Let's Note R7にUbuntuとXPのデュアルブート環境を作ってから元に戻せなくなるまでのメモ
※2008年ごろに環境構築したはいいがほとんど使わず、
使わないならもったいないと思って2010年の7月に元に戻そうとしたもののハマった、という流れ。
はてなのprivateブログにメモしていたが、色々整理する過程でここに移すことにした。
であるからして、所々時系列がおかしい記述があるし、技術的にいろいろ怪しいが、気にしない。
◆◆◆◆◆
2008年、インストール編
研究室のスタンダード言語がperlなので、一人Rubistを貫く信仰心もなく、先輩の遺産を読めるくらいに勉強しようとLet's NoteにPerlインストールを試みる。並行して、数学的にデータを解析するためにC言語を使っていた。※今となってはCもほとんど使わず仕舞い。
Visual C++を使っているものの操作がvimでないため、効率が下がりまくりだ。また、Active Perlやらcygwinやら…だんだんうんざりしてきた*1。
そうだ、Linuxを入れよう。というわけで、以下、将来の自分のためのメモ。
わからなかったことがわかるようになった記録、できなかったことができた記録は貴重だ。初めての出来事はその一回しか起こらないのだから、記録しておいたほうがいい。
というようなことを糸井さんあたりが言っていた気がするがソースがない。
id:wakutekaのようなクリーンインストールも少し考えたが、研究室のPCとデータ共有するし、就活のWebエントリーはWindowsじゃないといろいろめんどくさいし、デファクトスタンダード爆発しろと呟いてデュアルブートに決定した。
※VMware入れた方が便利だった、という後知識。
- 機種
- Let's Note R7
- OS
- Windows XP SP2
- HDD
- 120GB, 現在30GB弱使用。パーティションわけなし(Cドライブのみ)。Ubuntuには40GBを割り当てることとした。
- Linux Distribution
- Ubuntu7.10 日本語 localized*2
- DVD drive
- USB接続。↑のDVDを入れて接続した状態で起動した。
- ネットワーク
- E-MOBILE D02HW。これも接続した状態で起動した。
Dual bootでインストールするところ
起動時、Windowsロゴが出る前にF2を押す*3と、BIOSメニュー(というのかどうか知らない)が表示される。「起動」項目で「USB CDD」をHard Diskより上にもってくる。
DVDからUbuntuが起動し、、、って何かノイズが出てイヤな感じの画面で止まりました。焦りつつ電源ボタンでリセットして再チャレンジすると通る。謎。
しばらく放置するか一番上を選択するかそのまま放置していると、デスクトップが現れる。
次にネットワークの設定を行う。ここが一番苦労した。/var/log/syslogをtailしたり。よくわかんね。
- /etc/network/interfaceの末尾に
auto ppp0
が追加されることを確認。
$ ifconfig
した結果の中にppp0があればつながっている証拠。次回以降のログインでは、
$ pon ppp0
とするとつながる模様。たまにうまくいかなくて再起動したりする。なんだろ。とりあえず、USBは起動前から刺していた方がよさそうだ。
さて、DVDから起動してインターネットの接続が確認できたので、HDDにUbuntuをインストールする。デスクトップの「インストール」をダブルクリック。
まず言語やキーボードの設定。見栄を張らずどちらも日本語。パーティションは約40GBを割り当てた。Windowsからデータを引き継げるらしいので、FirefoxとMyDocumentを引き継ぎ*4。アカウント、パスワード、PC名などを設定して最終確認画面。
ここで怖いのはWindowsインストール領域を間違えて消してしまうことだけど、とりあえず「以下のパーティションが初期化されます」項目の中に「SCSI(0,0,0)(sda)パーティション1」がないことを確認して安心しておこう。
これで再起動すればめでたくUbuntuインストールの完成。もう一度起動する前にちゃんとDVDドライブを外して、BIOS画面で起動優先度をHDD>CDDに直しておく。
