。ちょっと小高い山の上に、小洒落た店が。
ブルーマウンテンからキングストンの夜景を望み、ブルーマウンテンコーヒーを飲む。肩を寄せ合って夜景を見る白人老夫妻がいて、いいなぁ、と思うなどしていた。
そして帰宅。現在ジャマイカは水不足で水道から水が出ないため、夜は、貴重な水(たま〜にちょろちょろ出てくる)を使って水浴び。案外2,3Lで身体を(ひととおりは)綺麗に出来るもので、いかに普段自分が贅沢に水を使っているか痛感した。不自由を常と思えば不足なし、ってか。誰の言葉だっけ、と調べたら徳川家康だった。
不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りこそが敵と知るべし。
(徳川家康)
そんじゃーね。(ちきりん風)
Let's Note R7にUbuntuとXPのデュアルブート環境を作ってから元に戻せなくなるまでのメモ
※2008年ごろに環境構築したはいいがほとんど使わず、
使わないならもったいないと思って2010年の7月に元に戻そうとしたもののハマった、という流れ。
はてなのprivateブログにメモしていたが、色々整理する過程でここに移すことにした。
であるからして、所々時系列がおかしい記述があるし、技術的にいろいろ怪しいが、気にしない。
◆◆◆◆◆
2008年、インストール編
研究室のスタンダード言語がperlなので、一人Rubistを貫く信仰心もなく、先輩の遺産を読めるくらいに勉強しようとLet's NoteにPerlインストールを試みる。並行して、数学的にデータを解析するためにC言語を使っていた。※今となってはCもほとんど使わず仕舞い。
Visual C++を使っているものの操作がvimでないため、効率が下がりまくりだ。また、Active Perlやらcygwinやら…だんだんうんざりしてきた*1。
そうだ、Linuxを入れよう。というわけで、以下、将来の自分のためのメモ。
わからなかったことがわかるようになった記録、できなかったことができた記録は貴重だ。初めての出来事はその一回しか起こらないのだから、記録しておいたほうがいい。
というようなことを糸井さんあたりが言っていた気がするがソースがない。
id:wakutekaのようなクリーンインストールも少し考えたが、研究室のPCとデータ共有するし、就活のWebエントリーはWindowsじゃないといろいろめんどくさいし、デファクトスタンダード爆発しろと呟いてデュアルブートに決定した。
※VMware入れた方が便利だった、という後知識。
- 機種
- Let's Note R7
- OS
- Windows XP SP2
- HDD
- 120GB, 現在30GB弱使用。パーティションわけなし(Cドライブのみ)。Ubuntuには40GBを割り当てることとした。
- Linux Distribution
- Ubuntu7.10 日本語 localized*2
- DVD drive
- USB接続。↑のDVDを入れて接続した状態で起動した。
- ネットワーク
- E-MOBILE D02HW。これも接続した状態で起動した。
Dual bootでインストールするところ
起動時、Windowsロゴが出る前にF2を押す*3と、BIOSメニュー(というのかどうか知らない)が表示される。「起動」項目で「USB CDD」をHard Diskより上にもってくる。
DVDからUbuntuが起動し、、、って何かノイズが出てイヤな感じの画面で止まりました。焦りつつ電源ボタンでリセットして再チャレンジすると通る。謎。
しばらく放置するか一番上を選択するかそのまま放置していると、デスクトップが現れる。
次にネットワークの設定を行う。ここが一番苦労した。/var/log/syslogをtailしたり。よくわかんね。
- /etc/network/interfaceの末尾に
auto ppp0
が追加されることを確認。
$ ifconfig
した結果の中にppp0があればつながっている証拠。次回以降のログインでは、
$ pon ppp0
とするとつながる模様。たまにうまくいかなくて再起動したりする。なんだろ。とりあえず、USBは起動前から刺していた方がよさそうだ。
さて、DVDから起動してインターネットの接続が確認できたので、HDDにUbuntuをインストールする。デスクトップの「インストール」をダブルクリック。
まず言語やキーボードの設定。見栄を張らずどちらも日本語。パーティションは約40GBを割り当てた。Windowsからデータを引き継げるらしいので、FirefoxとMyDocumentを引き継ぎ*4。アカウント、パスワード、PC名などを設定して最終確認画面。
ここで怖いのはWindowsインストール領域を間違えて消してしまうことだけど、とりあえず「以下のパーティションが初期化されます」項目の中に「SCSI(0,0,0)(sda)パーティション1」がないことを確認して安心しておこう。
これで再起動すればめでたくUbuntuインストールの完成。もう一度起動する前にちゃんとDVDドライブを外して、BIOS画面で起動優先度をHDD>CDDに直しておく。
