ジャマイカ記想録(1)--機会の稀少性を求めて
彼女がブラジルへ行くのはカポエイラの修行のためだと言った。ブラジルにいる師匠の下で1ヶ月間、泊まり込み合宿をするのだそうだ。僕は合気道部を辞めた後にカポエイラをやるかそれともテコンドーにするか、最後まで迷った挙げ句テコンドーを選択した程度には、カポエイラに憧れがある。足技が好きなのだ。
カポエイラ、ダンスみたいですよね。いやいやもっと深いもんだよ。テコンドーも深いよ。僕は弱いけどね。闘ってみる?...名前も知らないまま別の便に乗り、マイアミに向けダラスを発つ。
日本からジャマイカへの直通便はなく、アメリカを経由して乗り継ぐ。アメリカを経由すると言うことはすなわち、例のテロ云々以来強化されたTSAやらESTAやらあのへんごにょごにょする必要があり、多少、面倒くさい。
成田からダラスへと太陽と逆行するように短い夜を抜けた後は、カリブの島々との間で便が発着する、マイアミ空港へと移動する。
係員があくびをする。僕にとっての非日常も、彼らにとっては退屈な日常なのだろう。僕の顔を見て「ジャマイカで何やるんだ。ガンジャ(マリファナ)か」と聞いてくる。計3回くらい聞かれた。僕の顔はそんなにトリップ系か。トリップ系男子。
マイアミからジャマイカの首都、キングストンへ。
(写真は昼のものだが)
夜22時のキングストン空港は、お国柄かそれとも夜だけなのか、入国審査が適当でのんびりしている。
ジャマイカは90%が黒人(アフリカ系)なので、見渡す限り肌の色は真っ黒だ*1。この中に東洋人の黄色い肌が混じると、それはそれは目立つ。
空調の効いた空港から出て「暑い...!」100%夏の夜だ。西田さんと合流し、ピックアップしてもらう。今日はこれでも冷え込んでいる方らしい。なんてことだ。
初対面で宿をお借りする*2という僕の図々しさをやや後ろめたく感じていたが、実際に会うと体操のお兄さん的(文字通り職業が体操のお兄さんなんだけど)さばさばした人で、僕は一発で好感を持った。
空港から宿となる西田ジムへの道すがら「ジャークチキン」というジャマイカ名物料理を狙う。ジャマイカ人はチキンが好きだ。とりわけ、濃いめのどっしりした味付けが好きらしい。
ジャークチキンはジャマイカ料理の特徴が顕著だ。「おいしいジャークチキン売ってる所があるんよー」と案内され、向かった先はどこかの駐車場...店に入るかと思いきや、路上でジュージュー鶏肉焼いてる。これはすごい。
注文すると、でっかい包丁でバッコンバッコン鶏肉を分断して、ケチャップ(?)をぶっかけて食パンに挟んでアルミ箔に包んで、ホラヨと渡される。
ワイルドな。
写真を撮らなかったことが悔やまれる。
そして車に戻ろうとすると、勝手に車の窓を掃除している兄ちゃんがいる。汚れた水をボロ布に含ませて、わしわしと拭いている。そして当然の様にお金を要求。
フリーダムな。
圧倒され、テンションも上がりながら、西田さんの奥さんと同時期にジャマイカに来ていた体操仲間のOさんも加えた4人で、ジャークチキンをつっつく。おお。。。おいしい。
どうやら今は深刻な水不足らしく、生活の水にも事欠く始末。
「いい時期に来たねー」
ええ、僕もそう思いますよ(←トラブル好き
THE 西田ジム。ここをしばらく寝床としてお借りすることになる。
ジャマイカの夜は暑い。しかし蚊が多く、寝るときは長袖を着ないと刺されてしまう。僕は日本だとわりと蚊の好む血らしく、大抵は出血大サービス(文字通り)なのだが、ジャマイカの蚊にはどうも好まれないようであまり刺されなかった。
体操用マットの上で三人が雑魚寝の体制になったとき、僕はようやく、慌ただしく、しかし時差のおかげで間延びした一日を、振り返る時間を得たのだった。
僕がジャマイカに来た理由。 --機会の稀少生
2010年2月。修士論文発表が終わるやいなや京都に逃亡し、その後ぼくは海外に高飛びをキメた。所詮なぁなぁな日本の大学*3、形式を揃えときゃ修了証書を取り漏らすことなどあるまいと高をくくっての暴挙だった(そしてその判断は正解だった)。海外逃亡の第一段がジャマイカであり、その思考の流れは以下のようなものだった。
- 就職する前に貯金をはたいて海外行って来よう
- がんばれば予算的に二回の海外旅行が可能だ*4
- 正統派の「旅行」としてヨーロッパは確定(行ったことないし)
- もう一個はどこにしよう
- アメリカは2回くらい行ったし。
- 中国はどうせ会社が進出するだろう(楽観
- 台湾や韓国なんかは、社会人になってからも短期で行ける
- すると南米かインド、アフリカあたりか...