Windowsメインで起動させる設定
デュアルブートにしていると最初にOSを選択する画面が出てくるのだけど、今は何も操作しないとUbuntuが起動する要になっている。ここで、Ubuntuから
して設定を変えてやれば、windowsデフォルトで起動するようになる。menu.lstの内容は以下のようになっている。
# menu.lst - See: grub(8), info grub, update-grub(8)
# grub-install(8), grub-floppy(8),
# grub-md5-crypt, /usr/share/doc/grub
# and /usr/share/doc/grub-doc/.
## default num
# Set the default entry to the entry number NUM. Numbering starts from 0, and
# the entry number 0 is the default if the command is not used.
#
# You can specify 'saved' instead of a number. In this case, the default entry
# is the entry saved with the command 'savedefault'.
# WARNING: If you are using dmraid do not use 'savedefault' or your
# array will desync and will not let you boot your system.
default 4 # <-ここを0から4に変える
## timeout sec
# Set a timeout, in SEC seconds, before automatically booting the default entry
# (normally the first entry defined).
timeout 10
defaultの値を0から4に変えた。最初に出てくるブートローダー画面で何番目にWindowsが表示されているかによって、何番に変えればいいのか決まる。
インストール後の最新版アップデート
更新ファイルが240個あるとか言われたので、アップデート・マネジャーを使ってプログラムをもろもろ更新。2時間くらいかかると脅されるが、結局xxxくらいで終わる。
加えて、どうやら最新版は8.04であるらしく、せっかくなので7.10からアップデートした。バルーンで出てきた表示に乗せられる形で、あまり設定を進めていないうちに。
アプリケーションのインストール場所だが、
/usr/local 又は /opt が一般的です。
http://questionbox.jp.msn.com/qa2516236.html?StatusCheck=ON
使い方はそれぞれ以下の通り。
/usr/local は、直下にインストール。
他のアプリと同じディレクトリを共有する。
/opt は、「ソフトウェア名」ディレクトリを作成し、インストール。
アプリ毎に別個のディレクトリを割り当てる。
Windows的にアプリ毎で管理したければ、 /optがお勧めです。
とのことなのでFirefox3.0を/opt/下に入れる。/opt/下をいじる場合管理者権限が必要なのだが、Ubuntuは安全上の問題でrootログインができないようになっている。そこで、
$ sudo su
で擬似的にrootになれる。
Firefox、ブラウザ間同期など設定。
UbuntuでのFirefoxも基本的にWinと同じように設定。アドオン状況とか自動で共有してくれるんないんかな*5。Google Browser Syncはタブとか履歴メインやし。
firefoxアイコンクリックすると起動するのだが、これは
firefox %u
というコマンドを呼ぶらしい。firefoxというコマンドは
/usr/bin/
下にシェルスクリプト(?)として存在してる。
日本語まわり
apt-getでいろいろインストール
今回初めて使ったのだが、Ubuntuではaptというパッケージ管理システム(?)が装備されている。rubygemsで少し似たことやったけど、あんなかんじだ。たぶん。とりあえずvimmerの端くれとしてvimフルインストール。(初期設定はvim-tinyで、機能が制限されている)
$ sudo apt-get install vim-full
続けてプログラムと拡張パッケージいろいろ。
$ sudo apt-get install ruby
あと、一応原著持ってるんだけど、"Programming Ruby"もダウンロードしておく。
$ sudo apt-get install rubybook
Firefoxとかでfile:/usr/share/doc/rubybook/html/index.htmlを眺める他、w3mとかで
$ w3m /usr/share/doc/rubybook/html/index.html
とサクサク拾い読むのもよいかもしれない。grepできるし。
Rも入れた
んでもって、先週から就活と並行して本格化しつつある本業(修士論文研究)のほうで、どうやら行列の対角化とか分布とか座標とか扱う必要があり、Cをガリガリ書くのもいいけど、Tsukuba.Rでhogelogが明らかにした所によればRの中身はCとLispであるらしく、ソースを適宜眺めればCの勉強にももなるんじゃないかと踏んで、まぁ何よりラクできそうなので、Ubuntu上でRと戯れる選択肢を取った。
$ apt-cache search statistics
とやると、R関連のパッケージ候補がいくつか上がってきた。依存関係、推奨パッケージを表示してくれるのがありがたい。essのvim版ないんかな? CRAN系は今はいいとして、apt-cache show でいろいろ眺めて考えた結果、
$ sudo apt-get install r-base-core/r-base-latex/r-base-dev
たちをインストールする事に決定*9。devはいろいろと依存していて、そいつらも同時にインストールされるため50MBくらい。最後に
$ sudo apt-get check
で、ちゃんと依存関係にあるパッケージがもれなくインストールされていることを確認し、終了。
2010年、アンインストール編
↓このへん参考にして、
大まかな手順は
- マスターブートレコード(MBR)をWinXPで上書きし、
- ubuntuで使用していたパーティションを削除する
です。「WinXPがプリインストールされていてインストールCDが無く、フロッピーディスクドライブが無いFMV(ノートパソコン)」でどうやったかメモっておきます。
ページが見つかりません:@nifty
デュアルブート環境をリセットしようとしたのだけど、どーにもうまくいかなかった。
まずは楽天が運営するポータルサイト : 【インフォシーク】Infoseek←この方法でXPのインストールディスクを作成。フロッピー用のデータを分解して中身の必要なところを抜き出して、できたisoをImgBurnでCD-ROMに焼く。
その状態で上記の「インストール編」と同様にCD Driveから起動して、[R]キーで回復コンソールに入る...つもりが、ディスクチェックで弾かれ、MBRの書き換えまで進まなかった。
*1:大学サーバーにログインして研究する時はLinuxなので問題ないのだけど、自習用としてNote PCに簡単な開発環境を構築する必要があった
*4:したが、なんかうまく引き継げてないかんじ。あてにしないほうがいい
*5:最近はXmarksに落ち着いている。Chromeにも対応
*6:まずこの設定をやっておけば、システム > 設定 > キーボード・ショートカット でwindowsキーをmod4キーとして機能を割り当てられる
*7:もう最近は親指シフトを諦めていたりする…あんま日本語入力に改善の必要性を感じてないし。なおUbuntuはデフォルトで親指シフト入力を選択可能
*8:id:ukstudioのVImM#2発表を思い出しながら
*9:coreだけで40MB食いおる
はてダをMovable TypeでExportすると日付が1970年になってしまう件
はてなダイアリーをWT形式でexport(管理画面の「データ管理」から可能)したデータをWordpressでMovableType形式として読み込むと、だいたいOKでコメントもちゃんと移行できる。
「-----」5本で項目区切り、「--------」8本でエントリの区切りになっている。
すげーと思ったんだけど、一部不具合&検討事項。メモ。
日付が1970年1月1日になってしまう件。
書き出したMT形式になったはてダ記事データの一部が
DATE: 07/12/2010 00:00:00 AM
こんな形になっており、この書式が悪さをしているらしいことは確認できた。
検索したところ解決策はいくつか方針があるらしい。
10:00:00 AM
などと「00時」からずらしてやればいいらしい。正規表現で
s/00:00:00/12:00:00/g
とかやってみたところ、今までの3年半?くらいの記事で59箇所置換された。そして正しい時刻でインポート。おお。
ちなみに別の方法で回避した人もいる。両方踏まえるならこんな感じか
s/00:00:00 [AP]M/10:10:10/g
ということでテストしてみた。
今のトコどちらの置換でも不具合は見あたらないが...全部やってみないとわからんな。
それにしても、これの原因、ひょっとして「d.hatena.ne.jp/Hash/hogehoge」の、「hogehoge」部はデフォルトでUNIX TIMEだけど、ここを任意の文字列にすることも出来て、任意の文字列にしている場合は時刻への再変換ができずに時刻が「00:00:00 AM」になってしまってる感じだろうか。
もしそうだとするとMT形式Export機能のバグになるのか。はてなさーん(はてなIDEAに投稿するほどの気概はない)(でも呼ぶ)。
今、再び「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」と聞かれたらどう答えるか?
