春から研究室に配属される理系新四年生のための心得
春は出会いと別れの季節と言いますか?わかりません。今日は、新しく研究室に配属される理系大学の新四年生を対象に、この魑魅魍魎渦巻く研究世界の歩き方的なものを、曲がりなりにも二年間、理系の研究室で過ごしてきた経験を元として、二年前の自分にアドバイスするつもりで、心の赴くままに書いてみようと思います。
こんてんつ
- はじめに
- 積み上げてきた経験とのギャップ
- 研究は神聖なものではない
- 研究の三つの意義
- 「理系はコミュニケーションをとる機会がない」の嘘
- 研究室で発狂しないために
- さらに勉強したい人のために
はじめに
僕は生命+情報系の研究に携わる大学院生(4月からM2)ですが、下のエントリを見てもらえば分かるように、僕は研究者見習いとしては落ちこぼれです。M1の途中で研究室を移籍するという暴挙を成し遂げた他、最近まで就活にかかりきりで修士研究の成果は未だほとんど出ていません。このままでは三年修士をやりかねんので研究に本気出すことを誓ったのも束の間、内定先から課題が出るなどしてさらに危機感を高めています。
- プログラマーに比べ、バイオ研究者に飛び抜けた才能が現れない理由のひとつ - ミームの死骸を待ちながら
- メモを捨てろ、本を捨てろ、そのでかい鞄を捨てろ。そんなものに頼るんは自分に自信がないからや - ミームの死骸を待ちながら
- 「非常識」な刺激と自己の本懐 - ミームの死骸を待ちながら
こんな僕ですが、超絶自己棚で行きます故ご容赦下さい。
積み上げてきた経験とのギャップ
研究は神聖なものではない
研究には答え/ゴールが用意されていません。卒研の一年ではまとまった研究はできないことがほとんどですが、そういうものだと割り切るべきです。また、歴史に残る研究成果と一般に思われている例でも、よく追ってみればその研究はまだまだ発展していたりするものです。
そして、研究は最初から最後まで論理でガチガチに固まった神聖なものでは決してありません*3。非常にアバウトな言い方をすると、文系仕事と何も変わるところのない、人間の営みの一形態に過ぎないのです(参考: なかの人から見た大学と大学院がクソな理由)。
そして、人間活動である以上、ある程度集中して時間をつぎ込まないと進まないのが研究です。研究はスキマ時間にできるような活動ではありません。これは僕が就活期を通じて痛感した法則です。
(単に僕が不器用なだけという可能性もありますが。)
神聖でないどころか、アカデミック特有のどろどろした現実も存在します。僕の知る例で言うと、某研究室ではペテンとしか思えない手法でゴミデータから成功データをでっちあげる、恣意的な"Garbage in, Gospel out"を平気な顔でやっていたし*4、また別の研究室では教授の仮説に反するデータを出すと「お前のやり方が悪い」と否定されたり、またまた別の研究室では教授の常識を逸したセクハラ行為が問題とされて活動停止するなど...まぁいろいろあるわけで、「研究」を神聖視していると絶望してしまう恐れがあります。僕は比較的そのクチだった気がします*5。
研究の三つの意義
僕は、研究には3つの意義があると思っています。外向きの意義、内向きの意義、そして、研究が存在することそれ自体の意義です。
外向きの意義
これがもっとも一般的に言われる「研究の意義」です。人間の生活を便利にするとか、いままでわかっていない自然の謎を解くとか、研究の華々しい側面です。新発見がなされたときの会見で「それは何の意味があるのですか?」と問う記者*6はこの質問を暗に意図しています。
しかし、カースト最下層である新四年生が、研究の果実とでも言うべきこの感覚を味わえることはまずないでしょう。
内向きの意義
研究室に入った四年生が意識すべきは、上述の「外向き」の意義ではなくこちらです。社会的、業界的にはさほど意味のある研究でなくとも、研究に携わった学生の内面の変化や、思考プロセスの洗練はそれ自体が一つの価値です。
特定の疑問点や問題点に集中的に取り組み*7、先輩や教授とディスカッションを重ね、学会で発表して叩かれ、業界の動向を追う....大学生活における普通の「授業」では養えない能力が得られることが、この「内向きの意義」の本質です。
研究が存在することそれ自体の意義
世の中には多様性が必要です。「今、目に見えて意味があるかどうか」ですべてを切り捨ててしまうと、環境の激変で人間文化は全滅します。