このへんまで考えていたところ、id:fly-higherさんに軽い感じで「ジャマイカいいよジャマイカ」と勧められ、なにしろno ideaだったものですぐさま飛びつく。
話を聞いたところ、体操の先輩がジャマイカでジムをやっていて、fly-higherさんはそこでしばらく滞在したことがあるらしい。海が綺麗で、ちょっと(?)治安が悪くて、僕にとっては未知の国。「Hashは適当に生きてるジャマイカンを見て、肩の力を抜けば良いと思う」というような事も言われたり。
もしよければ紹介するよとのお言葉に甘え、知り合うことになったのが(冒頭で既に登場した)西田さん、である。
これほど海が似合う男もなかなか居まい
元は青年海外協力隊の体操教師としてジャマイカで子供達を指導していたが、任期が終わった後もジャマイカに残って子供達を指導しているそう。
ジャマイカ滞在中に、他の青年海外協力隊のメンバーとも交流する機会を得るのであるが、僕が今まで見てきた世界とは別次元、それでいて、一続きで等身大な、若い世代がちゃんとその道で生きている。僕の知らない世界。日本から見ていると視界に入らない、日本人。
いろんな道がある。可能性は無限であり、根源的に、その思考において人間は自由だ。思考を行動に投射することを考えなければ。
。。閑話休題。
そもそも僕がここに来たのは、僕の行動原理のひとつ「機会の希少性」を考えた結果だった。
若いうちに何も集めようとしなければ、
年をとってから何を見つけられるだろう?
(エルサレム聖書 シラの書 25章3遍)
「機会の稀少性」を重要視する行動原理は、すなわち、おもしろそうでめったになさそうなことにはリスクが高かろうとも速攻飛びつき、今しか出来ないことには割高であっても集中投資を行う方針だ。
だから田舎の大学に進むのではなく東京を目指した わけだし、空手でも柔道でもなく、カポエイラや合気道やテコンドーを選んだわけだし、生物専攻で会計とプログラミングをかじろうとしたわけだし、10数人のベンチャー企業に入ろうという気にもなるのだ。
ぼくはたぶん、平坦を恐れている。
全てをフラットにどうでもいいものだと認識させる、自分の中の"何か"を恐れている。
その"何か"は強い力を持っている。かつて好きだったものや人は、その力の前にどうでもいいものとなって忘れ去られた。
忘れられることはとても恐ろしく、忘れることはもっと恐ろしい。
白鳥のいた町 - ミームの死骸を待ちながら
故に僕は、まかり間違っても平坦になりようのない、アップダウンの激しい道を好む。
どうしようもなくなったときに引き金を弾く自害用の拳銃みたいに、いつでも全部ゼロになる可能性を、自己を護るものとして側に置いておく。ここに来たのも、無茶をしたかったから、という思考はあるのだろう。
それでも、無茶をやり通せない。アップダウンが激しい道を望みながら、いつでもこうして、少なくとも体操マットの上に、自分自身の寝床を確保してしまうのだ。
...ジャマイカの夜は更ける。