白鳥のいた町
彼が二つ目に住んだ土地—街というにはあまりに小さく、静かで、なにもなく、そして平和であったその町—には、かつて白鳥が舞い降りたという言い伝えがあった。
なにか大昔に白鳥の姿をした神様がこの地に降り立ち、人々はそこに神社を建て神様を奉ったという話であった。その神社は彼が生きた現代にも残っていたが、特に何か変わった所があるでもない、林とほぼ一体化しているこぢんまりした神社だった。正月には初詣に訪れる地域の人々でそれなりに賑わい、夏には夏祭りが催され、林の中から花火を打ち上げるという火災を恐れぬ大胆な(しかし玉数はさほど多くない)イベントで祭りを盛り上げたということであった。
それにしても不自然なのはその言い伝えであった。彼は初めてその話を聞いた時、幼いながらにその神様はどうしてこんな辺鄙な所に舞い降りたものだろうかと訝しみ、それはひょっとしたら飛行機の不時着のようなものだったのではないかと考えた。神様はどこかを目指していたのかもしれないし、飛ぶこと自体がその神様であったのかもしれない。少なくとも飛ぶことをやめる瞬間は神様の想定しないアクシデントであり、不名誉であったのだろうと彼は確信するに至った。
白鳥の姿をした神様は今もどこかを飛び続けており、人に問われたとしても、不名誉を忘れ去りたい神様は、彼の住む町のことなど知らない振りをするのではないか。それでもこの地の人々は、神様とひとときの接触を持ったことを誇りにして生きているのか、と考え、なんだか間抜けで、ばつの悪い話だなと彼は思った。
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彼は小学校に上がる少し前にこの土地へと越して来たが、彼にはそれ以前の記憶というものがなかった。そういうことになっていた。
そういうことになっていた、といういくぶん奥歯に物の挟まったような書き方をするのは、彼は自分自身の来し方に関する周囲の説明を、感覚的に受け入れることが出来ないでいたからであった。彼は記憶喪失だった。
彼の人生は唐突に、前触れもなく、音もなく、気配もなく、5歳か6歳の頃から始まったと認識していた。彼の記憶はラズベリーの鉢植えから始まっていた。甘いラズベリーが好きで、庭にラズベリーの木があれば素敵だろうと苗を植木鉢に植えたばかりで、大きく育った木からラズベリーをもいで食べることをとても楽しみにしていた。
それが最初の記憶であり、次の記憶は病院のベッドの上だった。それ以外は何も残っていない。ベッドの周囲には、自分を覗き込む知らない顔たちがあった。
記憶喪失とは言っても、知識としての記憶はしばらくすると彼の頭にひょっこりもどってきた。彼の5年間、すなわち標準的な5歳児の語彙、論理思考、世間常識、人間や事物の固有名詞といったものは幸いにして残っていたようだった。しかし、彼自身と記憶の間に存在したはずの関連性は、どうしようもなく絶望的に、失われていた。
ラズベリー以外のあらゆる記憶には、自分の名前や肉親の顔に至るまで、記憶に本来付属するはずのストーリー性、彼自身の実感、生身の重み、喜怒哀楽、好き嫌い、肉体的記憶....そういったものがまったくと言っていいほど欠落していたのであった。あのラズベリーの鉢植えは、一瞬の映像でありながら、青い草の匂い、しっとりした土の感触、味、高揚感、未来への期待まで彼の五体に染み付いているのがわかった。それ以外の情報は彼にとって無機質なノイズでしかなかった。
彼は初め違和感を払拭しようとして、思いつくままに物事を病院のベッドの上から問うたという。しかし、彼が過去の彼に関連づけられた知識を披露した際、両親とされている人も安心したようであったし、医師も安心しまた満足したようであった。彼は人が安心する様子を見ることが好きである彼自身に気がつき、それを良しとした。
違和感を払拭することを諦めた彼は、ノイズの中から生き始めることにした。
致死率の高い、ウイルス性の、脳の炎症。後から彼は記憶喪失の原因をそう聞いた。突然泡を吹き、意識を失ったまま救急車で運ばれたらしい。どれくらい眠ったのか、目が覚めるとすべて忘れていたという。日常生活が可能なまで回復してから(回復にさほど時間はかからなかったというが)およそ10年、彼は年に数回病院へと通い、血を抜かれ、頭に電極を付けてその挙動を逐一観察されたが、果たして完治の診断を受けた。