たとえオカルトやエセ科学と呼ばれるような研究でも、根絶してはいけないと僕は考えています。その一部に未だ知られていない価値が隠されているかもしれず、「常識的に見てありえない」からと言って完全に排除してしまうと、石の中の玉は日の目を見ることなく永遠に消え去ってしまいます。そもそも、完全な客観性というものが存在しないとするならば、特定の視点をあたかも真実(イデア)のように崇拝して他の事象に価値判断を下すなど、思い上がりも甚だしいというものです。
研究に携わるものとしては、「他の誰も注目しない研究」を行うことにむしろ誇りを感じるべきです。
...と描いてみたものの、正直、僕などが偉そうに語るよりこのエントリの最後にリストアップした情報の数々を参考にした方が、良い研究者になれると思います。
「理系はコミュニケーションをとる機会がない」の嘘
よく言われるのが「理系はコミュニケーションが苦手」という話です。確かにその傾向はあります。
しかし、研究室というのは良くも悪くも非常に「閉じた」コミュニティで*8、研究をしっかりやっている研究室であればあるほど、密なコミュニケーションを求められます。僕の観測範囲内では、研究が出来る人ほどコミュニケーションやプレゼンテーション、人と人の間の利害調整も上手い印象があります。
まともに成果を上げようとすると「コミュニケーションが苦手」では通らないのが研究です。コミュニケーション力が弱いが優秀である、という評価は、一部の天才的才能にしか使ってはいけない表現なのです。
人と交流する機会は文系理系を問わず平等にあるはずです。差異があるとすればただその幅が狭く深いことと、もっとも大きな問題として、交流せずとも「なんとかなってしまう」道が存在していることくらいでしょう。
研究室で発狂しないために
- 研究がうまくいかないからと言って命までは取られません。
- 今居る研究室が世界のすべてと思わないように。
世の中の99.99%以上の人は、あなたが何の研究をやっていようがどうでもいいのです。実験に成功しても相変わらず景気は悪いし、毎日こき使われて奴隷のようだ!と嘆いても、毎日五万人が貧しさのために死んでいるのです。すべてどうでもいいことです。
本当につらくなったら、やめてしまいましょう。病院に行くか学校を休んでのんびりしながら、人生について考え直しましょう。その方が、人生をやめるよりずっとマシです。研究室とかいうどうでもいいもののために気を病む必要はどこにもないのですから。
- 研究室に引きこもらず、外の世界の他人と交流しよう。
もっと大きな世界を知るため、別の価値観の存在に気づくためです。たとえば就活はとても良い機会です。研究室を移る前の僕のように、ただそこに居るだけで、研究テーマについて考えるだけで発狂しそうになる人の場合は特にそうです。そんな人いないよ、と、新四年生には想像もつかないかも知れませんが、似た例は少なくないという事実は認識しておいて下さい。
研究が楽しくてたまらない!という幸福な人はぜひ研究に没頭して、成果を出して欲しいと思います。
ただ、そんな幸福な状況にあっても、週に1,2日は意識的に研究を忘れて外に出るようにした方がいいと思います。思考の均一化を防ぐためです。テニスサークルに所属していた人は練習に顔を出してみるとか、研究テーマとはまったく関係ない本を書店で買い漁ってみたり、おいしいものを食べにいったり、昔の友人と酒を飲んで馬鹿話でもしたり、恋人と遊びに繰り出したりするのです。
重要な発見の多くは、対象について深く深く考えた後にそれを忘れて心から楽しんだりリラックスした状態で、ふと、泡のように心の中に浮かんでくるものなのです。
- 教授は神ではないと気づこう。
教授であっても、長所もあれば欠点もある人間で、当然ながら人間の相性もあります。
研究室選びの話はいまさらどうしようもない気がしますが、研究内容よりも、そこに居る人や雰囲気、文化との相性で研究室を選んだ方が良いでしょう。成果をあげるのに適した環境は人それぞれです。縛り付けて圧迫されて成功する人もいれば、自由に泳がせておけばいつの間にか進めている人もいるでしょう。
大多数の人には自ら環境を変える能力などないため、大御所/老舗であればあるほど既存の環境との相性には要注意です。
- 研究内容を好きになろう。
何が対象であっても、いざ研究を始めてみれば、おもしろく感じてくるものです。かつて僕は
詳細は述べないが修士研究がつまらない。研究の目的が矮小で研究の手法が非現実的なものに感じられる。
メモを捨てろ、本を捨てろ、そのでかい鞄を捨てろ。そんなものに頼るんは自分に自信がないからや - ミームの死骸を待ちながら
と書きましたが、今考えてみると、環境の方が問題でした。現在の研究室でかつての研究テーマを続けていることをイメージしてみると、案外悪くない気がするからです。時間がたつほど昔の恋人の良い面ばかり思い浮かぶようなものかもしれませんが。