1年半ほど前にこんな記事を書いたことがある。
先日、とあるコンサルの個人面接で珍しい質問をされた。
「じゃあ、最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」
思いつかず焦った僕は、最近まとめた去年の読書冊数を伝えた。質問に答えた瞬間社員さんの反応が「微妙」であることを悟り、しかるのち軽薄な自分を恥じた。
コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された - ミームの死骸を待ちながら
今日は、現在の僕がこの質問を投げかけられたとしたら、という視点で記事を書いてみる。就活の面接テクニックでもないし、コンサル的なロジカルさもないから、いまひとつスッキリした回答ではないが、とりあえず現在の僕の答えを記録する。
ただ、僕は今回上記の回答に対して記事として練った上で書くわけで、あの面接の時みたいにとっさに質問されたら、またやっぱり軽薄な答えを吐くのかもしれない。だから「今の僕ならどう答えるか」というタイトルはある意味不適切だ。まぁいい。
さて。
僕がシューカツ、もとい就活で学んだ大きなものごとはいくつかあって、そのうちの一つが
「自分の本心からではない言葉を吐くべきではない」
という確信だ。
もちろん、その他大多数の中から自分を浮かび上がらせるためのテクニックとして、レジュメの文章をちょっと工夫するなどという意向はアリだと思うが、面と向かって話す段階になると、これはもう素を出した方が良い*1。
落ちるとこは落ちたけど、ちゃんと素を出した上で落ちた企業は、気持ちよく落とされることができたと思う*2。
そういった前提の元、上述の
「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」
という質問を今受けたと仮定すると、僕の思考は以下の様に働く。
まず素の感情を暴露すると、僕はどうしても自己評価が低い。どうもこいつは性格の根底に根付いている思考であり、引きはがすことは不可能らしい。
という訳で、僕が日常の中で
「俺ってスゲー」
と本心から思うことは、ほとんど無い、と言って良い。
だから「面接においては素を出すことが一番」という前提の元で、あれから1年半経った今の僕が回答できる本音は
「ないです」
という一言で終わってしまう.....ことも有り得る。だって、実際ないのだから。
でもこれではあまりにひどいし、いくら本音とは言えまともな回答ではない。
でもまぁ大丈夫だ(何が。
現在の僕ならば、低い自己評価を晒した上で続く回答を提示することが出来る。そして、それが今回の本筋とも言える部分でもある。
根拠となるのは、他人の評価、しかも僕が尊敬する他人からの評価である。
ここ数ヶ月、(または思い返して)1,2年で、僕が「スゲー」と思っている人から「お前のここはスゴイ」と認められた部分が、いくつかある。
まぁ、そんなところだ。
ひとつ言っておきたいのは、僕自身は上記すべての項目について「ぜんっぜん大したことないです」と確信を持って断言できる。しかし、自己評価の歪んだ僕の視点を殺して他人の評価を冷静に並べてみると、それなりの人が僕に対して「スゲー」部分を認めてくれているらしい。
※もちろんこれらの長所は裏返せば弱みにもなり得る。
幸いにして、僕は人を尊敬することにかけてはなかなか高いレベルを誇っていると思う。
結構、世の中の人は他人を簡単に馬鹿にするし、どうも僕が思っていた以上に「他人の価値を認める」という思考回路を、心の奥の方に仕舞い込んでしまっているらしい。
まぁ、斯く言う僕も聖人君子ではないのですべての人を尊重することなどできない、っつーか「みんなと仲良く」的な事なかれ主義の下で生きるのは真っ平御免であるし、はっきり嫌いと断言できる、可能ならば関わりたくないタイプも存在する。
とはいえ、僕は自分が「凄くない」ことを既に前提として認めてしまっているので、世のあらゆる人は何らかの点で僕よりも優れている、という認識を、すんなりと、抵抗なく、一続きのなだらかな思考に沿って受け入れることが出来る*5。
自己認識上は果てしなく無能な上に何があろうと自分に満足できない性格なので、僕を個人的に評価してくれる他人というのは、本当にありがたい存在である。なんてことは面と向かって言えないので、ここでありがとうする。ありがとう。
さてさて、
僕がこの"他己"評価を、個人的な価値観では認められないにしろ、嫌々ながら、それでいて照れくさい、べ、別に嬉しくなんかないんだからね的なツンデレ精神を以て需要できるようになったということは、
「俺は凄かったのかも知れない」という可能性、
あるいは「別の視点において、僕は凄くなり得るのかもしれない」という"他者の視点の許容"そのものであり、
この些細な、それでいて(僕にとって)絶大なインパクトを持つ概念は、1年半前の僕には決して備わっていなかったものだ。
今僕は4ヶ月目の社会人生活を楽しんでいる所であり、当たり前のことができなくて少々苦労しているが、普通の人には出来ないことを当たり前に実行できる"自我"と"環境"を、僕は既に構築していたらしい。
ところで今回のテーマは何だっけ?
「最近"俺ってスゲー"と思ったことは?」
....うん。答えになってねー。
ジャマイカ記想録(1)--機会の稀少性を求めて
彼女がブラジルへ行くのはカポエイラの修行のためだと言った。ブラジルにいる師匠の下で1ヶ月間、泊まり込み合宿をするのだそうだ。僕は合気道部を辞めた後にカポエイラをやるかそれともテコンドーにするか、最後まで迷った挙げ句テコンドーを選択した程度には、カポエイラに憧れがある。足技が好きなのだ。
カポエイラ、ダンスみたいですよね。いやいやもっと深いもんだよ。テコンドーも深いよ。僕は弱いけどね。闘ってみる?...名前も知らないまま別の便に乗り、マイアミに向けダラスを発つ。
日本からジャマイカへの直通便はなく、アメリカを経由して乗り継ぐ。アメリカを経由すると言うことはすなわち、例のテロ云々以来強化されたTSAやらESTAやらあのへんごにょごにょする必要があり、多少、面倒くさい。
成田からダラスへと太陽と逆行するように短い夜を抜けた後は、カリブの島々との間で便が発着する、マイアミ空港へと移動する。
係員があくびをする。僕にとっての非日常も、彼らにとっては退屈な日常なのだろう。僕の顔を見て「ジャマイカで何やるんだ。ガンジャ(マリファナ)か」と聞いてくる。計3回くらい聞かれた。僕の顔はそんなにトリップ系か。トリップ系男子。