医師によれば、命が助かったばかりか後遺症がまったく残らなかったのは奇跡と言って良く、もし彼に関わる誰かが何らかの信仰を持っていたか、外部のイデオロギーに救いを求めようとしていたとすれば、信心を深める要素として十分なほどには低確率であったのだろう。
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小学校に白い鳥が飼われていた。彼は最初それを白鳥だと思ったが、実際は鵞鳥であった。彼はそのときになって、自分が本物の白鳥を見たことがない事実に思い当たった。だから彼は白鳥が飼いたいと願い、それを何かの拍子に、両親に軽い調子で言った。白鳥を飼うことは出来なかったが、しばらくして、彼は文鳥の雛鳥を飼うことになった。
彼は文鳥にえさをやるのが好きだった。その頃彼は、卵から孵って間もない雛鳥のことをずっと考えていた。その小さな暖かみは彼の手のひらの中でプチプチという音を立てて鳴き、もぞもぞと動き、プラスチックのスプーン—雛鳥にえさを与えるときは、金属スプーンではなく親鳥のくちばしに似た感触を持つプラスチックスプーンで与えなければならなかった—に低温のお湯でふやかしたアワの実を載せてそっと差し出すと、いまにも消えそうなキュイキュイという音を発しながら、小さな身体に似合わぬ強い意志を持ってそれを必死についばむので、彼は文鳥に餌をやるたび、ぞくぞくとした喜びと高揚を覚えた。
雛鳥と呼べないほどに大きくなった文鳥は、しばらく部屋の中の鳥かごで飼われていた。時折、部屋に放して遊んだ。人の手で育てられた文鳥はとてもよく懐き、チ、チ、チ、と呼ぶと、ぱたぱたと飛んで来て肩や差し出した手の指、時には頭の上に止まるのである。
だからその文鳥とある意味で別れて行くとき、彼は悲しくて仕方が無かった。ある意味で別れたという言葉は死別を意味するものではなく、むしろ観念的な、今も昔も彼の最優先事項である、人の心と記憶の問題であった。
獣医である彼の父親は無類の鳥好きでもあり、家の庭には大量の鳥小屋が据え付けられていた。彼が手のひらで餌を与えた文鳥は、ある時期になるとその鳥小屋の一つへと移された。彼は時折こっそりと文鳥を見に行っては、チ、チ、チ、と呼んでみたが、鳥頭という言葉の示す通り文鳥は次第に彼のことを忘れて行くようであり、それが彼にとって何より悲しいことだった。
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彼はある時、放課後の教室でたまたま好きな女の子と二人になった。脳の治療を終えて退院し、幼稚園で会った頃から好きだったその娘が彼にとって事実上の初恋になるのだろう。色白の肌と肩口で切りそろえた髪が印象的な女の子で、多くの騒がしい女子とは一線を画した、落ち着いた雰囲気があった。通算4年か5年目に達する片思いの相手であり、ともかく彼は、その女の子と二人きりになった。
しつらえたような状況に気圧され、二言三言、言葉を交わしただけで彼はこれ以上ないほど動揺していた。教室には夕日が射しており、橙の光を背に受けて彼女はとても綺麗に見えた。彼はどうしようもなくなり、驚くべきことに、寝たふりをした。心臓が相変わらずその活動を弱める兆しを見せなかったので、机に突っ伏して、それ以上の交流を拒絶した。
拒絶は彼女の側から破られた。いつの間に近づいたのか、彼女は机に置いた彼の頭をその手でそっと包み、彼の髪の毛に顔を埋めた。そして、彼の名前を呼んだ。それは返事を期待しているような、いないような、つぶやくだけの、しかし切羽詰まった声色に思えた。彼は心臓の限界を感じながら、その瞬間が永遠に続くことを願った。
彼はその後、彼女とどんな言葉を交わし、どうやって別れ、どうやって帰宅したのか覚えていない。浮ついた気持ちとはまさにこのことだ。その夜、健全な小学生のご多分に漏れずひとしきり妄想を膨らませ、明日会ったらどんな風に声をかけよう、などと思いながら眠りについた。
その翌日、喪服の女教師は彼女が死んだことを告げた。
彼の記憶では翌日だが、実際は数日のブランクがあるのかもしれない。何しろ彼は記憶を信用しないこと関しては右に出る者はないほどの動機を有しているので、細かい時期は定かではない。ともかく、それは起こった。しかし驚くほど実感がない話だった。彼は涙を拭いながら話す女教師をぼんやり眺め、ああ、また放課後に話そうと思ってたのにな、と思った。今度は寝たふりをしない自信があったし、いくつか気の利いたセリフも考えていたから、それらを使う機会を失ったのがなんとなく残念だった。
