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ミームの死骸を待ちながら

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators. We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators. - Richard Dawkins "Selfish Gene"

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators.
We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators.
- Richard Dawkins "Selfish Gene"

今、再び「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」と聞かれたらどう答えるか?

戯言 自己分析 就職活動


1年半ほど前にこんな記事を書いたことがある。

先日、とあるコンサルの個人面接で珍しい質問をされた。

「じゃあ、最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」

思いつかず焦った僕は、最近まとめた去年の読書冊数を伝えた。質問に答えた瞬間社員さんの反応が「微妙」であることを悟り、しかるのち軽薄な自分を恥じた。

コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された - ミームの死骸を待ちながら


今日は、現在の僕がこの質問を投げかけられたとしたら、という視点で記事を書いてみる。就活の面接テクニックでもないし、コンサル的なロジカルさもないから、いまひとつスッキリした回答ではないが、とりあえず現在の僕の答えを記録する。


ただ、僕は今回上記の回答に対して記事として練った上で書くわけで、あの面接の時みたいにとっさに質問されたら、またやっぱり軽薄な答えを吐くのかもしれない。だから「今の僕ならどう答えるか」というタイトルはある意味不適切だ。まぁいい。



さて。


僕がシューカツ、もとい就活で学んだ大きなものごとはいくつかあって、そのうちの一つが

「自分の本心からではない言葉を吐くべきではない」

という確信だ。
もちろん、その他大多数の中から自分を浮かび上がらせるためのテクニックとして、レジュメの文章をちょっと工夫するなどという意向はアリだと思うが、面と向かって話す段階になると、これはもう素を出した方が良い*1


落ちるとこは落ちたけど、ちゃんと素を出した上で落ちた企業は、気持ちよく落とされることができたと思う*2


そういった前提の元、上述の


「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」


という質問を今受けたと仮定すると、僕の思考は以下の様に働く。

まず素の感情を暴露すると、僕はどうしても自己評価が低い。どうもこいつは性格の根底に根付いている思考であり、引きはがすことは不可能らしい。



という訳で、僕が日常の中で


「俺ってスゲー」


と本心から思うことは、ほとんど無い、と言って良い。

だから「面接においては素を出すことが一番」という前提の元で、あれから1年半経った今の僕が回答できる本音は


「ないです」


という一言で終わってしまう.....ことも有り得る。だって、実際ないのだから。


でもこれではあまりにひどいし、いくら本音とは言えまともな回答ではない。
でもまぁ大丈夫だ(何が。

現在の僕ならば、低い自己評価を晒した上で続く回答を提示することが出来る。そして、それが今回の本筋とも言える部分でもある。



根拠となるのは、他人の評価、しかも僕が尊敬する他人からの評価である。

ここ数ヶ月、(または思い返して)1,2年で、僕が「スゲー」と思っている人から「お前のここはスゴイ」と認められた部分が、いくつかある。

  • その一つは例えば(自分で言うと歯が浮きそうだが)「理想主義」な部分であったり、
  • 様々な活動に関わる「行動力」「フットワークの軽さであったり、
  • 「知らない他人と繋がる」適性(人見知りをしない性格)や土台(ネットでの知名度(?))であったり、
  • ブログやメール*3で発揮される「文章力」であったり、
  • 「空気を読まない*4」唯我独尊な性格であったり、


まぁ、そんなところだ。
ひとつ言っておきたいのは、僕自身は上記すべての項目について「ぜんっぜん大したことないです」と確信を持って断言できる。しかし、自己評価の歪んだ僕の視点を殺して他人の評価を冷静に並べてみると、それなりの人が僕に対して「スゲー」部分を認めてくれているらしい。
※もちろんこれらの長所は裏返せば弱みにもなり得る。



幸いにして、僕は人を尊敬することにかけてはなかなか高いレベルを誇っていると思う
結構、世の中の人は他人を簡単に馬鹿にするし、どうも僕が思っていた以上に「他人の価値を認める」という思考回路を、心の奥の方に仕舞い込んでしまっているらしい。


まぁ、斯く言う僕も聖人君子ではないのですべての人を尊重することなどできない、っつーか「みんなと仲良く」的な事なかれ主義の下で生きるのは真っ平御免であるし、はっきり嫌いと断言できる、可能ならば関わりたくないタイプも存在する。


とはいえ、僕は自分が「凄くない」ことを既に前提として認めてしまっているので、世のあらゆる人は何らかの点で僕よりも優れている、という認識を、すんなりと、抵抗なく、一続きのなだらかな思考に沿って受け入れることが出来る*5


自己認識上は果てしなく無能な上に何があろうと自分に満足できない性格なので、僕を個人的に評価してくれる他人というのは、本当にありがたい存在である。なんてことは面と向かって言えないので、ここでありがとうする。ありがとう。



さてさて、



僕がこの"他己"評価を、個人的な価値観では認められないにしろ、嫌々ながら、それでいて照れくさい、べ、別に嬉しくなんかないんだからね的なツンデレ精神を以て需要できるようになったということは、

「俺は凄かったのかも知れない」という可能性
あるいは「別の視点において、僕は凄くなり得るのかもしれない」という"他者の視点の許容"そのものであり、


この些細な、それでいて(僕にとって)絶大なインパクトを持つ概念は、1年半前の僕には決して備わっていなかったものだ。


今僕は4ヶ月目の社会人生活を楽しんでいる所であり、当たり前のことができなくて少々苦労しているが、普通の人には出来ないことを当たり前に実行できる"自我"と"環境"を、僕は既に構築していたらしい


ところで今回のテーマは何だっけ?


「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」


....うん。答えになってねー。

*1:メールで面接のコツを質問してきた修士一年の弟、ちゃんと読んでるか?ありがたい兄の言葉を聞くがよい

*2:あー、自分には合わなかったんだな、とわりと"ゆとり"を持って認めることが出来た。

*3:ビジネスメールでも僕の文章は悪くない感じらしい(先輩からたまに言われて喜んでいる)

*4:読めないのか読まないのか微妙なライン

*5:凄くない僕があなたたちと一緒にいて良いのかどうか自身がなくなるときもある。