価値ある批判の難しさについて
誰でも否定はされたくない。ネットに自分の意見を晒すというのは、思考の客観視、リアルなら不可能な量/質の意見、反応の観察、人脈の拡大、Web名刺化など多大なメリットをもたらす一方、リアルではあまりない、思わぬマイナス感情を向けられ、戸惑うことがある。
コメントやはてブで人生の先輩や経験者、似た境遇の人から有益な意見をいただけるのは一度体験すると病み付きになってしまうほどうれしいことだが、どうしてもその中に一定数、病み付きよりむしろ病みそうなものが混ざってくる。
ちょうど私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)の中で梅田さんが
ネットでの反応は九割はOKです。20%は、自分と親和性が高い。70%はつかずはなれずで、残り10%がシニカル、その半分が極端で、結局その5%に傷つく。5%でいやな気持ちになるけれど、残りの大多数はポジティブなものなのです。その一万とか二万のポジティブなものを一度経験してみると、5%の批判はたいしたことでない、と思えるようになります。
と言うように、全体からの比率を考えると大して気にすることではないのだけど、その5%が気になってブログをたたむ人もいる。
そんなひどい文章を書かない限り、また躁鬱状態になってむやみやたらに人格攻撃をばらまかない限り、この比率は大きく揺るがず、気にしなければ済む話なのだけど、僕自身がなんとなくネットの言葉というものに慣れてきた気がするので、主にネガティブなものに対しての考え方というか、思ったことを書く戯言。
無駄弾を受けに行かない
ちょっとひねった見方をしただけだったり、自嘲や、誰ともなしに空気を皮肉ったものだったり、それを「自分のことじゃないか」とか心配するのは無駄。
はてブのコメントに多い。とりあえずスター付けとこう。
自己棚
明らかに自分に向けたもので、「うっ」と思うようなことを言っている人でも、その一発言だけを見て悶々とするより、その人のバックグラウンドというか、ネットの活動を少し眺めてみるとおもしろい。
そういう人ほどブログで思わず苦笑するようなことしか書いてなかったり、誰に対しても常に馬鹿にした態度を取っているだけだったり、なんだかなぁ、と、気に病んでいたことが馬鹿らしくなる。
言いたいだけ
上記の自己棚症候群は少なくともネット上のIDを明らかにしている場合に限られ、それ以前、すなわち匿名、少なくとも自分の立場を明示しない「通りすがり」さんの批判は「ただの書き捨て」と見たほうがいい。彼らは自己顕示欲を満たしたいだけであり、電車で足を踏まれたようなものなので、無視するのが賢明。
言い返しても通りすがりさんはもうここを見ないだろうし、もし何かの間違いで見ていて下手に再反論されても、不毛な議論が続くだけ。
2ちゃんねるとの差異
匿名の辛辣な言葉なら某巨大掲示板にいくらでも転がっているが、ブログというメディアの性質上、たとえ文章を書いた本人が身分を隠していようとも、匿名のコメンテーターに比べ逃げ場がないため、「一方向性」の攻撃となる。
正座して傾聴すべき批判
逆に批判者自身が、ネットで多くの人の目に晒されていたり、批判を受けていたりする場合。彼/彼女は批判の重みを知っているとして、正座して傾聴する必要がある。
ただ見たところdankogai氏は例外で、本人がマッチョすぎるのか、言葉の重みを知っているであろう立場にいながら、無駄に攻撃的な「書き捨て」を行うことがある。たとえばこんな。
404 Blog Not Found:学校ってバカを治療してくれんのか
とは言っても、dankogai氏に言及されるというケース自体が珍しいので、あまり気にする必要はないかもしれない。むしろ404からトラバを張られることによる大量のアクセスと関連エントリの乱立はいわばブロガーの「ボーナスステージ」であり、内容よりむしろその「炎上」に奔走する羽目になるのが現実的なところではなかろうか。弾さんごめんなさい。