葬式に出席したものの遺体を見ることは許されず、数十人のクラスメイトは式場の外で数時間立たされていた。寒い冬の日だった。彼は寒さとそれ以外の何かに震えながら、周りを見渡した。どの顔も、小学生の限度を超えた高い社会的能力が必要とされる状況に対処する術を持たず、押し黙っているのがわかった。彼もそれに従った。
小さな学校で6年間クラス替えはなかったため、主人がもう着席することのない机は、卒業までの間クラスに置かれることになった。
だんだんと日常に戻って行くクラスを見ながら、彼は、忘れてはならないと思った。少なくとも忘れて欲しくなかったから、あの日彼女は彼の名前を呼んだのだろう。それ故に、彼は忘却しないことを自分自身に強く課した。誓った。少なくとも、そのつもりだった。
およそ1年後、彼はふと、その娘の机に腰掛けて友人と談笑している彼自身を発見した。足をぶらぶらさせながら笑う彼の腰の横には、日直当番が毎日水を変えていたのだろう、凛と咲く花が生けられていた。彼はその横に無造作に腰掛け、この教室に残った彼女の生命の痕跡を蹂躙し、冒涜していた。
気が遠くなり、目の前が真っ白になった。どくん、という音は、彼の耳の奥を流れる血液であるらしかった。なにか分からないものがこみ上げ、彼は恐怖し、嫌悪し、絶望した。ずっと忘れないと決めたはずの人を、彼はあっさりと忘れていたのだ。
他の誰でもない、彼自身が文鳥であった。
この時になってようやく、彼は自分の慕った人間がもうこの世に居ないことを認識した。目の前を覆い隠していたブラインドが取り払われた先には、現実がその顎を開いて存在していた。忘れて欲しくないから?そんな馬鹿な話があるか。あれは助けを求めていた。少なくともあの日彼女を止めることが出来たのに、そのきっかけはあったのに、彼は彼自身のつまらない精神を優先させ、もっと貴重なものを失う結果となった。
彼は自分自身を罪深い人間だと判断し、彼女の跡を追って消えるべきだと思ったが、幸か不幸か彼にはそれを実行するだけの勇気が不足していた。しかし彼女に出来たことが彼には出来ないというその事実が、ただ生き続けるだけで日々彼を自己嫌悪の渦に飲み込んで行くことも、容易く想像出来た。
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かくして、彼にとっては人の気持ちも記憶も、どこかから理由も無くやって来て、理由も無く消えるものとなった。あの雛鳥のように。気持ちの入れ物である人でさえも突然消えるのだから、いったい何を信用すれば良いのか、彼には分からなかった。
そして彼は自分自身を含めたあらゆる物事の永続性というものを信じることが出来なくなり、同時に概念の永遠性、受け継がれて消えることのない不滅の因子というものに、ひどく、病的なほど、憧れるようになった。
何人か彼のことを好いてくれる人にも出会ったが、信じることがどうしてもできなかった。何年付き合おうと、根本的な不信感が拭われることは無かった。彼自身が彼の経験について触れることを好まなかったし、たまに経験の断片を口に出すことがあっても、相手はそれ以上触れないように気遣った。それが正常な対応であった。彼と結婚したいとまで言った人も、最後には彼の元を去った。むしろ、関係が長くなればなるほど恐ろしくなり、彼の方からそれを望んだ。そうして彼自身の、永続性を信頼しないというドグマを保護しようとした。彼は関係性の持続には継続的な更新が必要であることを、致命的に理解していなかった。
忘れられることはとても恐ろしく、忘れることはもっと恐ろしい。
だから彼の命にしても、記憶が始まった時と同じく唐突に、前触れもなく、音もなく、気配もなく消え去ってしまうのであり、それは今日かもしれないし、50年後かもしれない。
彼が消えたあとの人々は、あの文鳥のように、彼自身がそうであったように、彼のことを忘れて行くだろう。遠い未来ともなれば、不名誉な不時着に言及された白鳥の神様のように、そんな奴は知らないと顔をしかめるに違いなく、罪深い彼に関する限りそれは恐ろしくも正しいことなのだろうと、彼は思った。