Windowsメインで起動させる設定
デュアルブートにしていると最初にOSを選択する画面が出てくるのだけど、今は何も操作しないとUbuntuが起動する要になっている。ここで、Ubuntuから
して設定を変えてやれば、windowsデフォルトで起動するようになる。menu.lstの内容は以下のようになっている。
# menu.lst - See: grub(8), info grub, update-grub(8)
# grub-install(8), grub-floppy(8),
# grub-md5-crypt, /usr/share/doc/grub
# and /usr/share/doc/grub-doc/.
## default num
# Set the default entry to the entry number NUM. Numbering starts from 0, and
# the entry number 0 is the default if the command is not used.
#
# You can specify 'saved' instead of a number. In this case, the default entry
# is the entry saved with the command 'savedefault'.
# WARNING: If you are using dmraid do not use 'savedefault' or your
# array will desync and will not let you boot your system.
default 4 # <-ここを0から4に変える
## timeout sec
# Set a timeout, in SEC seconds, before automatically booting the default entry
# (normally the first entry defined).
timeout 10
defaultの値を0から4に変えた。最初に出てくるブートローダー画面で何番目にWindowsが表示されているかによって、何番に変えればいいのか決まる。
インストール後の最新版アップデート
更新ファイルが240個あるとか言われたので、アップデート・マネジャーを使ってプログラムをもろもろ更新。2時間くらいかかると脅されるが、結局xxxくらいで終わる。
加えて、どうやら最新版は8.04であるらしく、せっかくなので7.10からアップデートした。バルーンで出てきた表示に乗せられる形で、あまり設定を進めていないうちに。
アプリケーションのインストール場所だが、
/usr/local 又は /opt が一般的です。
http://questionbox.jp.msn.com/qa2516236.html?StatusCheck=ON
使い方はそれぞれ以下の通り。
/usr/local は、直下にインストール。
他のアプリと同じディレクトリを共有する。
/opt は、「ソフトウェア名」ディレクトリを作成し、インストール。
アプリ毎に別個のディレクトリを割り当てる。
Windows的にアプリ毎で管理したければ、 /optがお勧めです。
とのことなのでFirefox3.0を/opt/下に入れる。/opt/下をいじる場合管理者権限が必要なのだが、Ubuntuは安全上の問題でrootログインができないようになっている。そこで、
$ sudo su
で擬似的にrootになれる。
Firefox、ブラウザ間同期など設定。
UbuntuでのFirefoxも基本的にWinと同じように設定。アドオン状況とか自動で共有してくれるんないんかな*5。Google Browser Syncはタブとか履歴メインやし。
firefoxアイコンクリックすると起動するのだが、これは
firefox %u
というコマンドを呼ぶらしい。firefoxというコマンドは
/usr/bin/
下にシェルスクリプト(?)として存在してる。
日本語まわり
apt-getでいろいろインストール
今回初めて使ったのだが、Ubuntuではaptというパッケージ管理システム(?)が装備されている。rubygemsで少し似たことやったけど、あんなかんじだ。たぶん。とりあえずvimmerの端くれとしてvimフルインストール。(初期設定はvim-tinyで、機能が制限されている)
$ sudo apt-get install vim-full
続けてプログラムと拡張パッケージいろいろ。
$ sudo apt-get install ruby
あと、一応原著持ってるんだけど、"Programming Ruby"もダウンロードしておく。
$ sudo apt-get install rubybook
Firefoxとかでfile:/usr/share/doc/rubybook/html/index.htmlを眺める他、w3mとかで
$ w3m /usr/share/doc/rubybook/html/index.html
とサクサク拾い読むのもよいかもしれない。grepできるし。