マイアミからジャマイカの首都、キングストンへ。
(写真は昼のものだが)
夜22時のキングストン空港は、お国柄かそれとも夜だけなのか、入国審査が適当でのんびりしている。
ジャマイカは90%が黒人(アフリカ系)なので、見渡す限り肌の色は真っ黒だ*1。この中に東洋人の黄色い肌が混じると、それはそれは目立つ。
空調の効いた空港から出て「暑い...!」100%夏の夜だ。西田さんと合流し、ピックアップしてもらう。今日はこれでも冷え込んでいる方らしい。なんてことだ。
初対面で宿をお借りする*2という僕の図々しさをやや後ろめたく感じていたが、実際に会うと体操のお兄さん的(文字通り職業が体操のお兄さんなんだけど)さばさばした人で、僕は一発で好感を持った。
空港から宿となる西田ジムへの道すがら「ジャークチキン」というジャマイカ名物料理を狙う。ジャマイカ人はチキンが好きだ。とりわけ、濃いめのどっしりした味付けが好きらしい。
ジャークチキンはジャマイカ料理の特徴が顕著だ。「おいしいジャークチキン売ってる所があるんよー」と案内され、向かった先はどこかの駐車場...店に入るかと思いきや、路上でジュージュー鶏肉焼いてる。これはすごい。
注文すると、でっかい包丁でバッコンバッコン鶏肉を分断して、ケチャップ(?)をぶっかけて食パンに挟んでアルミ箔に包んで、ホラヨと渡される。
ワイルドな。
写真を撮らなかったことが悔やまれる。
そして車に戻ろうとすると、勝手に車の窓を掃除している兄ちゃんがいる。汚れた水をボロ布に含ませて、わしわしと拭いている。そして当然の様にお金を要求。
フリーダムな。
圧倒され、テンションも上がりながら、西田さんの奥さんと同時期にジャマイカに来ていた体操仲間のOさんも加えた4人で、ジャークチキンをつっつく。おお。。。おいしい。
どうやら今は深刻な水不足らしく、生活の水にも事欠く始末。
「いい時期に来たねー」
ええ、僕もそう思いますよ(←トラブル好き
THE 西田ジム。ここをしばらく寝床としてお借りすることになる。
ジャマイカの夜は暑い。しかし蚊が多く、寝るときは長袖を着ないと刺されてしまう。僕は日本だとわりと蚊の好む血らしく、大抵は出血大サービス(文字通り)なのだが、ジャマイカの蚊にはどうも好まれないようであまり刺されなかった。
体操用マットの上で三人が雑魚寝の体制になったとき、僕はようやく、慌ただしく、しかし時差のおかげで間延びした一日を、振り返る時間を得たのだった。
僕がジャマイカに来た理由。 --機会の稀少生
2010年2月。修士論文発表が終わるやいなや京都に逃亡し、その後ぼくは海外に高飛びをキメた。所詮なぁなぁな日本の大学*3、形式を揃えときゃ修了証書を取り漏らすことなどあるまいと高をくくっての暴挙だった(そしてその判断は正解だった)。海外逃亡の第一段がジャマイカであり、その思考の流れは以下のようなものだった。
- 就職する前に貯金をはたいて海外行って来よう
- がんばれば予算的に二回の海外旅行が可能だ*4
- 正統派の「旅行」としてヨーロッパは確定(行ったことないし)
- もう一個はどこにしよう
- アメリカは2回くらい行ったし。
- 中国はどうせ会社が進出するだろう(楽観
- 台湾や韓国なんかは、社会人になってからも短期で行ける
- すると南米かインド、アフリカあたりか...
このへんまで考えていたところ、id:fly-higherさんに軽い感じで「ジャマイカいいよジャマイカ」と勧められ、なにしろno ideaだったものですぐさま飛びつく。
話を聞いたところ、体操の先輩がジャマイカでジムをやっていて、fly-higherさんはそこでしばらく滞在したことがあるらしい。海が綺麗で、ちょっと(?)治安が悪くて、僕にとっては未知の国。「Hashは適当に生きてるジャマイカンを見て、肩の力を抜けば良いと思う」というような事も言われたり。
もしよければ紹介するよとのお言葉に甘え、知り合うことになったのが(冒頭で既に登場した)西田さん、である。
これほど海が似合う男もなかなか居まい
元は青年海外協力隊の体操教師としてジャマイカで子供達を指導していたが、任期が終わった後もジャマイカに残って子供達を指導しているそう。
ジャマイカ滞在中に、他の青年海外協力隊のメンバーとも交流する機会を得るのであるが、僕が今まで見てきた世界とは別次元、それでいて、一続きで等身大な、若い世代がちゃんとその道で生きている。僕の知らない世界。日本から見ていると視界に入らない、日本人。
いろんな道がある。可能性は無限であり、根源的に、その思考において人間は自由だ。思考を行動に投射することを考えなければ。
。。閑話休題。
そもそも僕がここに来たのは、僕の行動原理のひとつ「機会の希少性」を考えた結果だった。
若いうちに何も集めようとしなければ、
年をとってから何を見つけられるだろう?
(エルサレム聖書 シラの書 25章3遍)
「機会の稀少性」を重要視する行動原理は、すなわち、おもしろそうでめったになさそうなことにはリスクが高かろうとも速攻飛びつき、今しか出来ないことには割高であっても集中投資を行う方針だ。
だから田舎の大学に進むのではなく東京を目指した わけだし、空手でも柔道でもなく、カポエイラや合気道やテコンドーを選んだわけだし、生物専攻で会計とプログラミングをかじろうとしたわけだし、10数人のベンチャー企業に入ろうという気にもなるのだ。
ぼくはたぶん、平坦を恐れている。
全てをフラットにどうでもいいものだと認識させる、自分の中の"何か"を恐れている。
その"何か"は強い力を持っている。かつて好きだったものや人は、その力の前にどうでもいいものとなって忘れ去られた。
忘れられることはとても恐ろしく、忘れることはもっと恐ろしい。
白鳥のいた町 - ミームの死骸を待ちながら
故に僕は、まかり間違っても平坦になりようのない、アップダウンの激しい道を好む。
どうしようもなくなったときに引き金を弾く自害用の拳銃みたいに、いつでも全部ゼロになる可能性を、自己を護るものとして側に置いておく。ここに来たのも、無茶をしたかったから、という思考はあるのだろう。
それでも、無茶をやり通せない。アップダウンが激しい道を望みながら、いつでもこうして、少なくとも体操マットの上に、自分自身の寝床を確保してしまうのだ。
...ジャマイカの夜は更ける。
自由と直感の独壇場「ノーガード乱れ撃ち戦略」の敗北について
まぁ僕のような人種が只の一度も躓くことなくしっかりちゃっかり社会人としてやってけるわけねぇだろと思っていたのだけど予想に違わず今まさに、なかなか厄介な壁の前にいる。やっほーみてるー?
