戦略のない人間は"失敗"の自覚がないまま幸福感に包まれて死ぬ
SVC報告会から遡ること1週間...土曜、昼、渋谷にて。id:katsu8さんと会ってきた。彼とは元々、"焼き鳥を食いながらsyou6162のけものみち転落を祝う会*1"にて始めて出会い、そのとき少し話して、ハチロク周辺には珍しいビジネスよりの志向を持っていることに気が付いた。是非また話そうと約束し、その後SVCを挟み、帰国を待ってようやく対話の機会を得たという経緯がある。
本格的なハンバーガーショップで崩れ行くアボカドバーガーに悪戦苦闘しながら(おそらく思考リソースの30%程度はバーガーの食べ方に割り振られていた)、理系と文系・シリコンバレー・ベンチャー・スタートアップ・今までの経験などについてサシで話をしてきた。超楽しかった。
後に、以下のような感想を頂いた。
Hashは青魔導士。吸収系魔法のように人の話を聞いて、それをHPにしてさらにパワーアップ(考えを深め)するのだ。パーティに加えておけば、そのうちとんでもない魔法をラーニングしてくれるに違いない。
ハチロクやネット、勉強会で出会った変なヤツらや地元の友人を集めてパーティーを組む、という考えにしばし「アイツは前衛殴り込み、コイツは遠距離射撃でソイツは援護魔法使い...」と妄想を飛ばして楽しんでいた。それにしてもなぜ僕の好きなジョブが青魔導師だとわかった!
で。確かに、話していたとき、聞いてばかりいたような気がする。すみませぬ。まぁ、だいたいいつも人と話すときは聞き役*2なのだけど、彼の語る内容が非常におもしろかった点も確実に影響しているだろうと思う。
詳細を公開することは避けるけど、話を聞く限り、普通の学生を大きく超えた経験をしてきたタイプであることには間違いなく、今後もいろんなところで絡んでいきたい。そんな彼がSVCを通じて新たな世界を開拓したストーリーを、自分のことのように嬉しく聞いていた。
中途半端は失敗なのか?
対話中で少し気になったことがある。僕が彼の多様かつ貴重な経験を褒めたところ、
でも全部中途半端で、失敗の数なら誰にも負けませんよ。
という旨のことを返された。謙遜の一種かもしれないが、僕自身いろいろなことに手を出して中途半端に終わることが多いため、少々気になったのだ。よってここから派生して"中途半端に終わることは失敗なのか?"に始まり、さらに脱線していつものように戯言を書こうと思う。
戦略がなければ負け戦もない。
結論から書こう。失敗・成功という概念は目的を明確にしたときはじめて意味を持ってくるもので、「目的を明確に」とは、多くの自己啓発・ライフハック・経営論において繰り返し強調される要素ではないかと思う。
戦略がないから、負け戦の自覚もない。
V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫), p.142
辿るべき道筋、辿り着くべき場所があるからこそ、道を外れていたり方向を誤っていることに気付くことが出来る。それがなければ、「これだけ歩いたからいいや」と途中で止まることも何とも思わないし、もっと言えば「進んでいる」ことに満足するだけで終わる。その先は切り立った崖かも知れないのに、だ。
id:katsu8さんはそれぞれの活動においてあるべき姿、達成すべき目標を明確に持っていたからこそ、そこに至らず中途半端に終わったことを「失敗」と認識できたのではないかと推測する。
以下、例によって自分の話。
僕はどちらかというとこのタイプからは遠い。何故か冷静・論理的に見られがち(とくにリアルのわずかな接触でしか僕を知らない人)な僕の実際の性格は、非常に適当かつ勢い任せの気分屋で、「めんどくさいか否か」が意志決定の半分を占めるような人間だ*3。とりあえず速度重視でいろいろと手を出してみて、後から考える。だから一つ一つの活動は中途半端に終わることが多いし、
いろいろな世界に顔を出し、そこに存在する人と物事をIndexingする必要がある。しかし、"ちらっと顔を出された"世界側の人にしてみれば
「なんだあいつは、俺達は本気でやっているのに中途半端に関わりやがって」
という印象を持つのも当然で、僕はこうして人間関係をこじらせることが今まで良くあった。
つくば変態三銃士がDBCLSに集結し、世界の秩序が崩壊する - ミームの死骸を待ちながら
このような問題にぶつかることも多い。戦略は後から付いてくると考える行動駆動思考型で、根本的なところで計画を立てるのが苦手。この性格がある種の飽和状態に達し、最近どうやらLocal Minimumにハマってしまったらしく、今後どうするか迷っている。
最近幸福なので危機感を感じている
