現代金融のパラダイムが終わりつつあるならば。:『ソロスは警告する』書評
経済が異常事態ですね。不謹慎ながらもわくわくしてしまう。
日経平均は前日比881円安の8276円で引け*1。ダウも9000ドルを割り込み、"○○年以来の低水準"という表現がどんどん遡っていく。
円-ドルもふつうに100円切ってるし、10日夜の報道では、麻生首相が自社株購入の制限を今年に限って撤廃する*2よう金融庁に指示。金子国交相は「バケツの底が抜けた」と表現した。
このような最近のマーケットの荒れを見て、『ソロスは警告する 超バブル崩壊=悪夢のシナリオ』*3を最近読んだこともあって、
「経済の常識がぶっ壊れるのではないか?」
という可能性を考えている。就職した同期であるところのid:leolioもこの動きを見ている。
アナリストのレポートを見るとセリングクライマックスだという声もあるし、配当利回り、PBRを考えても普通であれば割安感充満の相場。それでも関係なしに落ち続けるのは何か世界のパラダイムが変わろうとしているのかもしれない。これまでもてはやされてきた投資理論やヒストリカルなリスク評価法、さらには財務指標などがあまり当てにならない、急に視界が闇になった状態にマーケットはパニックに陥っている。
---------- From The Earth ----------: マーケット大荒れ
僕が市場に関して「常識」と思っている*4内容は、以前にエントリを上げている。主観的だけども。
つまり効率市場仮説、現代ポートフォリオ理論、ノーベル経済学賞に乗っかって、市場自体に投資、分散投資するという方針だ。個別株式の投資を辞めたときからずっとインデックスファンドのお世話になってきた。
ところで僕は、論戦にでも巻き込まれない限り*5、書物や新情報、人との出会いに過大な影響を受け、わりと簡単に主義主張を放棄し変更する性質を保有している。
上記のように「積み立て投資やー資産形成やー」と信じ込んでいた僕は、この『ソロスは警告する 超バブル崩壊=悪夢のシナリオ』にかなり衝撃を受けた。というか、「言われてみれば...」と考え込んで、少なくとも以前の「常識」はもはや確実とはいえないという認識に至った。
- 作者: ジョージ・ソロス,松藤民輔(解説),徳川家広
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/09/02
- メディア: 単行本
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伝説の投資家ジョージ・ソロスGeorge Sorosの著作。2008年3月に慣行され先月邦訳が出版。恥ずかしながら彼の本を読むのは本書が初めてだが、今年僕が読んだ本の中で間違いなく三本の指に入るほどのインパクトを受けた。彼が、個人で1兆3000億円という巨額の資産を築き上げた背景には独自の"哲学"があり、本書はバブルという事例をあげながらその哲学を説明し、既存パラダイムは一種の信仰に過ぎないことを主張し、新たなパラダイム仮説を提唱する渾身の書。哲学とか解らないなりに好きな性格なので*6興奮しながら読めた。
そう、メインは彼の哲学であり、市場は彼の哲学の事例でしかない。このスタンスがいい。
この書でソロスは現代金融理論そのものに疑問を投げかける。
「金融市場のさまざまな変数は均衡値に向かって収斂する傾向がある」という経済学上のパラダイムは偽りでしかない
と。ソロスにしてみれば、ハリー・マーコウィッツHarry Max Markowitzもジェームズ・トービンJames Tobinもフィッシャー・ブラックFischer Blackもマイロン・ショールズMyron Scholesも、完全な理論を提供していない。それを真理と信じて市場が動いてきたこと自体が異常なのだ、と。金融市場が混乱し、「常識」が疑われつつある今、彼自身の哲学を世に問う良い機会だとみなしたらしい。
以下、その哲学をざっと説明する。
ジョージ・ソロスは彼自身の哲学を築き上げるにあたり、カール・ポパーSir Karl Raimund Popperの『開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文』に大きく影響されたとしている。この書の中でポパーは
"開かれた社会"を「人間は究極の真理には到達し得ず、異なった考え方や利害を抱えた成員同士の平和共存を可能にする精度が必要であると認めているような社会」であると定義
