内定をもらった学生が入社前にやっておくべきたったひとつのこと
遊べ。以上。
あっ、嘘です、すいません石投げないで!マジメに書くから!
「入社前にやっておくべき事は何ですか?」
内定者が社会人(場合によっては入社予定の会社員)に対して提示する質問のテンプレートとも言えるのが、表題の
「入社前にやっておくべき事は何ですか?」
だろうと思う。僕も聞いたし(入社する会社の人ではなかったが)、逆に学生から聞かれたこともある(これまた所属する会社とは関係なかった)。
みんな不安だし、失敗したくないと思っている。いくばくかのやる気はあるし、そのやる気を振り向ける先を捜している。やる気を振り向ける先を見つけ、周りに対してアドバンテージを取りたいと思っているのかもしれない。あるいは自信がなく、先が見えなくて、戸惑っているのかもしれない。
やりたいことがわかりません!とか言う人もいるが、気にすんな。そんな簡単に見つかりゃしねぇよ。
さて、意図はどうあれ、僕はこの種の質問は嫌いじゃない...いや、むしろ好きだ。下手をすると安っぽいテンプレート回答*1に成りかねない、簡潔かつデリケート、それでいて回答者の哲学が試されているような、興味深い質問だと思う。
学生が「学生の内にやっておくべき事はありますか」と聞くとき、本当に知りたいのは、一般的な答えではないと僕は信じる。そうではなく、学生が知りたいと思っているのは、その人の個人的な意見、偏見、主張、個性なのである。
それ故に、学生からこの種の質問を受けたときは、それなりに考えて返答するべきだと思う。逆に、学生が社会人にこの種の質問を投げかける時は、ちゃんと考える時間を与えてあげて欲しい*2。
この記事では「入社前にやっておくべき事は何ですか?」という問いに対して、僕がそれなりに考えた結果を提示したいと思って書いた。しかし結論だけにフォーカスするのではなく、よくある回答例に対する僕の意見を展開しながら、徐々に「Hashが(今の時点で)しっくり来る回答」へと進んでいくとする。
こんてんつ
- 「入社前にやっておくべき事は何ですか?」
- 「社会人は遊べないが、学生は遊べる」という真理
- 「学生の本分は勉強」の欺瞞
- 「入社する会社で働く」という無意味
- 「記録を以て不完全を知る」
「社会人は遊べないが、学生は遊べる」という真理
実は最初に書いた「遊べ」という一言も、あながち間違っちゃいない、、、と、僕は考える。少なくとも真理の一端を端的に表している。その真理とは、極々単純化・極論化してしまうと
「社会人は遊べないが、学生は遊べる」
というものである。この誤解を生みそうな一文にはそれなりの注釈が必要だろうが、この文章は学術論文でもなければ対話ですらなく、そもそも元来そんなことする義理もありゃしねーので適当に脳内補完をお願いします。
さてこの「社会人は遊べないが、学生は遊べる」という幾何かの真理は、元を正せばより広範な概念へと拡張できる。すなわち
「学生の内にしかできないことをやれ」
より汎化して
「今しかできないことをやれ」
という概念へと拡張可能であり、特に最後の概念は、今現在も僕の行動規範のひとつになっている。
しかしここに大問題、不可避な障害が発生する。学生の内にしかできないことを学生の内に見つけ出すことは容易ではない、という単純極まりない事実だ。耳障りの良い言葉の真意をよくよく考えてみれば、それは、未来を見通せと要求されているに等しい。
「学生の内にしかできないこと」は、「学生」という肩書きを失ってから「学生時代」を俯瞰することによって初めて浮き彫りになるものであり、いくら先人の言葉を聞いても、腑に落ちて理解できる類の思考ではないのである。
「学生の本分は勉強」の欺瞞
もちろん学生が学生の内にしかできないことの最たるものは「勉強」であり、これは学生の本分でもある。しかしそんなことはみんなやっている*3。勉強が忙しいとか「レポートが...」「試験が...」とか、そんな理由で他のすべての機会をドブに捨てるなんざ阿呆のやることだ*4。それだけでは、つまらん人間になってしまう。
本質はここだ。みんなやっているレベルを超えた「勉強」を実践するには、只の学生であるだけでは"足りない"のである。
要するに「入社前に、学生のうちにやっておくべき事は何ですか?」という質問に対する「しっかり勉強しろ」という回答も、回答として十分な堅実性を備えている。しかし問題は、周りからひとつ図抜けるだけの「勉強」、「何をしてきたの?」という質問に対して胸を張って「勉強」と応えられるだけのQualityとQuantityを、あなたは実現できますか、という話だ。これに胸を張ってYesと応えられるなら、何も言うことはない。企業はそうした専門型の学生を一定数求めている事は確かなので、自信を持って勉強に打ち込めばいい。
少なくとも僕は、この自問に「Yes」と応えることが出来なかった。
「入社する会社で働く」ことの無意味
