「非常識」な刺激と自己の本懐
先日京都で開かれた博士ネットワーク・ミーティングに参加して、レポート的なものを書いた。
ウェブ時代と併走するスタンドアローン・コンプレックス。博士ネットワーク・ミーティング@京都に参加して - ミームの死骸を待ちながら
そのもうひとつの切り口が今回の記事。前回書いた「一番大きなインパクト」について。今後の身の振り方や、目的を達成する手段について思考した。
KGC (Knewledge Gathering and Connection) の柴田さん
博士ネットワーク・ミーティングのパネリストとして、KGCの柴田さんと出会った。KGCは「非常識な研究」を支援する京都発のNPOで、その活動理念は
- Defy Current Common Wisdom
- Create Future Common Wisdom
であり、そのための"Lorenzo Service"を行う。これはルネサンス期のLorenzo de' Medici - Wikipedia, the free encyclopediaをモデルとした、研究者とスポンサーのマッチングサービス。
Developing Lorenzo's activity, we "KGC" will produce many historical "Researches" by promoting collaboration between "Researcher" and "Researcher", or "Researcher" and sponsor in "Worldwide".
KGCという組織以上に刺激的だったのが、柴田さん本人だ。常識にとらわれない発想や、オイルマネーの余っているドバイに赴き、ドバイ大学と世界で始めて提携してしまう行動力。完全なるトップアプローチ。目的に直行する究極の合理性。そして強烈な個性。やばい。惹かれるタイプだ。
僕が自己紹介シートに「非常識な研究テーマを知りたい」と書いていたら目を付けられていたらしく、僕の考え方がなかなかヘンなこともあり、今もいろいろと面白い情報をいただいている。これは至福。
ここで問題提起。
そんな柴田さんに会って、いろいろと考えさせられることがあった。
僕の研究への向き合い方は、今のパラダイムのままで良いのか?
そもそも学際的な研究に携わることが夢ではあったが、何か核となるジャンルを作ろうと生命理工学部に進学。「広いテーマを追いかける」べく2年前の僕が考えたのは、アカデミックで偉い教授になって、何人もの学生にさまざまなテーマを研究してもらうというありふれた道だった。だから修士課程に行くことも迷いすらしなかった。
アカデミックに嫌気が差したのがその一年後、本気で研究してみる人体実験によって、自分自身が研究行為に向いていないと判断したのがさらに半年後だ。
この時点で僕がこれ以上アカデミックに残る理由はなくなったのであるが、周囲の環境と過去の自分の選択は、博士課程へ進め、すべてを研究につぎ込めと僕に迫った。2008年の6月7月がどん底で、その後いろいろあって今に至る*1。
僕が研究活動に関わるべき形
再び時間軸は上洛後に戻る。柴田さんの「非常識」に興味を追求するスタイルを目の当たりにし、僕自身パラダイムの転換を迫られた。
僕は何がしたいのか?
研究がしたかったと思っていたが、どうやらそれはちがった。研究結果を知ることが好きで、研究がしたいわけではなかった。科学との関わり方 (=研究のスタイル) として、アカデミックで研究するのはどうにも向いていないし、(wetな) 研究にも適正がないということはもういいかげんわかりすぎるほどわかった*2。
先月、
二つのトラバをうけてびっくりした。エントリの内容がまるまる僕について論じていたからだ。
まさかブログをやってて、これほどうれしい言葉をもらえるとは思わなかった。本当にありがとうございます。
私はこういう興味が広い人、ジェネラリスト系の人が好きで、共感できる。しかし日本ではこういうタイプは少数派のようで、なかなか理解されない。ましてや大学という専門教育の場では、Hashさんのように広い興味の人をそのまま受け入れてくれる場所というのは、まずなさそうに思える。
「楽しくない」と感じたなら、飛び出したほうがいい - Zopeジャンキー日記
私の印象では、Hashさんはバイオの研究者というタイプではない。研究者に向いているのは、ひとつの分野に朝から晩までのめり込んでいても飽きないような人だろうと思う。
「楽しくない」と感じたなら、飛び出したほうがいい - Zopeジャンキー日記
mojix氏にも言い当てられたように、僕は研究にのめりこむ行為には向いていない。
