ミームの死骸を待ちながら

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators. We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators. - Richard Dawkins "Selfish Gene"

We are built as gene machines and cultured as meme machines, but we have the power to turn against our creators.
We, alone on earth, can rebel against the tyranny of the selfish replicators.
- Richard Dawkins "Selfish Gene"

中途半端なフューチャリスト化は毒にしかならない

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

実にタイミングがよかった。修士課程での留学を教授に反対され、4年間で博士がとれるという特別なコース(しかも補助を受けて留学できる)を進められた。それは極めて正しい説得で、「博士に進もうか」と心が傾いた、まさにその翌日に『フューチャリスト宣言』を読んだ。研究室に所属して数ヶ月、「アカデミックの道に進む」という暗黙の仮定が知らぬ間に自分の思考に浸食していた。
そんな時に焼け石に水。ベクトルの違う意見を二連発でぶつけられた。困った。


梅田さんは18年間のコンサルタント経験、茂木さんは学位をとり研究者として生計を立てていた(いる?)経験があり、物の見方の「核」になっている。それでいながら、

たくさんの分野に興味があって、関係性に興味がある、俯瞰して全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人は、これからの時代有利になってくる気がします(p.111)

狭く深く掘り下げるタイプの人たちにとっては、たしかにハイリスクになりますね(p.115)


などという。核を作るよりも、全体を見渡すことを奨励する。何も持たない人間がその未来を無邪気に信じて行動を起こす方が、ハイリスクに思える。引きこもりニートがいいプログラムを書くかもしれないが、それで認められる社会の範囲は決して広くない。


本書全体を通して感じたのは、交わされる会話はすべて「持てる者」の視点に基づいているな、という点。一流の大学を出た二人が「大学は死んでいる」と言っても、何か…。真面目に大学行ったから気付いたのかもしれないけど。

ウェブは世界の最高学府たりうるレベルまで成長していないし、環境も整っていない。特に日本ではそうだ(一時期よりだいぶましになったが、コレと、コレが同じOCW:オープンコースウェアという名を持っていることに違和感)。

 2007年現在の10代・20代が社会に出て評価される時、評価者はまだ古い世代だろう*1。完全に日本を捨てて単身シリコンバレーに移り住むとか、起業するとか、それほどの勢いがもてない普通の人(または少しでも既存のレールを走ろうとする人)は、扇動的な言葉に釣られてネットだけで生計を立てようとか、大学に行かずウェブで勉強しようとか考えるべきではない、と自分は考える。中途半端なフューチャリスト化は毒にしかならない。


最近、研究室で俯瞰的な姿勢*2を否定され、本業の研究のツメが甘いことを思い知らされ、とても悔し恥ずかしい思いをした(というかナメてた)。
まず若いうちに何か一つ成し遂げ、「学位」という資格を持って社会に出ろ、と言われた。21歳という時期は色々浮気するよりも、恵まれた環境で「核」を作るべきなのかな…と思い始めている。つまらないな。


梅田さんの語るウェブの未来、茂木さんの描く脳科学のダーウィン的革命。両方面白いと思うし、今すぐにでも関わりたい。しかしそれをするにはあらゆるものが足りない。行動力があれば何でもできる!と現在を吹っ切れるほどの勇気もない。
自分自身が今不自由な思いをしているから、今日の日記は、楽しそうに未来を語る二人に対する嫉妬なのかもしれない*3

*1:と思ったのだが、同書中では世代に関して「2015年には1975年生まれが40歳、かなりの実権を握るようになっている」と好意的な見方をしてる

*2:自分が俯瞰的だと思っていること:「あらゆるジャンルの本を乱読する」「専門分野以外の活動に携わる」「知識を体系化してまとめ、Myデータベースを作る」など。アウトプットが足りないかも

*3:今感じている不自由など、後から見ればたいしたことないだろうが…