「入社予定の会社でアルバイト・インターンとして働く」
という選択肢がある。自由度の高い企業や規模の小さい企業は、学生のこういった提案を受け入れてくれる土壌を持っているところが多い。中にはほとんど社員と変わらない時間を会社で過ごす人もいる。
前もって環境に入ってしまうことで社内の雰囲気が分かるし、同僚と打ち解けられるし、具体的な技術や知識を身につけることが出来る。そしてより魅力的なことに、ここで得た技術や知識は決して無駄にならない。
僕の正直な意見を言ってしまうと、入社予定の会社で働くことは、仕事の役に立つ*5。というか、唯一これだけが、直接仕事の役に立つ*6。
ところが、ここで根本的な疑問が発生する。
「でも、それ、入社してからでよくね?」という素朴な疑問である。
つまり、僕の意見はこうだ。仕事ができる社員になるために極めて有意義な「学生のうちから入社予定の会社で働く」という選択肢は、何のことはない、ただ単に「一足早く社員になる」というだけの話だったのだ。
早く社員になるだけであって、内定者がやるべきことではない。この選択は学生であることそれ自体の価値を完全に放棄しているし、意地悪な見方をすれば、学生であることに自分自身で価値を見いだせなかったから、上から意味を与えてくれる社員になりたい、という「俺なんも自分で考えられません」宣言であるとも考えることが出来る。
すなわち冒頭の質問に立ち返れば、
「入社前にやっておくべき事は何ですか?」
「入社しろ」
という意味の分からない禅問答になってしまうわけだ。こいつは、いただけない。
せめて、意欲と時間があるなら他社で働いた方がまだマシだ。最初からひとつの会社しか知らないと、盲目的になる。画一化は観念的な死である。そうではなく別の会社を経験するならば、入社する会社を立体的、客観的に見ることが出来るようになる。 つまり、自分の中に比較対象を持つことができるのである。
「記録を以て不完全を知る」
いよいよ僕の主張の核心に近づいてきた(長ぇよ)。 いくつか回答例を挙げてみたが、正直、学生時代にコレをやっておけ、というものはないと思う。そこはそれ、個々人の価値観だ。世界の各所を放浪したい人も居るだろうし、インターンやらアルバイトに熱心な人もいる。研究が面白くて面白くてたまらない人も居るだろうし、完全な趣味人にジョブチェンジする学生も何人か知っている。
いろいろ志向はあるけれど、僕の偏った視点に基づいて大多数の内定者に薦めたい*7のは、
「記録しておけ」
ということだ。これが僕の回答である。
Methodologyはどうでもいい。只僕は、視点は多い方が良いと判断したから(そして不特定多数に自分の思考を晒すという露出狂の快感に目覚めたから)ブログにいろいろ書いていただけであって、誰もが僕と同じ方法を取るべきであると主張しているわけではない。僕のようにWeb上に晒け出しても、Digital媒体で保存しても、紙に書いてそっと閉まっておくのでもいい。文章じゃなくたって、写真に取って視覚的に定着させるのも楽しいし、ひたすらいろんな人と交流して、"記憶の数"で稼ぐのもアリだ。ロバストネスとリダンダンシーである。
Methodsのひとつとして、シューカツ特有の「自己分析」なる道具を使うのも悪くないし、僕は高校の同級生に勧められて知った「絶対内定」という本がわりと好きで、今でも記録の視点の参考にしている(ちなみに僕が持ってるのは2008年度版だ*8)。
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形はどうあれ、とにかく記録/証拠に残しておかないと、自分は昔から何でも知っていたという傲慢を招きかねない。記録によって、自分の不完全性を自覚することができる。今どれだけ情報を集めて、どれだけ思考を深めたつもりであっても、将来の現実を予測できる可能性はとてつもなく低い。
しかし記憶のみに頼ってしまうと、予測が外れても外れた予測のみに注目して「運が悪かった」なんて思っちゃったりして、予測を外した自分自身の"あてにならなさ"を、意識の外に追いやってしまう危険性がある。
記録が重要性を持つのは、人間の記憶というものは本当に当てにならないからであり、これは僕の信念の一つでもある(なんというか、後ろ向きな信念だ)。
繰り返すが、僕は確信を持っている。自分の記憶を信頼すべきではない。記録を使え。人間の記憶なんてのは、アテにならないものだ。いや、アテにならないどころか、都合の良いようにそれ自身を自動的に再構成する、抜け目のない詐欺師と疑ってかかるべきだ。
仮にある人間が、一つの罪を犯したとすると、その罪は、いかに完全に他人の眼から回避し得たものとしても、自分自身の『記憶の鏡』に残っている、罪人としての浅ましい自分の姿は、永久に拭い消すことができないものである。これは人間に記憶力というものがある以上、やむをえないので...