おそらくこの壁は僕にとって学生と社会人の違いであり、認識ギャップであり重みという断絶でもあり、同時に、僕に長年つきまとう弱みの発露である。
この年になってまで戦う相手が未だ自分自身とは、実に笑止千万である。
こんてんつ
- 意志として身軽であること
- 「好きなことだけやる」生き方の弊害
- 責任負わずリカバリー要らず
- リスク回避について意識を変える必要がある
- 仕事verの性格を「追加する」
- 空を見上げるか空を飛ぶ
意志として身軽であること
どうやら僕は、なんというか、ノーガードで生きてきたらしい。
ガードする必要はなかった。
裸一貫で突入してもなんとかなるし、なんとかならなきゃ撤退するまで。撤退は僕にとって、僕自身の選択である限りは決して「負け」ではなかった。
根回し、保身、計算、予定調和とテンプレート思考、そういったものをひっくるめてめんどくせぇと見なして低く扱ってきた。
ガードを行わず周囲にも会わせないことによりフットワークは軽くなり*1、その結果として、"直感"という名の短期的自由意志に従った選択肢を取りやすくなった。
幼少期にカルト宗教による思考の不自由を経験 し、ようやく開放された僕にとって、他ならぬ自分自身の「自由意志」は、他のあらゆるものごとを足し合わせても敵わぬ程の価値を有していた。
付き合いが深くなるとよく言われた「こんな自己中な人とは思わなかった」という言葉は、僕にとってはどっからどう聞いても褒め言葉であり、自己の肯定を促した。
不自由から自由礼賛へと大きく振れた僕の振り子は、もしかすると表面的にはそのつもりがなくても、押しつけられたものごとに必死になる隣の人間をせせら笑いながら、俺はお前らとは違う自分自身の行動を自ら選択しているという傲岸不遜な精神を醸成したのかも知れない。
「好きなことだけやる」生き方の弊害
ガードしなくてもいい理由は、自由意志礼賛思考の他に、もうひとつあった。
「乱れ撃ち」戦略の成功、である。
僕はガードをしない代わりに、手数を増やして「うまくいくところ」からヒット&アウェイで稼ぐようなイメージで日々を重ねてきた。
一点を「突破する」よりも、一歩引いてふらふら眺めて、あーここなら僕でも突破できそうだなーというところを発見してちょっかいを出してみる。攻め落とせるならもっと突っ込むし、予想以上に防御が厚かったりするとさっさと手を引く、という戦略である。
この「乱れ撃ち」戦略は、時には"ひっかかるもの"もあったが、個人的にそれなりに満足する結果が得られたため、根本的には自分の"気分"や"直感"に従って生きてもまったく問題はない、と信じ込んだ。実際に、大した問題はなかった。
確信を深めた学生時代の僕は「興味拡散系」を自称し、実際、僕にとっての真実であるその思想に従って行動してきた。幅広くいろんなものに手を出して、そのうち一つが成功すれば儲けものと考えた。趣味でも勉強でも人間関係でもまんべんなく乱れ撃ちを重ねて、感触の良いものだけを選別し、選択した。
うまくいく所だけ拾い集める。let it be、好きなことをやり、やれることをやる。気の合う人とだけ付き合う*2。
一方、うまくいかないものはうまくいかないままにしてしまう。その結果、状況は
- (1)放置して塩漬け状態になるか、それとも
- (2)自ら状況を切り捨てるか、
の2通りに帰着する。
責任負わずリカバリ要らず
そしてノーガード乱れ撃ち戦略は、基本的に「修復」を必要としない。ガードがゼロであるため、大抵の傷は致命傷となることが原因である。救いようが無くなった状況は、外科手術によって目の前から切り捨てる。葬り去る。
この志向性は少しずつ、しかし確実に、傷ついた「信頼・期待・イメージ・計画 etc」のリカバリーにすこぶる弱い性質を作り上げた。
そんなわけで僕は一度軌道を外れたものを修正するのが苦手だ*3。仕事にしろ環境にしろ人間関係にしろ、とにかく軌道を外れたらそれを「失敗事例」としてリセットしたり切り離したりしてきたので、リカバリーが超へたくそなのだ。
先に「ひっかかるものもあったがそれなりに満足する結果を得た」と書いた。ところが、いま問題を噴出しているのは、まさにこの「ひっかかって」いたポイントであるらしい。ひっかかっていた"もの"は僕の中では単一のイメージとして存在しているのだけど、いくつかの単語でそのイメージをあぶり出すことを試みると、
「責任・完遂・継続・誠実・集中」
こんな風になる。
顔を背けてきた弱みがまたしても自分の前に立ちふさがった。人生におけるその遭遇頻度から考えるといいかげん対応を学習しても良さそうなものだが、過度に「自己の選択/決断」を重視する僕は、「撤退/失敗の苦い経験から学んで次からはガードを固める」という学習プロセスを経てこなかった。
ところが。会社に所属し給与で生計を立てる"サラリーマン"という道を選択した以上、僕はもはやノーガードで進むわけにはいかない、という単純極まりない事実に気が付いた。
そして最近僕が目の前に見上げるこの「壁」も、原因を辿るとその一つは「ガードの甘さ」に帰結するのではないか、と考えている。
要は、僕はまともに責任というものを背負ったことがなかった。
リスク回避について意識を変える必要がある
社会人として任される仕事は(個人レベルで躓くのはしょうがないが)組織として失敗してはならない。基本的に。
失敗しないためには、行き当たりばったりではなく、予測を立てて、起こりうる危険を想定して、早め早めに対処する*4。つまり、ガードを固める必要がある。
僕のやり方では、爆発する姿が容易に目に浮かぶ。
ガードを固めずに突き進み、失敗したらハイそれまでよとするフリーダム無責任思考は、もはや通用しない。
そして、ホイホイ受けてうまくいったものだけ成果として計上するという「乱れ撃ち戦略」は、会社において極めて大きなリスクとなり得る。
僕はどうやらリスク回避について意識を変える必要がある。
会社としての危険を回避し、降りかかるリスクを軽減させるために、僕はもっと臆病である必要がある。 そのためには僕個人の「ノーガード」気質とは別に*5、会社で働く人間として(誤読される危険を承知で言葉を選択すると)「保身」と「言い訳」の概念を身につける必要があるのではないか、と考えている。
「言い訳を身につける」と言うと悪いイメージを持ちかねないが、会社がリスクを回避するために用意しておく「既成事実/正論」のようなものだ。これを「会社が言い訳するための下準備」。
ちゃんと仕事をやろうとしていても、根回しが悪くて悪者にされてしまっては、どうしようもない。この価値基準は倫理的な善悪とは別軸で成立しうるものだと僕は信じる*6。会社視点で考えないといけない。
