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ミームの死骸を待ちながら

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators. We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators. - Richard Dawkins "Selfish Gene"

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators.
We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators.
- Richard Dawkins "Selfish Gene"

半端な優秀さを蝕むM2病の症状と、それにかこつけて吐き出される悶々とした何か

戯言 自己分析


大学院への進学は少しばかりのオツムの増大と引き換えに、かけがえのない若さ、素直さ、柔軟な姿勢を失わせしめる。

2年前、より正確には2年9ヶ月ほど前、僕は所属大学の大学院へと進学することを決定した。そこそこの成績を維持することにより得た院試免除という餌は、行動の動機の大半を「めんどくさいか否か」が占める僕にとって、それを振り切って無数の大学院を再び選択肢として並べ直させるには、あまりに魅力的に見えた。
斯くして僕は大学院に進学した。その先にはたくさんの院生がいた。技術者がいた。教授陣がいた。また、僕は主としてインターネットを介してさらに多くの院生と知り合うことになった。生物系も居たし、化学系、物理系、情報系、社会科学の院生もいた。


ともかく終了間近となった*1大学院生活を振り返って、どうも人間は専門化が進めば進むほど、ある種の気質を備えてくるらしいことを発見した。
これは決して全員に当てはまるものではないし、僕自身もその気質から完全に逃れられているかと言えば怪しいものだが、一般的な傾向として存在するものだと僕は考えている。この傾向を、ここではM2病と称することにする。
もちろん中二病高二病・大二病と続く一連の"言葉遊び"の延長だと考えてくれればいい。M2病を煩う人は必ずしも大学院博士前期課程の二年生とは限らないし、そもそも大学院生に限った話でもない。学生として、教師として、アルバイトとして、会社人として、指導者として、後輩として先輩として、親としてあるいは兄弟姉妹として、あらゆる人があらゆる状況下においてM2病的であり得る。これを書いている僕自身も例外ではない。


M2病の症状を、以下に思いつくままに(でもそれなりにまとめながら)列挙する。

  • 縄張りから踏み出さない。自分の土俵に持ち込むことが得意。
    • 一歩縄張りから踏み出ると自分が無力であることを認めようとしない。
    • クールな俺かっこいい。大衆に迎合しない俺かっこいい。論理的に分析する俺かっこいい。
  • 視点の多様性を認められない。
    • ゆえに、価値観の違う他人との間で利害の調整をすることがない。
    • 内輪で評価し合って自尊心を満たしているため、外に出なくても困らない。
  • 自分さえよければいい。自分が正しくあればそれでいい。
  • 優秀さと同居した攻撃性を持つ。
    • 謙虚さ・配慮というものがなく、価値観の異なる他人を見下す。
    • 言い切る。言い放つ。言い捨てる。
  • 自分が賢いと思っている。
    • そして他人を巻き込んで「オレ賢いゲーム」に興じる。
  • 頭の回転の速さを無駄なところに使う
    • 揚げ足をとる。本質ではない所で屁理屈をこねる。
    • 物事をヒネた見方で、斜めから見る。


他人との差異を強く意識し、自我が過剰に拡大されている点は中二病と似ているかもしれない。しかし中二と異なる点は、この自我の肥大がそれなりの「確信と経験」に基づいていることと、「データと論理」で理論武装していることの二点であり、ある意味中二病よりも質が悪い。論破するのは困難で、しかも論破できたとしてもさほど実りがないのがM2病の特徴である。


優秀さと同居した攻撃性


他人を貶めることでしかコミュニケートできない人間は、いくら優秀でも軸がぶれている

僕の中には、強烈に他者を否定する人に対する矛盾した想いがあるように思える。あこがれ、尊敬。それと同時に恐怖し、嫌悪してもいる。

かつて、優秀だが死ぬほど口の悪い人が居た。立ちはだかる障壁をことごとく壊して進むその生き方は僕を惹きつけた。単純にそれを真似しようとしばらく試みた僕は、果たして自分には無理だという結論に達した。人間として自然な部分を無理に押さえ込むことによる歪みが発生するように思え、限界を感じた。

積極的に敵を作る生き方をしていれば、必然、身を守るために能力を高めざるを得なくなることは確かだ。

しかし、今となっては、あのやり方でどこまで通用するものか疑問に思っている。少なくとも今の僕の考えとしては、口の悪い人、相手を見下す人とは一緒にいたくないし関わりたくない。

いかに一騎当千のエースに見えようとも、完璧に絶対的に正しい人も、常に勝ち続ける人もいない。優秀さに同居した攻撃性は、長期的に不利益をもたらす。剛より柔。誰が相手であっても柔軟な・なるべく自然な姿勢で臨んだ方が、長期的に見て正解だというのが現在の僕のスタンスだ。この姿勢とは相容れない人もいるけど。