この記憶の鏡に映ずる自分の罪の姿なるものは、常に、五分も隙のない名探偵の威嚇力と、絶対に逃れ途のない共犯者の脅迫力を同時にあらわしつつ、あらゆる犯罪に共通した唯一、絶対の弱点となって、最後の息を引取る間際まで、人知れず犯人に付纏ってくるものなのだ。
...しかもこの名探偵と共犯者の追求から救われ得る道はただ二つ『自殺』と『発狂』以外にないと言ってもいいくらい、その恐ろしさが徹底している。世俗にいわゆる『良心の呵責』なるものは、畢竟するところこうした自分の記憶から受ける強迫観念にほかならないので、この強迫観念から救われるためには、自己の記憶力を殺してしまうより他に方法はない...ということになるのだ。
(『ドグラ・マグラ (下) 』, p.270)
外れた予想と記録の揺るぎなさ
僕自身、学生から社会人になって、予想していたものと全然違って驚いた。いや、僕の予想が浅すぎて薄すぎて、その甘さといったら吐き気を催すほどであった、と告白した方が正しい。
「大企業でしかできない経験」というものは、確かに存在するのだろう。大きな仕事をやろうとすればするほどチームで働くことが重要になってきて、その一員としていかに貢献するか、どうすれば最終的に成果を出すことができるか、という点を学ぶことができるはずだ。社会人の初めにそういった「型」を身につけるのは確かに大切なのかもしれない。僕も最初はこの考えだった。つまり外資大企業で基礎を築いた後、ベンチャーに行こうと思っていた。
しかし、ここで一つ問題がある。「大企業で働くうちに、悪く言えば"洗脳" されてしまい、次に向かって動けなくなるのではないか」という可能性だ。
"新卒は外資の大企業"と思っていた僕が最終的にベンチャーを選択した理由 - ミームの死骸を待ちながら
否、ベンチャー企業においても洗脳は存在する。洗脳というと聞こえは悪いが、順応と言うと正当に聞こえる。要するに自身を環境に適応させて効率化を図ろうとする意志であり、人間が「適応」しようとするのは、身体の奥底に染みついた、生き残るための本能のようなものなのだ。
着実に手を広げている話を聞いて興奮する。中国に開発チームを持っているのだけど、ひょっとしたら、中国に限らず新興国にぶっとばされるかもしれない。というか、ぶっとばされて追い詰められたい。
内定先が素晴らしすぎる件。または、自分自身が居るべき場所を確信できた人間は強い - ミームの死骸を待ちながら
はい残念。現在ぼくは普通に日本で働いている。えーそんなの普通じゃん。
そう、普通なんだよ。この事実からわかるように、僕が当初想定していたよりもこの会社は「ちゃんとした会社」である。それでいて、色々とカオスであったりもする。ベンチャーと「ちゃんとした企業」の特徴を持っているため、よく言えばダブルでうま味があり、悪く言えば中途半端、だ。
ついでに言うとこのへんの「どっちつかなさ」から何を得るかは自分次第だと思っているので、別段不満があるわけでもないし、選択を後悔しているわけでもない。完全な会社はないことは了承済みだ。完璧な絶望が存在しないようにね。ただ僕はきちんと現実を飲み込み、その上で理想を掲げないと、潰れて溺れて埋もれてしまう。何事も自分次第だと、僕は信じる。
記録によって理想と現実の違いが浮き彫りになった。ところが、僕は僕自身の選択を微塵も後悔していない。この一点に限っては自分を誇っていいかも知れない。
まとめる。
本題に戻ろう。まぁ、というわけで僕の意見は「記録を残せ」の一言に尽きる。
将来を見通したつもりで行動しても、どっかが抜けるし何かを忘れて、そしてどこかでヘマをする。人間、そこまで頭が良くないし、要領も良くない。たいていの人は。
僕は僕の意志で以て、現在の環境から吸い尽くせるだけのものごとを吸い尽くしてしまうつもりでいる。
吸い尽くしながら、僕はここに踏みとどまって、ちゃんと成果を出してみせる*9。そこに理不尽があれば解消しようとするし、機会があれば殺してでもうばいとる*10。そう思いながら、粛々と「出来ること」を拡大している最中である。
それもこれも、記録による不完全性の自覚のおかげである。いやと言うほどの不完全性の自覚が、僕をこの背水の陣に縛り付けている。
だからこれを読む内定者の人も、是非、残り少ない学生生活を有意義に過ごしてください。そしてもし気が向いたら、その「有意義」の感情と事実を、ありのままに記録して、入社後に読み直してみてください。
そこに、何かあなたにとって大切な発見があるだろうと、僕は信じる。
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*1:それこそ最初に挙げた「遊べ」onlyとかね
*2:質問を投げた後にいきなり答えを求めてじっと目を見つめるとかじゃなくて、適当な言葉をふらふらとやりとりしてプレッシャーを与えないように、相手が自分自身でしっくり来る答えを捜す時間を稼ぐ
*3:まぁ「みんなやってることをやること」に対しどう思うかは、個人の哲学に任せるしかないのだが。
*4:事実を言ってしまえば、一部の行動的な学生は掛け値なしに忙しいが、そういった人は得てして「忙しい」というワードを口にしない
*5:と、思う。ちょっとバイトはしかけたけど実際何もしてないようなもんだし
*6:正確には「役に立つ可能性がある」と表現するべきか
*7:残念ながら「全員」ではない。記録するためのコストを別の者に振り向けたいと思う人も居るし、記録それ自体が自身を縛る可能性をよく知っている人も存在するからである
*8:就活したのは2010年度生だが正直内容はほとんど同じ。2010年はちょっとカラーになってるくらい
*9:こうしてちゃんと大言壮語を吐かないと、日々の仕事に埋もれて理念を忘れてしまう
*10:元ネタを知らないと普通に物騒である
エンジニアが一緒に働きたい人間ってどんなんだ?
黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか。スペシャリストにもなれず、マネージャーにもなりきれぬ、哀れで醜い可愛いわが娘だ。
最近、表題のようなことをよく考えている。エンジニアが一緒に働きたい、と思える非エンジニアは、どんなタイプなんだろうね。まぁエンジニアの細かい定義は置いておくとして。
数年前からわかっていたけど、僕はエンジニア向きじゃない。
もちろん、僕に出来ないことをやってのけるエンジニアはすげーと思うし、尊敬もする。友人にもエンジニアは多いし、はてな界隈で話題のネタを追っていたらイヤでも眼に入る*1。
それでも、僕は彼らと同じフィールドには立てないことが、どうしようもなく自覚できる。どうやら僕自身にエンジニアの適性がないようだし、今までの積み重ねも違う。のめり込めない。基礎の基礎からしっかり学んでいる人に、追いつける気がしない。
追いつくだけの学習コストを払うくらいなら、別のことに時間を投資したいと考える。そう考える僕は、要は思考の有り様からして、向いていないんだろう。
そういう訳で、僕はエンジニアにはなりきれない。
ところが、僕自身がエンジニアになれないとしても、
- 「仕事の範囲を広げ、クオリティを高めるため」
- 「僕自身のやりたいことをやるため」
に、エンジニア的能力*2が必要である。(業界要因もあるのだろうが)仕事をしていく上で、ああ、これはエンジニア的能力があるとずいぶん可能性が広がるな、という場面に日々遭遇する。
そのエンジニア的能力を自分自身の中に蓄えてもいいが、前述の通り、僕が将来蓄積できるであろう(or, 現在できている)能力は、他に比肩しうるレベルでは決してない。哀しいことに。
そう考えた末に「エンジニアが一緒に働きたい人間」になりたい、という志向に辿り着いた。現在の中長期的な目標と見なしても良いかもしれない。
※正確に僕の考えを表すなら「(エンジニアに限らず研究者なども含めた)特定の分野の"スペシャリスト"が一緒に働きたい人間」、となるのだけど。
ところがその方法がよくわからない。さてどうしたものだろう、と30秒で考えて箇条書きしてみると、こんな感じになった。
- 『疎通』
- 技術の言葉が通じること。技術を理解する姿勢を持っていること。知ったかぶりをしないこと。
- 『補完』
- エンジニアには出来ない部分をフォローしてくれること。役割分担をわかっていること。
- 『尊重』
- 使う側使われる側という意識ではなく、対等なパートナーとして付き合えること。
この3点を意識していることは重要だとは思うけど、抽象論しか出てこない。だめだ。というわけで悩んでいる。
リチャード・ドーキンスは『延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子』の中で、遺伝子の表現型効果は生物個体の枠に留まらず、他の個体まで"延長されて"いると論じた(記憶ベースの超要約)。
これと同様に、人間個人という枠を越え、自分の中にある才能であれ、他人の中にある才能であれ、等しく利用可能になれば良いと思う*3。
同様に、僕は僕自身の中にある才能(そんなもんがあればの話だが)を広く利用可能にしたいとも思う。
そうなれば、個人のできることはもっと広がると思うのだが、、どうだろう。
まあ、これまた理想論だ。そのための具体的論は、僕が、エンジニアが一緒に働きたいと思える人間になれた後に、ゆっくり考えていくとしよう。
そもそも今回の記事のきっかけになったのは、
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を読んだことだった。
会社で『Webを支える技術』を読んでいたらid:rindai87に「たぶん今読むなら続編の『24時間365日 サーバ/インフラを支える技術』とか『Web開発者のための 大規模サービス技術入門』の方が面白いぞ。ちゃんとしたWebサービスの運用方法がわかる」と言われて買ってみたものだ。なるほど、確かにこちらの方が面白い。今やってる仕事がWeb屋もどきだからだろう。
特に『Web開発者のための 大規模サービス技術入門』の方は、はてなインターンで行われた講義を元に書かれた本であるらしく、それを読んだときに、そうか、id:syou6162や id:yaottiやid:suztomoはこんな面白く・ハイレベルで・本質的なことをやってたのか。これはもう経験の濃度が違うわ。
と思ったことが、冒頭の疑問に繋がったのであった。
関連?