もうそろそろ一年前の話になろうか。自分に合わない研究室に精神を削られ、理由もなく涙が出て眠れない日が続き、当時の僕の思考は暴力的で余裕のない、自己中心的なものになっていた。思い出しても気持ち悪い。
研究がうまくいかないのに、研究以外のことをしていていいのだろうか。*4
毎日死ぬことばかり考えている僕のような人間が自殺するんだと思う - はてな匿名ダイアリー
精神科(?)にお世話になり、薬を処方され、最終絶対兵器診断書をGETし、いろいろな人の助けを借りてそこから脱出し、新しい研究室に拾ってもらった。
その後、環境も落ち着き、就活も満足の行く結果に終わり、研究もようやく軌道に乗り出した。人間関係も基本的に良好であり、毎週のように新しく面白い人に出会っている。充実しているし、先日id:m_hさんとの対話で
Hash「そうやねー、最近幸せやと思う」
今週もバイトで東大行ってきたことなど。 - ミームの死骸を待ちながら
こう答えたように、幸せであるとすら思う。ええことやないか、と思う反面、心のどこかで焦り・危機感のようなものが確実に存在していることも感じている。
GOODはGREATの敵である
"Good to Great"の著者らは「GOODはGREATの敵」であると述べる。
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おそらく今の幸福感は"GOOD"であり、"GREAT"にほど遠い偽りのゴールなのだろう。今の地点は小休止地点に過ぎず、その先にどんな道筋を描くかこそが大事だ。当たり前のことだが、最近の充実感に浸って、未来を想像するという苦行を怠っていた。小六の頃から共に生きてきた「現状に満足したら終わり」という焦燥感が薄れている*5。
このごろ、人生の有限性というものを強く意識するようになった。以前は何でも出来るような気がしていた。将来像の中で僕は素晴らしい成果を挙げた偉人であり天才以外の何者でもなかったが、もちろんそれはただの夢想に過ぎなかった。
ポジティブシンキング的な意味ではもちろん「何でもできる」と思うことは大切なのだけど、可能性が無限であることと無限の物事を達成可能であることは、決して等価ではない。
何かをするということはそれ以外のすべてをしないことに同義であって、いくら可能性が無限に広がっていようが*6実現される現実は常に一つだ。僕はアクメツにはなれない。選択肢を選択しないまま目の前に広げて悦に浸っている阿呆は、決して阿呆以上にはなれない。
この辺を自覚した僕は軽く絶望すると同時に、少しは現実を、足元を見るようになった。今の自分も悪くはない、とようやく認めることが出来た。しかし現実が実現されて行き、現状を肯定できるようになるにつれて、将来を夢想することすらやめつつある自分に気が付いた。
青魔導師は何のためにアルテマを覚えるのか
このままではなんとなく幸福なまま終わる。アルテマを覚えた青魔導師は何をするのか?ひょっとしたらレベル5デスをラーニングするだけで目標は達成できるかも知れない。やるべきことを明確にしないと徒労が増える。経験の幅にも限度がある。人生の有限性に恐怖しつつそう思う。
何のために、何をするべきなのか?今の充実を、どの方向に振り向けるべきなのか?
就活が終わって一段落付いた今、こんな悩みを持っている原因の一つは、2009年の目標を立てなかったことではないかと思う。どうせ就活が終わったら事情が変わるから、正月に一年の計画を立てるのも不自然かも知れない、と思ったためだ。事実4月に入って生活が大幅に変わった*7。
しかしその生活も安定状態に達したここに来て、戦略を持っていないことが切実に問題になってきた。拡散は一端自重し、今後の戦略を立てる必要がある。
Stay Hungry, Stay Foolish
もっと頭のネジ外しまくろう。ヘンに落ち着くのを止めて不安定でいよう。リスクすなわち高いボラティリティを許容しよう。好きなことをやると文句を言われ、言われたことをやってもぐだぐだケチが付く。ならばやりたいことをやった方がいい。これは間違いない。無駄という名の"dots"は、いずれ振り返ったときに実は連携していたことが分かるのかも知れない*8。
それでも、長期的にやりたいことをやるためには戦略という名の道筋が必要だ。今の僕にはそれがなく、このままでは独自のミームを残すことなく死滅する。GW中にもういちど考えてみることにする。
今日はいつもにましてアレな感じの日記だ。まあいいや。超楽しい。世間知らず上等、欠点とか知るか。ごめんなさい。
まとめると
"発展途中だし、だから不意にピッチ外れるんです"