そして、僕は、楽観的な予想をしてふらふら好き勝手にやってきたから、状況をシビアに見積もる習慣がない。事実を我が事として切実さを以て捉え、具体的なアクションに落とし込むまでにひどく時間がかかる。時間がかかってもアクションに落とし込めばまだいい方で、たいていの場合、備え忘れて失敗する。
ここでつらつらと失敗の数々を列挙しようかと思ったけどまだ対策が自分の身に染みついていないので、やめた。、
今僕は、怖れることと備えることは別種の哲学に基づくと考え、実践しようとしている。難しいけど。
仕事verの性格を「追加する」
ビジネス世界の入り口では敗北してしまった「ノーガード乱れ撃ち戦略」だが、僕はこれを完全に捨て去るつもりはない。かといって、学生時代の自分流で貫き通せないことは目に見えている。
経験が使えないなら学習するしかない。以前自分でもブログに書いた様に、ノーガードで進めないならば、局地戦用兵装を身につけるしかない。
抽象化された「レッテル」という自己認識は、時に、"自己の性格を必要以上に絶対視する"という過ちを誘発する。自己の性格を絶対視し、「自分はこういう性格だ」と思ってしまうと、「悪い気質を根絶しよう」「性格を一新しよう」という考えへと陥りやすい。現状の性格の悪い面だけ見て全否定し、新しい自分とやらに生まれ変わろうとしてみたりする。ところがそいつは無意味なことだ。実際の気質はデジタルに変わるものではないから、試みは失敗に終わることが多い。
性格は変える/直すのではなく「追加する」 - ミームの死骸を待ちながら
単純な話だ。単純な話なのだけど、乗り越えられそうで、ちょっと難しそうな、絶妙な感覚。
おまけ的な。
コミュニケーションの型を身につけるように努力してみようと、実践を心がけると共に色々と本も読んでみているのだが、他の人にも一番薦められるなぁと思ったのがこれ。
一人前社員の新ルール (アスカビジネス) | |
まこといちオフィス 2009-05 売り上げランキング : 213803 おすすめ平均 他の新人に教科書として渡したい とにかく読みやすい! Amazonで詳しく見る by G-Tools |
前回のエントリで紹介した世界一わかりやすいプロジェクト・マネジメント 【第2版】よりも、僕は先にこちらを読むべき。
空を見上げるか空を飛ぶ
閑話休題。
仕事楽しいよ。できないけど、楽しい。楽しさが顔に出ないタチだけど。まだまだがんばれる。
最初に「僕のような人種が躓くことなく社会人としてやってけるわけねぇだろと自分でも思っていた」と書いたが、同時に「飽き性の僕が仕事に打ち込めるかどうかわからん」という、より悲観的な予測も立てていた。
後者については、まだ2,3ヶ月の段階で判断するのも早いかも知れないが、完全に外れたと思う。
研究に向いてないと判断して社会に出て、そこでも箸にも棒にもかからないとなると、空を見上げるか空を飛ぶか(身投げ的な意味で)しかねぇと思っていた過去の自分よ、祝え。
幸いにして、ぼくは地に足を付けてやって行けそうだ。
FREEとiPadとBookScan、情報収集四方山話
最近話題のフリービジネス。フリービジネスってなんなのさ。
会社でただ働きに近い作業を「フリービジネス」などと言って笑っているが(笑ってる場合じゃねぇ)、真面目に考えるために件のベストセラーを手に取り読んでみたのは1ヶ月前くらいの話。結論。"FREE"という切り口で以てして古典的な経済学ではカバーできない現象を説明するその手腕が秀逸であるが、記載されている物事はさほど新しくない。
フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略 | |
小林弘人 おすすめ平均 フリー経済について知る必読書 この本はフリー(無料)じゃなくても売れてる! ビジネスモデルの参考書 デジタルだとフリーって発想がふりいー デフレの中、売上減に悩む企業に通じる問題 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
FREEでは、フリービジネスモデルを4種類に分類している。
そのうちふたつは古くからあるが、進化したもので、残りのふたつはデジタル経済と共に登場したものだ。それらを見ていく前に、四つのフリーを一歩下がってみてみれば、それが同じひとつの事象のさまざまなバリエーションに過ぎないことが分かる -- つまり、商品から商品への、人から人へのお金の移動、現在と将来のあいだでのお金の移動、あるいは非貨幣経済の市場に入ってまた出て行くことだ。経済学者はそれらを「内部相互補助(他の収益でカバーすること)」と呼ぶ。
(p.30)
(1)直接的内部相互補助: Direct cross subsidies
(2)三者間市場: The three-party market
(3)フリーミアム: Freemium
(4)非貨幣市場: Nonmonetary markets
(3)はキャッチーだけどイメージが付きにくい言葉だし、それ以外は訳書のセンスがお堅すぎて漢字だらけだったので、僕はこれを以下のように解釈した。自分用メモの意味も込めて、つらつらとまとめておく*1。
(1)宣伝/餌として「フリー」使うよ派
(2)要するに広告モデル。二面性あるよ派
(3)大半無料で一部が払う。割合の問題だよ派
(4)世の中の価値は金銭だけじゃねぇ!派
(1)は無料で何かをばらまいてその周りにある有料の何かを買わせるもので、マーケティング戦略の一種と言えるかも知れない。
(2)は要するにテレビやラジオの広告モデルだ。誰かが金を出して提供したものを、他の誰かが無料で受け取る構図。
(3)の"フリーミアム"とはフレッド・ウィルソンの造語らしい。まるで新しい概念のように思える響きだが、なんのことはない。mixiやニコ動やはてなの有料会員、アレと同じだ。無料で大量に人をかき集め、その一部がお金を払ってくれることを期待する。母数が多ければ多いほど、入ってくるお金が増えることが期待される*2。
Vectorや窓の杜でソフトをダウンロードしていた90年代からあるのではないかな。例として劇場に"子供無料日"を設定することにより増える客層から大人分の料金を獲得する、というモデルも紹介されている。(このように、ソフトウェア/Webの範囲を超えて再定義した点がうまいと思う。)
無料ではないにしろ映画のレディースデイも似たようなもので、値引きすることによって、女性客が彼氏か友達を連れてくることを期待している(そして男達はなにか納得できないものを感じながら正規料金で興味のない映画を見る)。
(4)はそれについて書いたとしたら本が一冊出来るテーマであり、おもしろい。しかしフリーのテーマである「無料からいかにしてお金を稼ぐか」からは外れているため、サブ的な扱いだ。