Egretlist - 究極のEvernote連携GTDアプリ
これだ。こーゆーのが欲しかった!
Egretlistという iPhone アプリがある。iTunesはこちら
いろいろとGTD / TODO管理アプリを使ってきたが、今のところコレがベストだ。
とにかくなんでも毎日「すごいすごい」と浅い紹介を繰り返すスタイルのブログと違って(失礼)、このブログは基本的に僕の思考をバラして晒して残すための場所であるため、めったに何かを推薦する記事を書かない*1。そんな僕がブログで個別に取り上げて記事を書くということは、そういうことだ。
Evangelistっぽい名前の(?)Egretlistは、RTM(Remember the Milk), "TODO", Google Tasks等の純粋なTODOマネージャではないし、かといってFastEver, 公式Evernoteといった他のEvernote iPhoneクライアントとも一線を画している。
以下、何が凄いのか+個人的に気に入った点をつらつらと挙げていくとする。
こんてんつ
Static: EverNote とFlow: iPhoneの連携
GTD, lifehacks 的なツールを使う際に一番の関心事は「継続性」...すなわち「この方法でずっと続けられるのか?」「今の蓄積はこの先も生きるのか?」という問題だと思っている。
継続性問題を解決するためには「一カ所にまとめる」ことが重要で、一カ所にまとめるために世のライフハック中毒者達は四苦八苦している(勝手な印象)
僕は1年以上前からDigital記録媒体をEverNoteに統合している。
TODO管理アプリとしてEverNoteと連携してくれる。ということはすなわち、なじみのEverNoteプラットフォーム上ですべてが完結するということだ。
どちらかというとEvernoteはStaticな使い方をするサービスだと思う。そのため、単独ではFlowへの対応が弱い。とりわけGTDを実行しようとすると、刻一刻と変化するTODOをうまくハンドリングしてやる必要がある。
そこで、iPhone等のモバイル環境が重要になる。iPhoneからTODOをチェック・更新することで、Flowに対応するのである。
Egretlistを使うまでは、これらの操作を別所で行う必要があった。というか、EverNoteのチェックリスト機能を、それほど重要視していなかった。Evernote上の「自分ルール」でこのギャップを吸収していたが、素晴らしいことにEgretlistにはこのギャップをマネージする仕組みが揃っている。
TODOメインで潔い
Evernoteではサブ機能に甘んじているTODOに目を付けた。機能を絞り込む潔さ。「見せ方」を変えることでここまで拡張性が出て、使いやすくなるのか、、、と感心した。制作者はきっと日々GTDを実行して、不満点やら重要な点をわかっているに違いない...(推測
たとえば、Egretlistの画面下に、TODO追加用タスクバーが表示されている。
Egretlistを確認中に、その場で思いついた項目を素早く追加できる。TODOやタスクを眺めているとそれに紐付いていたりいなかったりするTODOを思いつくことがよくある。
流石わかってるなー、という印象。
また、「どのノートブックに追加するか」「何のタグを付けるか」という設定もさることながら、
「既存のリスト(TODOの集合体)に追加するか、新規単独のTODOにするか」も選択できる。
一応添付画像やメモ追記*2機能もあるんだけど、あくまでサブ/遊び要素だ。デザインには凝ってて面白いんだけどな。
ちなみにEgretlistでは、"Archives"から完了したTODOを一覧できる。まぁ、これはEverNoteでも Attributes > Finished to-do items で確認できるけどね。
てなわけで、EverNoteのインターフェイスに全く囚われずにiPhone TODOアプリとしての便利さを追求し、それでいて、ちゃんとEverNoteでも「意味のある」操作に落ち着いているのが秀逸。よく考えたなと思う。
EverNoteのTAGと連携したGTD的カテゴリ。
Egretlistは、EvernoteのTagと連携して、GTD的なTODOのカテゴリ分けをサポートする。
Egretlistは以下のCATEGORIESを用意している。
- Next
- Contexts
- Projects
- Responsibilities
- Goals
- Roles
- Someday
このカテゴリ分けは『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』を初めとするGTDの理屈に乗っ取ったモノであり、僕自身、Evernote上のtagを使って、これまた(不完全ながら)「自分ルール」のGTDタグで運用していた。
Egretlistでは、Evenoteで設定したtagを、Egretlistの"CATEGORIES"に結びつけることが出来る。実に素晴らしい。
ちなみに、ひとつのカテゴリを複数のtagに結びつけることができるし、他のカテゴリに利用したからと行って別のカテゴリに使えないというわけでもない。
例えば僕の場合、EverNoteに「こーゆーことやりたいなー」というリストを作って、wantというタグを付けていた。中身を見て見ると、
- 黒帯取りたい
- iMac欲しい
- ...etc
...という内容が登録されている。
この場合、Evernoteの"Someday"カテゴリーを、Evernoteの"want"タグに結びつければいい*3。
すると、Egretlistの"Someday" CATEGORYから、EverNote上で"want"タグを付けて登録したチェックリストを一覧することが出来る。
ResponsibilitiesとGoalsとRolesの階層
このへんややこしいが、使いこなすとかなり強力になる(はず)。説明文を抜き出すと
Since Projects can be related to responsibilities, you can optionally assign them to responsibilities.