Rも入れた
んでもって、先週から就活と並行して本格化しつつある本業(修士論文研究)のほうで、どうやら行列の対角化とか分布とか座標とか扱う必要があり、Cをガリガリ書くのもいいけど、Tsukuba.Rでhogelogが明らかにした所によればRの中身はCとLispであるらしく、ソースを適宜眺めればCの勉強にももなるんじゃないかと踏んで、まぁ何よりラクできそうなので、Ubuntu上でRと戯れる選択肢を取った。
$ apt-cache search statistics
とやると、R関連のパッケージ候補がいくつか上がってきた。依存関係、推奨パッケージを表示してくれるのがありがたい。essのvim版ないんかな? CRAN系は今はいいとして、apt-cache show でいろいろ眺めて考えた結果、
$ sudo apt-get install r-base-core/r-base-latex/r-base-dev
たちをインストールする事に決定*9。devはいろいろと依存していて、そいつらも同時にインストールされるため50MBくらい。最後に
$ sudo apt-get check
で、ちゃんと依存関係にあるパッケージがもれなくインストールされていることを確認し、終了。
2010年、アンインストール編
↓このへん参考にして、
大まかな手順は
- マスターブートレコード(MBR)をWinXPで上書きし、
- ubuntuで使用していたパーティションを削除する
です。「WinXPがプリインストールされていてインストールCDが無く、フロッピーディスクドライブが無いFMV(ノートパソコン)」でどうやったかメモっておきます。
ページが見つかりません:@nifty
デュアルブート環境をリセットしようとしたのだけど、どーにもうまくいかなかった。
まずは楽天が運営するポータルサイト : 【インフォシーク】Infoseek←この方法でXPのインストールディスクを作成。フロッピー用のデータを分解して中身の必要なところを抜き出して、できたisoをImgBurnでCD-ROMに焼く。
その状態で上記の「インストール編」と同様にCD Driveから起動して、[R]キーで回復コンソールに入る...つもりが、ディスクチェックで弾かれ、MBRの書き換えまで進まなかった。
*1:大学サーバーにログインして研究する時はLinuxなので問題ないのだけど、自習用としてNote PCに簡単な開発環境を構築する必要があった
*4:したが、なんかうまく引き継げてないかんじ。あてにしないほうがいい
*5:最近はXmarksに落ち着いている。Chromeにも対応
*6:まずこの設定をやっておけば、システム > 設定 > キーボード・ショートカット でwindowsキーをmod4キーとして機能を割り当てられる
*7:もう最近は親指シフトを諦めていたりする…あんま日本語入力に改善の必要性を感じてないし。なおUbuntuはデフォルトで親指シフト入力を選択可能
*8:id:ukstudioのVImM#2発表を思い出しながら
*9:coreだけで40MB食いおる
はてダをMovable TypeでExportすると日付が1970年になってしまう件
はてなダイアリーをWT形式でexport(管理画面の「データ管理」から可能)したデータをWordpressでMovableType形式として読み込むと、だいたいOKでコメントもちゃんと移行できる。
「-----」5本で項目区切り、「--------」8本でエントリの区切りになっている。
すげーと思ったんだけど、一部不具合&検討事項。メモ。
日付が1970年1月1日になってしまう件。
書き出したMT形式になったはてダ記事データの一部が
DATE: 07/12/2010 00:00:00 AM
こんな形になっており、この書式が悪さをしているらしいことは確認できた。
検索したところ解決策はいくつか方針があるらしい。
10:00:00 AM
などと「00時」からずらしてやればいいらしい。正規表現で
s/00:00:00/12:00:00/g
とかやってみたところ、今までの3年半?くらいの記事で59箇所置換された。そして正しい時刻でインポート。おお。
ちなみに別の方法で回避した人もいる。両方踏まえるならこんな感じか
s/00:00:00 [AP]M/10:10:10/g
ということでテストしてみた。
今のトコどちらの置換でも不具合は見あたらないが...全部やってみないとわからんな。
それにしても、これの原因、ひょっとして「d.hatena.ne.jp/Hash/hogehoge」の、「hogehoge」部はデフォルトでUNIX TIMEだけど、ここを任意の文字列にすることも出来て、任意の文字列にしている場合は時刻への再変換ができずに時刻が「00:00:00 AM」になってしまってる感じだろうか。
もしそうだとするとMT形式Export機能のバグになるのか。はてなさーん(はてなIDEAに投稿するほどの気概はない)(でも呼ぶ)。
今、再び「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」と聞かれたらどう答えるか?