しており、これを受けてソロスは彼独自の哲学*7を育てていくことになった。彼の哲学を説明するキーワードは、「再帰性」と「可謬性」だ。
- 再帰性reflexibility*8
- 人は世界の一部であるために、世界を完全に理解し得ない。世界に対し操作を加えたとき、観測される世界はさっきまであった世界とは異なっているからである。さらに、究極の真理あるいは確実な情報は人間の手の届かぬところにあるという前提を踏まえたうえで「誤解」がいかにして歴史を動かすのかを探求する理論。
- 可謬性fallibility
- 人は常に間違っている可能性がある。確実なものなど存在しない。
なんとも深遠な話になってくるが、これを行動経済学の観点から解釈し、現在の金融市場に応用すると以下のようになる。
1929年の大恐慌以来最悪の状態が訪れ、ドルを国債基軸通貨とした信用膨張の時代が終焉を迎えようとしている。(中略)
私の分析では、この超バブルには他のすべてのバブルと同じく、人々が誤った投資行動を続ける原因になった「支配的なトレンド」と「支配的な誤謬」が存在した。「支配的なトレンド」とは信用膨張、つまり信用マネーの肥大化であり、「支配的な誤謬」とは、十九世紀には自由放任(レッセフェール)と呼ばれていた、市場にはいっさい規制を加えるべきではないという考え方、すなわち市場原理主義である。
ソロスは警告する 超バブル崩壊=悪夢のシナリオ
ソロスは、サブプライムはトリガーに過ぎず、「信用マネー」と「市場原理主義」という、信仰といっても良いほどの巨大な"誤り"がそのメッキを剥がされつつあり、臨界点に達したとき、四半世紀以上にわたって成長してきた超バブルがはじける、と警告する。
彼の哲学を無批判に受け入れるわけではないが*9、これは真剣に検討すべき本だと思う。ほころびが見え始めたときこそ、信じるものが正しいのかどうか、健全な懐疑を抱くべき時だ。
また、投資やら経済に興味のある人は決して無視できない。なにしろ今までソロスはこの哲学に基づいて行動し、結果として生ける伝説となったのだから、ポッと出のトンデモ理論と笑うこともできない。
先月以来の経済の動きを見るに、彼の理論はすでに超バブルとパラダイム崩壊という衝撃を、現代の首筋に突きつけているように感じられる。
次の「見晴らしのいい場所」はどこか
- いま僕らはひとつの時代の終わりを見ているのか?
- あるいはちょっと大き目の波のひとつに過ぎないのか?
- 世界のパワーバランスはどう変化していくのか?
- ドル基軸体制、アメリカ主導は終わるのか?
- 市場を操作すべきか?「神の見えざる手」に委ねるべきなのか?
- 今の経済パラダイムは終焉するのか?
- しばらく混乱を続けて、新しいパラダイムに落ち着くのだとすれば、それはどのような形をとるのか?
就職活動に浸り、将来のことを考えていると、どうしても
- 就職活動という転換期にこのカオスな状態。
- どこに立てばいいんだろう。
- 見晴らしの良い場所はどこだろう。
というようなことを考えてしまう。そんな不安を頭の隅に追いやりながら、研究を進め、目の前のエントリーシートを埋める。
id:iammg氏のように戦略コンサルというのもひとつの「見晴らしのいい場所」であろうし、元々Vantage Pointという表現を使ったロジャー・マクナミーRoger McNamee氏の意図通り、GoogleやAppleといった技術的な先端も魅力だ。
あるいはどうせなら変化の真ん中に居たい、という発想で、避ける人も増えた金融業界にあえてぶっこむのもおもろいかもしれん*10。
世界はほんと面白くて良い。でも、だんだんと沸騰する水の中で、無自覚にゆだって死んでしまうカエルにはなりたくない。
鍋の淵はどこだ。
*1:画像はhttp://www.nikkei.co.jp/topic7/pdf/081010_gougai2.pdf より
*2:自社株まわりの商法についてはここを参照してすこし勉強した
*3:原著タイトルはThe New Pradigm for Financial Markets -- The Credit Crisis of 2008 and What It Means.こっちのがカッコイイ
*4:思って「いた」
*5:議論の途中で主張を変えると議論にならないため
*6:とくにウィトゲンシュタインWittgensteinが好き
*7:どこかで聞いたことのあるような気もするが、哲学者というのは似たようなことを考えるのかもしれない
*8:「相互作用性」と訳される場合も
*9:彼の哲学はあまりに非論理的すぎて、頭の隅に疑問符は残る
*10:一緒に沈没しない限り