とげとげは色々ひっかかります。カチカチはすぐひびが入ります。

ぐうたら休日(ホリデー)―リラックマ生活〈7〉


http://img.skitch.com/20100224-1spu5k1b5bshwp6e8nwyscb4s2.jpg
いや、この本持ってないんだけど名言過ぎたので。


限界を超えるプロセスを繰り返す


人はその時その時で"限界"を持っており、その限界を超えるプロセスを繰り返して行く

僕の場合は小学生時代は如何に楽しく遊ぶか、1日45分のテレビゲーム制限の中で如何に効率的に進めるか、図書館にあるどの本を読もうか*2などという重大事項を日々抱えていたし、中学時代に病むほど悩んでいたことも後から振り返れば解決策があったし*3、勉強の面で言っても、中高は振り返れば遊びのようなもんだったし大学受験でものすごく頑張った!と思ったけど入学しただけではスタートラインどころの話じゃなかったし、入ったら入ったで周りは優秀で死にたくなるし、学部時代は授業とレポートと試験で大変だとか思ってたけど研究室に所属した後と比較すればぬるま湯で時間もたっぷりあったし、うがあああああとなって書き上げた卒論は大して評価もされず(当然だけど)、就活も終わればなんとも異様な雰囲気だったなぁという妙な達観となってしまったし、修論も書き終われば大したものじゃなかった*4し、これから仕事を始めると院生時代はなんと余裕があったことかと思うだろうし、
この連鎖には終わりというものがない。いつになっても「あああの頃は大したことなかったな」と思い続けているのかもしれない。


しかし、この"限界"には個人差がある。上の世界に気づくのが早い人もいれば、遅い人もいる。こればかりは自分自身で気づかなければどうしようもない。だから、現時点の自分の視点が絶対であるかのように語ることほど馬鹿らしいことはないし、ましてや自分の認識を基準とし、「上の世界」に未だ気付かずにいる他者を見下すことは唾棄すべき愚行だ。

他人との視野の差異を許容できなきゃ一人で生きてろ。


僕は、世の中にはどうしても年齢を重ねなければ判らないことが存在すると思う。能力分析結果がレーダーチャートで言う星型・タワー型になるような、年齢にそぐわない極めて偏った才能を持つ人間が存在するのは確かだが、あらゆる面で大人顔負けの、万能型の有能さを持った若人というものはラノベやマンガの世界だけの話だ。

かといって、「限界」を越えていくのはすごろくのようなstep by stepのゲームで、ただ年を重ねるのを待つしかない...という結論で終わりたくない。そこでこう考える。

「限界」を乗り越えるべく用意された道のり、年を重ねることでクリアできるように調整された障害物競走は、よく整備されているが故に遠回りであることが多々ある。
そうではなく、最も速いのは、自分にとっての限界を既に超えている協力者をなるべく早い段階で見つけること、限界を超えざるを得ない状況に自分を追い込むことだと思う。
その分、壊れる可能性も高まるけれど。


自分さえよければいい。自分が正しくあればそれでいい。


「これはこうした理屈だから、私のやり方が正しい。これにそぐわない他人のことは知ったこっちゃない」というスタンスの人がいる。

いかにあなたが正しかろうが、カッコ良く見えようが、周囲にプラスの影響を与えなければさほど価値がない。そこが勝負なのに、それ以前で止まっているM2病患者をたまに見かける。このケースに該当する人にいわゆる"頭が良いはず"の人が多いことは、偶然なのかどうか僕には判断が付かない。


幸いにして僕はどうも無能であるため、純粋な自分だけの力では生きていけないことに気がつくことができた。周囲を巻き込まないととてもじゃないがやっていけない自信がある*5。いらん自信だな。


いじょ。


これらのM2病の症状は、視野の狭さ、価値観の押しつけ、配慮の欠如、そしてこれらの態度の裏にある中途半端に専門化した知識と経験。そうした言葉でまとめられる。


"限界"の話を適用すれば、これらの症状すらも将来突破されるべき一時的なものに過ぎない、のかもしれない。どちらにしろ自分が「途中」であるという自覚がなければ、とっさの決断を誤るのではないかと思う。自信過剰はよろしくない。僕のように自信がなさ過ぎるのも問題だけど。

今日はちょいと毒舌気味かもしれない。こんな自分とは関わり合いになりたくないね。そういうわけで、ジャマイカ行ってきます。

*1:修論発表も無事終わり、ちゃんと卒業出来そうです。たぶんね。

*2:推理小説が好きだった。ルパン(三世じゃないほう)とかホームズ、あと江戸川乱歩シリーズetc

*3:この解決策を教えてくれたのは嫁さんだ

*4:修論の内容自体も大したものじゃありませんでした。ええ。

*5:ONE PIECEで言う「おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある! 」というやつですね