(2)と(3)の違いは、無料客が有料客へ転換する構造をそもそも含んでいるか否かであり、
(1)と(4)の違いは、金銭のやりとりが発生することを期待しているか否かである。
これまたバズワードくさいのだが、"FREE"という概念は経済のリアルな形を示す切り口として秀逸、ではある。だが行動ベースで考えた時、「フリービジネスは...」とか「無料の時代に成功するには...」などという議論が見受けられるが、これは違う、と考えている。
「無料」は切り口に過ぎない。アクションを起こすとき着目すべきは「無料」ではなく、人々の心理だ。
この本が面白いのは、行動経済学が絡んでくる所だ。「無料」は特異点であり、異端であり、トリックスターでもある。人間心理に、巧妙に働きかける。そこが面白い。
行動心理学と言えば有名な本あったなー、と思って探して、まだ読んでなかったので↓を買った。お金はないがAmazonギフト券は山とあるのだ。
予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 | |
熊谷 淳子 おすすめ平均 行動経済学の入門書 価値観の由来 苦労がしのばれる実験の数々に支えられた行動経済学論 この本の要約 「ヤバい経済学」と読み比べてみた Amazonで詳しく見る by G-Tools |
コンビニ受け取りにしたから仕事で遅くなってもOKなんだぜ。便利な時代だ。
情報の奔流と波乗りのメソッド
4ヶ月前、2月くらいに書いた文章を載せる。この頃は修論に明け暮れて(?)情報収集が疎かになり、その閉じた感覚がさらに気分を沈ませ内向きになる...というエンドレスループが起こっていた。
自分の周囲にしか目がいかなくなっている。こんな時、全部壊したくなるのが悪い癖だ。
現状の幸福、メリット、繋がりを全て断ち切って、まったく別の物事を始めたい、と感じる。停滞したら終わりだ、という危機感がある。かといって、「壊すこと」は停滞を裁ち切るものの、それそのものは進歩ではない、ような気もする。
情報感度が落ちまくっている。Google Readerはもはや読まなくなった。テレビは元々家にない。
Twitterに籠もっている。最近はTwitterもインフラになり、珍しくもなくなった。僕はコミュニティに価値を感じている。蓄積したネットワークに価値がある、と思っている。しかし良い面には悪い面が同席している。価値ある/心地よいネットワークが構築されているということは、裏を返せば世界が閉じてきた、ということになる。そこだけで完結している、面白くない世界だ。
Blip.fm, last.fm, foursquare, friendfeed, Brightkite, flickr, facebook, radiko....こんなのは自然にやらないと意味がない、というのが僕の主義なんだけど、どうも新しいものに飛びつく以前の勢いが失われてきた様に感じる。
はてなブロガーHashは死んだんだよ。
ジャマイカ、イタリア。世界は広い*3。戻ってきて、どういう視点で物事を見るようになるのだろうか。その先には就職が待っている。さてさて。
最近は流石に危機感を感じて日経新聞Web版を契約してみたり(案外使い勝手が良い。特に携帯版)。でもGoogle Readerは再構成中だ。情報が多すぎて破綻して、今は遺跡状態になっている。これを再構築するのは、なかなか興味深い作業だ。
現在ぼくは仕事で「情報に翻弄されている(上司談)」ようなので、何かここにヒントがないかと思って、指に考えさせてみるとする。思考筆記、というやつだ。昔20分間筆記をやって案外面白かったのを思い出す。
あたらしいものと言えば、iPad。「新しいもの」がいろんな文脈で登場するこの社会。みんな、新しくありたい、と思っているのだろう。それはそれで面白い価値観かもしれない。
iPad、触ってみた。サクサク度合いが半端ない。Sでない3GのiPhoneとは比べものにならない。予想以上に大画面で快適だ。
しかしやはり僕は使い所がイメージ付かない。なくてはならないもの、というレベルまでは浸透しない様な気がするのだ。あの微妙に持ち運びしにくいサイズ。少なくとも僕にはイメージできない。
電子書籍の波を狙うには、少々早すぎる。
いや、早すぎるくらいでちょうど良いのか。
電子書籍と言えば、書籍のスキャンサービスが日本でも出て来た。
- BOOKSCAN(ブックスキャン) 本・蔵書電子書籍化サービス - 大和印刷
- 元祖?リアルタイム進行状況が見れたりと面白い。
- スキャンサービス(廃棄処理まで)のスキャポン| 本の電子書籍化、紙文書(書類)のスキャニング
- なんとなくうさんくさい(クリップアートっぽい絵とか、明らかに競争を挑んでる価格設定とか)
ほぼ無料と言っていいほどの低価格。どうやって稼いでるのかねぇ。
と思ったら、中身は純粋な肉体労働・単純作業・人海戦術。
あえて泥臭い部分を請け負うことで、新しいものを支える。僕には彼らが「サヤ取り」をしているように思える。先端を切り取って、マジョリティに投げ渡す。
普通の人はやらない「サヤ取り」を、あえて、率先してやる人は、新たな世界を拓く可能性にカケている。地図に画期的な意味を与えたGoogle StreetViewの裏には、地道なGoogle Carによる絨毯爆撃的撮影作業があったように。
スキャンに戻ると、僕自身は「スキャンは自分で行うが、裁断機は所有していない」半自炊派*4だ。大学生&院生時代に溜まった教科書類は、研究棟に置いてあった裁断機を利用してザクザク分解し、自宅のscansnapでPDF化してHDDに眠っている。まぁ、今のところ生物学やら有機化学の教科書を紐解く機会には出会っていない。
それにしてもTLで話題になっていたから思い出してパラパラ読んでみたけど、化学の新研究は神参考書ですね
化学I・IIの新研究―理系大学受験 | |
おすすめ平均 おすすめの本 これはおすすめです 受験化学の辞書としては最高の一冊 今までの参考書の中でかなりいいかも。 素晴らしい本だが注意! Amazonで詳しく見る by G-Tools |
そして脈絡もなく終わる記事。
ベンチャー新卒入社2ヶ月で僕が学んだ"仕事の進め方"
生物工学の大学院を修了し、金融系Web屋として働き始めて2ヶ月が経過した。
社長曰く「こいつは社会に適合できるのか心配だった」とのことであるが、まぁマイペースに日々の仕事を楽しんでいる。だっておもろいぜ。新しく知ることばっかやしな。
以前の記事でも書いたように、僕は「人間は誰であろうとも自前の意識/認識/記憶の枠から出ることは不可能」という(僕にとっての)真実*1を、言葉を変えながら繰り返している。