1年半ほど前にこんな記事を書いたことがある。
先日、とあるコンサルの個人面接で珍しい質問をされた。
「じゃあ、最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」
思いつかず焦った僕は、最近まとめた去年の読書冊数を伝えた。質問に答えた瞬間社員さんの反応が「微妙」であることを悟り、しかるのち軽薄な自分を恥じた。
コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された - ミームの死骸を待ちながら
今日は、現在の僕がこの質問を投げかけられたとしたら、という視点で記事を書いてみる。就活の面接テクニックでもないし、コンサル的なロジカルさもないから、いまひとつスッキリした回答ではないが、とりあえず現在の僕の答えを記録する。
ただ、僕は今回上記の回答に対して記事として練った上で書くわけで、あの面接の時みたいにとっさに質問されたら、またやっぱり軽薄な答えを吐くのかもしれない。だから「今の僕ならどう答えるか」というタイトルはある意味不適切だ。まぁいい。
さて。
僕がシューカツ、もとい就活で学んだ大きなものごとはいくつかあって、そのうちの一つが
「自分の本心からではない言葉を吐くべきではない」
という確信だ。
もちろん、その他大多数の中から自分を浮かび上がらせるためのテクニックとして、レジュメの文章をちょっと工夫するなどという意向はアリだと思うが、面と向かって話す段階になると、これはもう素を出した方が良い*1。
落ちるとこは落ちたけど、ちゃんと素を出した上で落ちた企業は、気持ちよく落とされることができたと思う*2。
そういった前提の元、上述の
「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」
という質問を今受けたと仮定すると、僕の思考は以下の様に働く。
まず素の感情を暴露すると、僕はどうしても自己評価が低い。どうもこいつは性格の根底に根付いている思考であり、引きはがすことは不可能らしい。
という訳で、僕が日常の中で
「俺ってスゲー」
と本心から思うことは、ほとんど無い、と言って良い。
だから「面接においては素を出すことが一番」という前提の元で、あれから1年半経った今の僕が回答できる本音は
「ないです」
という一言で終わってしまう.....ことも有り得る。だって、実際ないのだから。
でもこれではあまりにひどいし、いくら本音とは言えまともな回答ではない。
でもまぁ大丈夫だ(何が。
現在の僕ならば、低い自己評価を晒した上で続く回答を提示することが出来る。そして、それが今回の本筋とも言える部分でもある。
根拠となるのは、他人の評価、しかも僕が尊敬する他人からの評価である。
ここ数ヶ月、(または思い返して)1,2年で、僕が「スゲー」と思っている人から「お前のここはスゴイ」と認められた部分が、いくつかある。
まぁ、そんなところだ。
ひとつ言っておきたいのは、僕自身は上記すべての項目について「ぜんっぜん大したことないです」と確信を持って断言できる。しかし、自己評価の歪んだ僕の視点を殺して他人の評価を冷静に並べてみると、それなりの人が僕に対して「スゲー」部分を認めてくれているらしい。
※もちろんこれらの長所は裏返せば弱みにもなり得る。
幸いにして、僕は人を尊敬することにかけてはなかなか高いレベルを誇っていると思う。
結構、世の中の人は他人を簡単に馬鹿にするし、どうも僕が思っていた以上に「他人の価値を認める」という思考回路を、心の奥の方に仕舞い込んでしまっているらしい。
まぁ、斯く言う僕も聖人君子ではないのですべての人を尊重することなどできない、っつーか「みんなと仲良く」的な事なかれ主義の下で生きるのは真っ平御免であるし、はっきり嫌いと断言できる、可能ならば関わりたくないタイプも存在する。
とはいえ、僕は自分が「凄くない」ことを既に前提として認めてしまっているので、世のあらゆる人は何らかの点で僕よりも優れている、という認識を、すんなりと、抵抗なく、一続きのなだらかな思考に沿って受け入れることが出来る*5。
自己認識上は果てしなく無能な上に何があろうと自分に満足できない性格なので、僕を個人的に評価してくれる他人というのは、本当にありがたい存在である。なんてことは面と向かって言えないので、ここでありがとうする。ありがとう。
さてさて、
僕がこの"他己"評価を、個人的な価値観では認められないにしろ、嫌々ながら、それでいて照れくさい、べ、別に嬉しくなんかないんだからね的なツンデレ精神を以て需要できるようになったということは、
「俺は凄かったのかも知れない」という可能性、
あるいは「別の視点において、僕は凄くなり得るのかもしれない」という"他者の視点の許容"そのものであり、
この些細な、それでいて(僕にとって)絶大なインパクトを持つ概念は、1年半前の僕には決して備わっていなかったものだ。
今僕は4ヶ月目の社会人生活を楽しんでいる所であり、当たり前のことができなくて少々苦労しているが、普通の人には出来ないことを当たり前に実行できる"自我"と"環境"を、僕は既に構築していたらしい。
ところで今回のテーマは何だっけ?
「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」
....うん。答えになってねー。