中途半端なフューチャリスト化は毒にしかならない
- 作者: 梅田望夫,茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/05/08
- メディア: 新書
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実にタイミングがよかった。修士課程での留学を教授に反対され、4年間で博士がとれるという特別なコース(しかも補助を受けて留学できる)を進められた。それは極めて正しい説得で、「博士に進もうか」と心が傾いた、まさにその翌日に『フューチャリスト宣言』を読んだ。研究室に所属して数ヶ月、「アカデミックの道に進む」という暗黙の仮定が知らぬ間に自分の思考に浸食していた。
そんな時に焼け石に水。ベクトルの違う意見を二連発でぶつけられた。困った。
梅田さんは18年間のコンサルタント経験、茂木さんは学位をとり研究者として生計を立てていた(いる?)経験があり、物の見方の「核」になっている。それでいながら、
たくさんの分野に興味があって、関係性に興味がある、俯瞰して全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人は、これからの時代有利になってくる気がします(p.111)
狭く深く掘り下げるタイプの人たちにとっては、たしかにハイリスクになりますね(p.115)
などという。核を作るよりも、全体を見渡すことを奨励する。何も持たない人間がその未来を無邪気に信じて行動を起こす方が、ハイリスクに思える。引きこもりニートがいいプログラムを書くかもしれないが、それで認められる社会の範囲は決して広くない。
本書全体を通して感じたのは、交わされる会話はすべて「持てる者」の視点に基づいているな、という点。一流の大学を出た二人が「大学は死んでいる」と言っても、何か…。真面目に大学行ったから気付いたのかもしれないけど。
ウェブは世界の最高学府たりうるレベルまで成長していないし、環境も整っていない。特に日本ではそうだ(一時期よりだいぶましになったが、コレと、コレが同じOCW:オープンコースウェアという名を持っていることに違和感)。
2007年現在の10代・20代が社会に出て評価される時、評価者はまだ古い世代だろう*1。完全に日本を捨てて単身シリコンバレーに移り住むとか、起業するとか、それほどの勢いがもてない普通の人(または少しでも既存のレールを走ろうとする人)は、扇動的な言葉に釣られてネットだけで生計を立てようとか、大学に行かずウェブで勉強しようとか考えるべきではない、と自分は考える。中途半端なフューチャリスト化は毒にしかならない。
最近、研究室で俯瞰的な姿勢*2を否定され、本業の研究のツメが甘いことを思い知らされ、とても悔し恥ずかしい思いをした(というかナメてた)。
まず若いうちに何か一つ成し遂げ、「学位」という資格を持って社会に出ろ、と言われた。21歳という時期は色々浮気するよりも、恵まれた環境で「核」を作るべきなのかな…と思い始めている。つまらないな。
梅田さんの語るウェブの未来、茂木さんの描く脳科学のダーウィン的革命。両方面白いと思うし、今すぐにでも関わりたい。しかしそれをするにはあらゆるものが足りない。行動力があれば何でもできる!と現在を吹っ切れるほどの勇気もない。
自分自身が今不自由な思いをしているから、今日の日記は、楽しそうに未来を語る二人に対する嫉妬なのかもしれない*3