いろいろと自分の心理を分析したところ、拡散それ自体が望みであるらしい。正確に言えば、拡散に続く統合が望みであるらしい。
各々の研究テーマにはとても興味があるのだけど、その細部を自分で詰めるよりは、アナロジーや俯瞰視点によって複数の研究、事実を纏め上げ、統合する役割に惹かれる*3。
世の全てを知りたくともGoogle先生は未知に対して無能。人生短すぎるし、僕の頭は悪すぎる。死なない身体か、超天才に生まれたかった。不老不死でも天才でもない僕ができるぎりぎりのことは、
たとえば、研究所を経営する。
科学研究とは本来常識にとらわれてはいけないもの。社会の本質を覆すポテンシャルを秘めた新たなパラダイムの模索。ところが昨今の科学研究はただの工学の下地に成り下がっている*4。基礎研究ひとつをとっても「これこれこういった用途で役立ちます」といわねば予算がつかない。社会の制約を受ける科学研究は自殺行為であり、科学は、乳母であるところの社会を殺せない、牙を持たない歯車に堕ちる。
そんな歯車になりきれない研究者はたくさんいるはずだ。世界各地から優秀な研究者を、とくに社会システムに合致せずつまはじきされた異端の研究者を集めた現代のアレクサンドリア図書館を造る。それなんてER3。戯言だけど。
あるいは、
さらにHashさんの場合、ビジネスにも興味があり、簿記の2級まで持っているそうだから、ITで起業するのがいいと思う。ITで起業すれば、経営者として、IT・ビジネス・会計の知識をいずれも実地で使える。ただ勤める立場だと、そういう広い範囲の実地体験はなかなかできない。
「楽しくない」と感じたなら、飛び出したほうがいい - Zopeジャンキー日記
(...中略...)
どうしてもバイオにこだわるなら、バイオのITソリューションを開発・提供するビジネスなどをやればいいと思う。きっとかなりの成長市場だろうし、バイオの専門家であればなおさら強みがある。
会社を作ってしまう。
少なくとも進路可逆性理論*5に基づいて、いきなり起業はしないだろうけど、会社をつくる、あるいは研究所を実現するために何が必要だろうと考えたとき、、、足りないものが多すぎる。
柴田さんはどのような思考回路で、究極の目的へ向かう階段を築き上げたのだろう。いかなる行動基準に沿って、今の組織を作り上げたのだろう。どれほどの信念に基づいて、向上を続けてきたのだろう。
「飛び出す」というのは、多かれ少なかれ「過去を捨てる」ことだ。しかし、それを決断できずに過去をひきずっていくと、「未来が侵食」されていく。満足できない状況にケリをつけずにいると、過去を失わないかわりに、未来が失われていく。
このHashさんは有能な若者だと思うので、ぜひ自分の興味と才能を全開させ、「楽しい」と感じられる方向にキャリアを進めてほしいと願っている。
「楽しくない」と感じたなら、飛び出したほうがいい - Zopeジャンキー日記
研究室を移って、「飛び出す」ことが「過去を捨てる」ことであるということはイヤと言うほど実感した。人間関係や信頼や自信、大事と見なしていたものもいろいろ捨てた。しかし、正しい損切りだったと思う。今の研究室で、好きな研究をして、しかも就職活動が許される環境で、「メモを捨てろ」を書いた時から考えると、願ってもない状態にいる。ここに来てようやく、沼からの脱出ではなく、その先に目を向けることが可能になった。
興味拡散系故にやりたいことはたくさんあるが、最初の一歩でだいぶ選択肢は狭まる。特に僕は飽きっぽいので気をつけて就職しないと痛い目見る。
外資金融IT部門でのインターンを終えて - バイオ研究者見習い生活 with IT
前回インターンのエントリで書いたとおり最初のキャリアはとても重要。「就活」は、自分を分析しなおすための、これ以上ないほど大きな機会を提供している。このメリットを享受しないで大学院の階段を上っていくなんて、もったいないですね。
誤解を恐れず言えば、僕はMad Scientistになりたい。
Re:Re:プログラマーに比べ、バイオ研究者に飛び抜けた才能が現れない理由のひとつ - バイオ研究者見習い生活 with IT
(...中略...)
僕が作りたいのはバイオロジーのフレームワーク、あるいはインフラです。
(...中略...)
内部にいる人しか壁を壊せないなら、その意味で生物学界にいることはチャンス。同じように感じている人と協力して、バイオのインフラ・フレームワークを構築する手段を模索すればいいのか。
言うだけなら誰でもできる。ここに書くだけで達成感を得て終わってしまってはダメ。やりたいことをやるためのルートはどこか。就職活動という、絶好の転換期にいる。フットワークは軽く、脳は柔らかく保ち、自分の能力と環境、機会を見て判断する。