気持ちよく研究に打ち込める周囲の環境を整えることこそが、良い研究をするために最も重要な能力かもしれません。
二年前の自分へのアドバイス
最後に一つだけ伝えたいことを選ぶとするなら、「自分の頭で考えて欲しい」ということです。最悪なのは何も考えず、言われたままに流されていく生き方です。日本社会は教育システムがすばらしく整っており、何も考えずとも流されて「そこそこ」に生きていけるためです。
何も考えないままの「そこそこ」よりも、自ら考え決断した結果辿り着いた絶望の方が、100万倍も価値があるというものです。
さらに勉強したい人のために
参考するとGoodな情報をまとめておきます。まずはおすすめの書籍。
グリンネルの研究成功マニュアル―科学研究のとらえ方と研究者になるための指針
- 作者: フレデリックグリンネル,Frederick Grinnell,白楽ロックビル
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 1998/10
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 152回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
- 研究のHow to物については、厳選するとこの1冊がベスト。
精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか (文春文庫)
- 作者: 立花隆,利根川進
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1993/10
- メディア: 文庫
- 購入: 10人 クリック: 103回
- この商品を含むブログ (45件) を見る
知の巨人 21世紀の科学を語る―現代最高の科学者へのインタビュー特集
- 作者: 矢沢サイエンスオフィス
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2002/11
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 44回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
- 成果を上げた研究者の姿勢に学ぶ。
研究で成果をあげるには?
以下、webの情報。
- 東大で学んだ卒論の書き方★論文の書き方
- 教授からのメッセージ
- 卒業論文、修士論文関連のエントリー - 発声練習
- 圧倒的に生産性の高い人(サイエンティスト)の研究スタイル - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing
- 当たり前すぎて教えてもらえない研究のこと。 - IHARA Note
- 研究とは「パンク伝統芸能」である - 赤の女王とお茶を
- langsam : 大学院生活を全うできそうなので、淡々と振り返ってみる - livedoor Blog(ブログ)*9
とくにバイオ系なら以下も読むとおいしい。
いじょ。
...ここに上げたものの他にもいろいろ探してみましたが、こうしてみると、ネガティブ意見が目につきます。前向き論があったとしても妙に達観していたり「厳しい環境だががんばるぞ」といったものがほとんどで、「私は研究が大好きだ!」という熱いブログ記事が非常に少ないような気がします*10。残念なことです。
*1:肉体的にしろ精神的にしろ
*2:この時間だと、コアタイムがある研究室としては比較的甘い方か?
*3:純粋な数学理論研究とかは論理以外なにもないのかもしれないが
*4:統計をやってるid:syou6162などがあの場に居たら発狂していたに違いない
*5:前者の研究室に限っては、教授陣が「データ・事実に対する誠実さ < 発表を形にしたいという名声欲」であることに問題があったと思う(つぶやき)
*6:基礎研究にまでこんなことを聞くのは日本くらいらしい
*7:自分がその「問題点」に納得できずやる気が起きないときは、なぜそれが問題とされているのか?と一段メタに考えてみると良いです
*8:文系の「ゼミ」というものがよくわからんので、誰か対比してくれんかな(他力本願)
*9:今月頭に書かれた id:kelokelo さんのすばらしい記事を見逃していたので追記
*10:[http://iddy.jp/profile/dritoshi/:title=二階堂愛さん]も似たようなことを言っていた