ミームの死骸を待ちながら

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators. We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators. - Richard Dawkins "Selfish Gene"

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators.
We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators.
- Richard Dawkins "Selfish Gene"

なぜ何もないのではなく何かがあるのか

書きたいことがない.書きたいことはあるが,それをテキスト化のフローに載せていくことが出来ていない.というわけでこれは無理矢理に文章を出力する試みである.軽く 2000 字を目処に.

一つの思想の真の生命は,思想がまさに言葉になろうとする地点に達するまで持続するにすぎない.その地点で思想は石と化し,その後は生命を失う.だが化石化した太古の動植物のようにその思想は荒廃を免れる.我々は思想のつかのまの生命を,まさに結晶せんとする瞬間の結晶体の生命に比することができる.

ショーペンハウアー読書について』 p.38

仕事ではめっきりコードを書く機会が減り,自然言語を書いている.技術職ではあるが,それを道具としながら日本語と英語を読み書きして人間と社会をやっている.英語はもっと喋れるようになりたいな.論理と自然言語を装備して正論と事実で殴ることのできる今の仕事は案外性に合ってるとは思うが,コードを書いてものを作り続けている人はほんとうに尊敬に値する.

仕事が楽しいのでわりと社畜っぽい働き方をしているが,IT 業界の闇みたいな辛い話がない職場で待遇的にもかなり恵まれているとは思う.現世に楽園は存在しないんで嫌なこともあるが総じてな.成果測定の難しいことをやっているので,給料分はチームの役に立っていることを願う.

学生時代から得意とする絨毯爆撃的な学習を日常業務に活用する方法が自分の中でようやく確立できてきた気がする.この方法を人間的やっていきの瞬発的飛び道具と組み合わせ,いくつかそりっどな成果を得ることが出来た.1000 ページあるドキュメントを片っ端から読んでいったりする人間は少なく,知識獲得そのものにモチベーションを感じて継続できるというのは社会全体から見るとレアな方の気質であるらしい (エンジニア職はそういう気質わりと多いような気もするけど).ともあれ,そういう偏執的な姿勢は使いようによっては社会でも役に立つらしい.院を出て就職したばかりの僕に聞かせてやりたい希望のある話である.しかし油断はできない.この世に慈悲はなく僕自体に価値はなく油断をした瞬間に死ぬことは確定的に明らかである.

もちろん偏執的なだけでは社会をやっていくことが出来ないため,人間とのコミュニケーションにおいては基本的な論理を使って丁寧に事実を整理してみる.整理した論理を言葉に落とし込んで理解のポイントをすり合わせようと試みる.そもそも人間の頭脳は基礎的な論理 (とくに因果関係) プラットフォームに乗りやすいようには思う.

つい先日 「異世界からきた」論文を巡って: 望月新一による「ABC予想」の証明と、数学界の戦い « WIRED.jp なんて記事を読んだりもして,"人間の頭脳の程度がだいたい全部同じくらい" とはとても主張できないのだけど.僕もできることなら天才になりたかった.元々ものごとの理解力が格別優れているわけでもなく,むしろとんでもなく基礎的で誰も見向きしないような場所の石ころに躓いていつまでもそこで途方にくれているような頭脳でしかない.

閑話休題

『生命・エネルギー・進化』

突然ですが最近読んでよかった本の紹介です.

ニック・レーンによる『生命・エネルギー・進化』という本で,原題は “THE VITAL QUESTION – Why Is Life the Way It Is?".著者がかつて『ミトコンドリアが進化を決めた』で展開した論をさらに先へ進めたもの,っぽく,より汎用性の高い語り口として "進化には実は,生命のきわめて根本的な特性の一部を第一原理から予測できるようにする強い制約 – エネルギーの制約 – があるということ” を主張する.

とくにこの制約が顕著に感じられるのは我々真核生物という “異端” においてである.細菌も古細菌も,その化学・遺伝的特性の吹っ飛び方からは考えられないほど,見た目にはほとんど同じである. “まるでそこに内在する物理的制約が原核生物を複雑な形態に進化できなくしているかのようで,その制約はなぜか真核生物の進化では解かれたのである” (p.57) … こうした謎を提起しながら論をすすめる本書はある種推理小説的というか,謎解きの楽しさを与えてくれる.まぁ謎解きというか著者に導かれて"謎の解かれていき" を見ることになるわけだが,そこらへんの事情は推理小説でもさほど変わるまい.

生命 (life) とは何か,ではなく,生きている (living) とは何なのか.生化学畑の学生であったこともあり実に楽しい読書体験であったと言える.

ひそむもの

仕事と生活にある程度の安定感が出てくると,この先どうするという思考が仄暗い水の底から浮かび上がってくる.いまググって知ったけど仄暗い水の底からってパチンコになってんのか頭おかしい.人生でやりたいことはいろいろあるが,僕は本当に人生の進捗が遅く遠回りばかりで,ぐるぐると何かの周りを歩き続ける以外にこれといった存在の使い方もしていないように思われる.

そうしてぐるぐると歩いているうちにある程度は身の程を知ってしまい,自身の無能と現実の現実たる現実に打ちひしがれているうちにぐるぐる回っているときは見えていたはずのものがいつのまにかひどくぼんやりとして来て,視界不良と幸福の定義に悩みながら新しい火薬を手札に加えるべく周回ルートを外れてあてどなく生きていく以外に何も

それはぼくの思いすごし 悪いことばかり思いつく いつもの日曜日の午後

スガシカオ「日曜日の午後」