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ミームの死骸を待ちながら

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators. We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators. - Richard Dawkins "Selfish Gene"

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators.
We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators.
- Richard Dawkins "Selfish Gene"

僕が測量野帳を使う理由と、ウェブ進化へのジョーカーとしての知的生産

知的生産 ウェブ


1月10日のエントリ(d:id:Hash:20080110)にコメントをいただいて色々考えていたら、一つのエントリレベルまでふくらんでしまったのでこちらに上げます。


古き佳き「知的生産の技術」では野帳を通し番号つけたカード(京大式カード)で置き換えて、カード自体をKJ法(アウトラインプロセッシング)に使ってますが、Hash氏が野帳なのは特に理由があるのでしょうか?

書き終えたユビキタス・キャプチャーを無駄にしないための決まりごと - ミームの死骸を待ちながら


カードのメリットは、記録した後の利用のしやすさだと考えています。僕もしばらくはPoICシステムをメインに据えて、カードにすべてを蓄積しようとしましたが…最近ではメインをユビキタス・キャプチャーに移し、特に参照する情報のみカード化してほとんどの情報は測量野帳に流して行きます。

20070115追記:参照情報をカードではなくデジタル化しては?というブクマコメントをもらいました。ありかもしれない。PCの前「以外」で使う時の障壁が低ければ現実味が出てくる(印刷するとすぐコンパクトに持ち運べる、とか。それこそ『超』整理手帳と絡ませるか?)

[rakuten:somsoms:678110:detail]

以下に書くことをすべて考えて測量野帳を使っているわけではなく、むしろ後付けに近いのですが、id:bak_a_mono氏のコメントに答える形で自分なりの考えを書いてみました。メモを取るメディアとして「カード vs 手帳」のどちらがいいか、という観点です。「数ある手帳の中で測量野帳である理由」には言及していません。


知的生産の巨匠と僕(Hash)の違い


レベルからして違いますが、本質は「重点を置く発想プロセス」の違いだと考えています。要するに、川喜田氏や梅棹氏は

  • 後の参照・利用・整理のしやすさ

を重視している一方、僕は

  • 頭の中に浮かんでは消えていく情報をとらえる

ことを重視しています。だからこそ、前エントリのように再利用のために特別な努力が必要になっていて、ここは明らかに非カード式メモのデメリットですが…そこらへんはトレードオフです。ある程度妥協しています。


また、年齢の違い、生活パターンの違いもあるでしょうか。僕は研究者としては新参者で、机に向かって思索をめぐらすよりはとにかく手を動かして経験を積む方が重視される段階です。よって記録する情報の利用法として、

  • 組み替えて思考する

よりも

  • なるべく漏らさず記録する

方がベターです。つまり、出たデータをいろいろな角度から議論したり整理する以前に、そのデータをどうやって出したかをちゃんと覚えておかないといけない、という事情です。なじみのないフィールドでは、後から振り返って初めて何が重要だったかがわかると思うのです。


加えて、Hipster PDAではないですが、カードに直接記録する作業は僕にとっては心理障壁が高いです。1日だけ試してやめました。きれいに書かなくちゃもったいないとか、これはカードに書いて後で使うか微妙だな、と思って見送るアイディアが多いのです。


最後にちょっと、アナログ知的生産とウェブについて。


僕はこの年にして、いろいろな文房具を買って「これは何々に使おう」とか「こっちにこう書いたものをあちらで利用しよう」と考えるのが大好きだ。将来の夢の一つは立派な書斎を持つこと。おそらく同年代が服を買ったりカラオケに行ったり飲み会やったり合コンしたりする金と時間を、文房具と書籍と勉強に費やしている。
知的生産*1は試行錯誤することに楽しさがあって、方法を確立するのは晩年でいいと思っている。立花隆氏も50代になってようやく落ち着いてきた、とどこかに書いていた覚えが…。


自分に合った「知的生産法」を探せ、とよく言われる。この主張に少し付け加えたい。自分にとっての究極を探すことは二の次で、本当に重要なのは、「土台の一貫性」を保ち続けることだと思う。つまり、上辺がどんなに変わっても、

  • 蓄積した知識を再利用できること。
  • 過去の記録にアクセスできること。

この前提条件だけは絶対崩してはいけない。自分なりの方法はゆっくり楽しみながら探せばいいが、この前提条件を厳守する体系を作ることが早急のToDoだ。

近年梅田望夫氏はウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)で「けものみち」論、「学習の高速道路」論*2というたとえで、デジタルの進歩が高速学習・高速アウトプットを可能にした時代を広く認知させた。しかしアナログの情報は未だスローペース。Googleが全世界の書籍をデジタル化しようと、まだ実体としての本は200年はなくならない気がする。また、アナログ情報はデジタルと違い、10年溜めて価値が出てくるという。なればこそ、長く続けられる前述の「土台の一貫性」を守るべきだ。


高速道路が誰にでも開放され、知識レベルの差異が本当にゼロになったら。ウェブ高速道路を走った先で渋滞に巻き込まれたら。他の人は持っていないアナログの蓄積が特別な価値を発揮してくるんじゃないか。そう思ってる。

*1:この言葉も使いすぎるとライフハック(笑)になりそうだ

*2:羽生氏が発信源らしいが