とのことだ。Goalsを例として説明すると、Goalsには何らかのTagを1つ登録し、さらにProjectsカテゴリに登録されたtagを複数選択することで1つの"Goal"が用意される。
複数のTODOステップから構成される メタ要素"Projects" を、さらにメタメタに集めているのがこの3種のカテゴリ、という想定であるらしい。つまり以下のようになっている。
TODO < Projects < Responsibilities/Goals/Roles
ついでに言うと僕は、この階層分けを見て
「もっとプロジェクトを持とう」
と感じた。個々のタスクではない、中長期の目標を設定する。中長期の目標=プロジェクトは特定の世界に限られたものであってはならず、むしろ、多種多様な世界観において偏在するモノでなければならない。
仕事に限らず、Projectsを分解したTODOのかたまりを持つことは、視野を広く保つことを助けてもくれる。
"科学的方法"だの"対象のための非実験グループ"だのについてまじめくさって話したいということじゃない。ただ、いろんなことを楽しくやって、新しいことを試してみて、いつもしっかり目を開けておいてほしいってことなんだ。
『 仕事は楽しいかね?』, p.89
機能から考え方に関する気付きを得られる。
僕にとってEgretlistがスゴイのは、一言で言うと
「使う場面をイメージして、必要な機能を考え抜いた機能を実装」していることにより、
「考え方」にinspirationを与えてくれる点だ。
Responsibilities, Goals, Roles, Somedays...などのカテゴリ分けは、日々の全体像を見渡すきっかけを与えてくれる。上記の項目で既に「もっとプロジェクトを持とう」という表明を行ったが、これもその一つだ。
視野狭窄になりがちな毎日の中で、ほんのちょっと、外に目を向けさせてくれる。CATEGORIESに当てはまるようにEvernoteを整理して、ずいぶんすっきりと(頭もEvernoteも)した。
また"「万能記録システム」を目指して作成されているEverNote、そのTODO機能のみをサポートする"という方針から学べるのは「特化する」価値だ。
誰もが万能を志向せずともよく、役割分担を明確にすれば概ね幸せに生きることが出来る。
行動からツールを選定する過程は極めて一般的であるが、逆に、ツールから行動を見直すきっかけを与えられる機会は、そうそう無い。
このへん戯言気味だけどご愛敬。
要望とか欠点
もちろんEgretlistも万能ではない。個人的に改良して欲しい点は以下の通り。
- ユーザビリティーに難あり
- 例: list入力画面でバツボタンとSave&Closeのアイコンが一貫していないし、そもそも位置がいみわからん。バツはキャンセルなのだけど、まるで削除の様に見える↓
- 起動が遅い
- 思いついたTODOをパパッと登録するには遅すぎる*4
- CATEGORIESを紐づける相手として、TAGだけじゃなくNOTEBOOKも選択可能にして欲しい
- 例えば僕は仕事関連のNoteにタグを付けているわけではなく、Notebook単位で管理している。仕事関連のメモはすべて特定のNoteBookに入れているわけだ。だから、ResponsibilitiesやRolesの対象としてTagだけではなく、NoteBook単位でも選べるといいな、と思う。
- ポップな見た目は好みが分かれる
- もっとスッキリした玄人好みのスタイルにすることも出来ただろうに、あえてデザインを遊んだあたりは好みが分かれる所。僕は好きだが。。
まとめ
Blog
書籍
『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』でまとめられたDavid Allenの理論がいわばBible*5で、それを如何にして実装レベルまで落とすかが、個々のツールの(GTD業界中での)価値を決めている。
この、「理論の実装」とうい観点から見れば、Egretlistは機能としては見事にツボを突いているし、必要なだけの柔軟性をも備えている(例: "Contexts"カテゴリに対応するタグは必ずしもEvernote上で"Contexts"というタグを付けられている必要はなく任意の名前を利用できる、等)
これが350円は安い。
また、EverNoteとがっちり連携していることで、たとえEgretlistの開発が止まろうとも、EverNoteさえ残っていれば今までの継続は無駄にならない*6。この点も大きい。
最近 Evernote API を申請&取得して、さて何して遊ぼうと思っていたんだけど、 Egretlist に先を越されてしまった感がある。くやしいような、嬉しいような。
おまけ
はじめてのGTD ストレスフリーの整理術 | |
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Life Hacks PRESS ~デジタル世代の「カイゼン」術~ | |
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仕事上の達成感を得る至上の妙薬、自由意志。
弊社では四半期に一度、MBO (Management Buyout...ではなくManagement by Objective) の名の下に、上司との面談及び業務上の目標策定を行う機会が設けられる。いつのまにやら入社して3ヶ月が経過し(もう3ヶ月かよ!)(こんだけ濃くてまだ3ヶ月かよ!)、第二回目の面談が行われた。
そこで僕の訴えた問題(?)というか最近の懸念事項は
「やる気をもてあます!(意訳)」
というものであった(これはひどい)。
...有り体にいれば、張り合いがなかった。やる気はあるのだけど、それを振り向ける先を一時的に見失っていた(現在助走中のプロジェクトが本格化すると気持ちよく炎上できて氏ねそうな気配なんだけど、インターバル期間のようなところにいる)。前回の「壁」 はとりあえず乗り越え、Mezzanine(中二階)(中二病ではない)のような部分にいるのかもしれない。...という意図。
不足で満たされているという事実は頭では認識していても、密度の濃い状態に慣れた身体と心は、さらなる充実を渇望する。
欠乏を感じた時には二つの道がある。
- 密度が薄まった仕事の代わりに、労力を別のものごとに振り向ける
- 仕事範囲を拡張し、薄まった空間に新たな仕事を詰め込む
僕が選択したのは後者であった。真空を嫌うように仕事を探した。
わずか数ヶ月の会社働き経験から、僕は「責任」を持たないとロクに仕事しねぇことが明らかとなったので、できるだけ自分に責任が降りかかる形で仕事を引き受けるように振る舞った。
目前の選択肢に真先に飛びついて、あるいは関係のないプロジェクトに自分から志願して、また、「やる気をもてあまして」いるという、色々と甘い僕の訴えに応える様なタイミングで、噛み応えのある社内PJを上司から与えられ、僕が手伝うことと相成った(ありがとうございます)。
そして僕の手の中にはおもしろい仕事のタネがいくつか乗っかっている状態となり、斯くして「やる気をもてあます」状態は、わずか1,2週間の悩みとして終焉を迎えることとなった。
あとは、実践だ。これを僕はどう料理していくことになるのか、結構、楽しみにしている。
※ただし実践に伴う「性格上の不都合というかある種の不得手」も、実は今の時点で見えている。脅威が実現してはいないものの、そのうち実体化するであろうことが予測される。僕の次なる壁となるか、もしくは回避可能なウィークポイントという立ち位置に落ち着くのかは分からないが。
どんな仕事でもおもしろみを見いだせる!...とは言わないが(言わないのかよ)、おそらく僕が集めたプチ・プロジェクト*1たちから学べるであろうスキル/知識は、僕のこの先に繋がるであろうことが予測できる。先に繋がるという価値観は僕にとってホントウに意味のあるものだ。
もちろん、僕の関わり方次第、真剣度次第ではあるけど。
※既に、"新サーバーへのLinuxインストール及びセットアップ、ネットワークの設定"という仕事が (だいたい) 片付いた。「ネットワークは要するに決まり事とテキストファイルのコラボレーションであり、大したこと無いもんだ」と気付いた*2ことも収穫だし、OSガンガン入れたり消したりソフトウェアRAID設定したり、というあたりの実地経験がちょっと積めたことも大きい。実は"仮想化"の設定をもう少し突っ込んで調べたかった*3んだけど、流石に横道に逸れすぎだし、ということでここは"おあずけ"にしている*4。
先述のMBOにおいてもうひとつ、「張り合い」を得るために、日々の仕事から小さな達成感を見つけ出そう、という課題も持ち上がっていた。
そこで僕は自分自身の仕事ぶりとそれに対する心の反応("張り合い"とは結局のところ精神状態だ)をよく観察してみたところ、ひとつの要素が浮かび上がった。僕が「張り合いがある」と感じ、達成感を得ることが出来るのは次の様な場面である。
僕は、あまりプロジェクトが終了したその瞬間には達成感を感じない(開発プロジェクトの最後ってイマイチ締まらないなぁ、という印象を持っている)。
それよりもむしろ、お客さんもしくは協力会社 -- つまり元来「仲間という前提」のない人 -- と、何かの面で(それは仕事上の話でもいいし、ちょっと踏み込んだ個人的な話でもいい)「同じ方向を向いている」と確信出来る出来事や経験、そういったものに達成感を感じる。
コンテクストは電話だったり、打合せだったり、メールだったりするが、とにかく「あー俺たち一緒に仕事してるぜ!感」といいますか、「相手は自分を人間として見てくれていて、人間としての自分が何がしかの役に立てているという確信」とでも言えましょうか。兎にも角にもそのような感覚が己の達成感を醸成している自分自身を発見したのであります。
知識が増えるのはおもしろいし、楽しいし、嬉しい。それでも僕は、ただ知識が増えるだけではやる気を励起できない。これは自分にとっても新発見だった。
僕は僕自身を知識大好き人間だとおもっていたし、確かに今でも変わらず好きだけど、
自分自身が仕事という文脈上に組み込まれ、いくばくかの価値/プラスの影響を提供できているのだなという確信が持てた瞬間も、同様に幸福感/達成感を感じるのだ。
この小さな発見を僕が僕自身の哲学上に組み込むことを試みるとすれば、
ひとが達成感を感じる源泉はすなわち、自分が"意志ある存在として認められた"ということであり、自分自身の自由意志がそこに含まれるか否か、という1ポイントに集約される。
人は誰でも「労働力」「頭数」「人的資源」としてではなく、人間として価値を認めてもらいたいと考えている。組織内での地位にかかわらず尊敬されたいし、個性や持ち味を評価して欲しいのである。
(ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する, p.237)
「自由意志」に基づいた評価を求める会社人は、ただの単純作業であろうとも、可能な限り「俺はここにいる」という事実を知らしめようとする。
この種の仕事のやり方は、純粋な仕事の達成能力がない時期においてはリスクになりうるものの、仕事の「達成感」とそれに繋がる次の「やる気」をもたらす、汎用的な指標(ただし定性的)なのではないかと、今の僕は考えている。
人間意識はアイデア共有のために作られた。これはつまり、人間のユーザーインターフェイスは生物学的にも文化的にも進化で作られたと言うことだ。それは信念や計画を伝え合い、記録を比べるという行動上のイノベーションへの対応として生じたものだ。これは多くの脳を心に変え、そしてこの相互連結が初めて可能にした著者性の分散は、その他自然に対する人間のすさまじい技術的優位性の源であるばかりか、道徳性の源でもある。自由意志と道徳的責任の自然主義的な説明で必要な最後の一歩は、人それぞれに自分自身についての視点を与えるに至ったのが、どのような研究開発の結果だったのかを説明することだ。その視点という場所から、われわれは責任を取るのだ。
このアルキメデス的な場所の名前は、"自己"だ。
(自由は進化する, p.360, 強調引用者)
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ジャマイカ記想録(2)--夏とイグアナと初戦敗退
ジャマイカは暑い。ほぼ赤道直下であることを考えると仕方ないが、日本/北アメリカとのギャップが激しいので感覚が狂う。爽やかな朝...とは行かず、いきなり太陽が本気モードで登場し「えっちょま」とか思ってるウチにほとんど日本の真夏を超える強さで照りつけてくる。
日向に出た途端にカンストする紫外線カウンター。
ちなみに治安が悪いため、あらゆる窓には鉄格子と南京錠。最初はびびったけどだんだんこれが普通に思えてきたのであった。
この日、西田さんの奥さんに案内して頂いて最初に向かったのはHOPE GARDEN...ちょっとした公園かと思いきや、かなり敷地が広い。気分はTHE・熱帯。
そして、HOPE GARDENの中にはなぜか動物園がある。そこらへんの山に入ればいくらでも居そうな気がするが、点在する檻の中に(色々と偏った)動物たちがのほほんと暮らしている。
どうもこんにちは
イグアナ種類居すぎ。関係ないけどイグアナの娘ってドラマが昔好きで見てたな。小学生くらいの時か。
途中でどこからか女の子が合流して、先頭に立って案内し始める。謎である。
↓ジャマイカンカラーのユニフォーム(?)を着た子供達が爆走している。
昼飯はベジタリアンレストランでベジボールとやらをいただく。スパイシーでうまい。肉じゃないとすれば、豆腐だろうか。うまいからいいや。
レストランからの風景がこれまた広大。
ところで、西田さんの奥さんは、UNIVERSITI OF TECHNOLOGY JAMAICA、通称U-TECで日本語教師をされている。本日は授業があるとのことで、僕も大学の授業に飛び入り参加させてもらった。いいんですか><。職員室は"夏休み中の小学校"のような雰囲気であった。。
授業が始まる。こちらの人ってなんか年齢不詳に思える。
日本語での数の数え方、4が「し」と「よん」の二通りあったりするあたりが、どうも難しいらしい。日本の遊びを紹介するということで、たけのこニョッキ。
なかなかシュールな光景です。敗者は頭をピコピコハンマーでしばかれたり、デコピンされるなどします。
続いて「たたいてかぶって」トーナメント戦に、満を持して参戦。純日本人の底力を見せてやんよ?
気を取り直して、夜にはブルーマウンテンに車で連れて行っていただきました。ええ、コーヒーのブルマンです。本場です。ちょっと小高い山の上に、小洒落た店が。
ブルーマウンテンからキングストンの夜景を望み、ブルーマウンテンコーヒーを飲む。肩を寄せ合って夜景を見る白人老夫妻がいて、いいなぁ、と思うなどしていた。
そして帰宅。現在ジャマイカは水不足で水道から水が出ないため、夜は、貴重な水(たま〜にちょろちょろ出てくる)を使って水浴び。案外2,3Lで身体を(ひととおりは)綺麗に出来るもので、いかに普段自分が贅沢に水を使っているか痛感した。不自由を常と思えば不足なし、ってか。誰の言葉だっけ、と調べたら徳川家康だった。
不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りこそが敵と知るべし。
(徳川家康)
そんじゃーね。(ちきりん風)