というわけで今日は、新入社員2ヶ月の時点でなんとなく見えてきた僕なりの仕事の"法則性"というか"核心"...の、鍵となるのではないかと思うものを書いてみる。
なるべく広く見渡そうとしても、限界がある。なにしろまだ2ヶ月で、そして僕はなかなかの阿呆である。そこで、ブログに書き留めていろんな人に見てもらう、というのが僕の取り得る方法の一つであると考え、不完全を自覚したままここに晒す。
まぁ、要するにいつもの戯言でありますゆえ、ごゆるりと。
こんてんつ
- 与えられる前提が不完全
- ブラックボックスの解体
- とりあえずそのゴミクズを晒せ
与えられる前提が不完全
生き延びるためには、与えられる情報を信用してはならない。それが入社して僕の学んだ核心の一つである(←やさぐれてるわけではない)
仕事が発生する。仕事を任される。
個別の作業をスタートする時、目的を達成するために必要な情報やリソースが最初から与えられると思ったら大間違いで、前提条件はいつでも不完全である。
これはひょっとしたらウチのようなドの付くベンチャーに特有なのかも知れない*2が、「さあやってね」と言われた時点では材料はスカスカだ。
ここが、あらかじめ答えの与えられている試験やらゲームと違うところであって、とにかく「その通り」にやってるだけでは破滅へ一直線に進む。
「さっき言われた作業やってたんですけど、ここだけうまくいかなくて」「あ、ごめん。ここは普通とは違う仕様なんだよ」
「これ必要だと思うんですけど...」「あれ、渡してなかったっけ」
個人的にはこれが面白い、と思うんだけどな。考えない単純作業よりも、考えるプロセスが入った方がいい。面白いと思うんだけど、哀しいかな、まだ"不完全な前提条件"の元で効率よく仕事を回すコツが掴めていない。
ブラックボックスの解体
さて。先の「前提条件は不完全」であるという事実から必然的に導かれるのは、仕事の全体像を最初から見渡すことは(僕ら新人にとって)不可能である、という悲しい現実だ。
簡単だと思ったPJが全く簡単じゃない。すぐできると思った作業に丸一日かかる。こーゆー時、めっちゃ悔しい。
僕はこの原因を「作業内容が具体的に見えていないまま作業時間を見積もってしまう」ことにあると考えており、この問題を解決する唯一の手段は、単純に、具体的になっていない作業を具体的にすることだ。
格好良く言うと"WBS"...Work Breakdown Structureとでもなるのだろうが、僕は、「中身が見えない仕事をぶちまける→どえらいものがたくさん出てくる」という個人的な経験/イメージから「ブラックボックスの解体」と呼んでいる。
ブラックボックスを渡されたとき、表面的にはとても簡単に見える事がある。そこで「簡単そうだから後でやろう」と置いておくと、いざ取りかかろうとして箱を空けたときにタスクがあふれ出し、期限内にとても終わらないことがその段階になって判明し、結果として破滅する。
だからブラックボックスが手元にあるなら、とっとと解体してしまうことが一番。具体的に落とし込んでから、対応を決めるのが安全だ。
ところが、どうしても、何を聞いても、いくら考えても、ブラックボックスをうまく解体できない仕事があったりして困っている。解体に時間がかかって、作業が進まない。アウトプットだけ見たとき、何も仕事していないように見えてしまう。
解体の方法がよく分かっていないのは「経験というストックが不足している」からなのか「考え方がそもそも違っている」からなのか。
「なんでそんな所まで見渡せるんですか」という疑問には、上司からは「純粋に経験だよ」という答えが返ってくる。確かにその通りなのかも知れない。しかし、もし仮に純粋な経験問題だとしても、ただ年を重ねるだけで*3同じものごとが見えるようになるのだろうか?そうではない、と僕は思う。同じ年数だけ社会人として働いた人間が、全く同じ能力を持っているかどうか、少し見渡して考えてみるとすぐ分かることだ。
とりあえずそのゴミクズを晒せ
「純粋な経験量の問題」である問題に対して、先人の知恵を借りればすぐ分かるのに自分で頑張りすぎて結局効率が悪い、という罠がある。副社長曰く「理系にありがちな完璧主義」であり、僕がよくハマる部分でもある。
先日、同僚であるところのid:rindai87と電話してて言われたこと。
Hashは簡単なことを知らないがために詰まってる、というパターンが多い。
一つヒントもらえば解決するとこかもしれん。
俺らはどうしても引き出し少ないんやから、ポッと誰かに聞いてみるといい。そもそも進む方向がわかってないとどうしようもない。
進む方向的なモノは、やはり先輩に聞かないとわからない。
僕は車輪の再発明が大好きなようだし、他人の考えた結論を分解してもう一回再構築しないと使えない人間なのかもしれないが、実際そんなことしてると仕事の文脈ではふつーに無能。
自分でゼロから考える、という性格の価値はそれなりにあると思っているのだが、上司の言葉を借りれば「仕事には制限時間がある」ため、自分なりにやってみてあるポイントで切り上げて先輩や上司に質問、という流れが一番効率が良い。
それほどまでコストをかけられない/価値を見出していない問題や、思考を深めるだけの材料を未だ持っていない問題に直面している時は、"パッケージ品"を利用すると良い。
思考を二級品に貶める局所最適解の害悪 - ミームの死骸を待ちながら
※ここでのパッケージ品=先人の知恵/経験/蓄積。
言い換えると「さっさと(議論の叩き台になる)β版提出しろや」ということになり、僕もこの法則性自体は自覚しているんだけど、"切り上げ所"を判断するのがどうも苦手らしい。
その要因として、僕がβ版として"ゴミクズ"しか準備できないことがある。加えて、僕は妙に(自分に対する)期待値が高いからか、ゴミクズを先輩/上司に「これ作ってみたんですけど...」と提出することに抵抗感がある。
そしてこの間、β版としてゴミクズを提出することができないまま本番に挑んで爆死するという失敗をした。本末転倒である。
その日、僕は「いざその場に臨むと自分がゴミしか準備してない/ポイントを外していることがよくわかる」のに、「じゃあそれを防ぐためにどう準備すればいいのか」がわかってない、ということに気が付いて愕然とした。なにもわかっていない。
どうも自分の中で設定している「β版」のハードルを、想定よりも大幅に下げる必要がありそうである。それほど僕は無能なのである。悲しいことに。
入社初日に「学生時代に覚えたことは忘れろ。仕事じゃ使えねえから」と言った上司の言葉が、今になってじわじわ来る。
そんなこんなでひとしきり落ち込んだ後「先人の知恵を取り込む割合を今より増やす」方針で努力し直す決断したのは、まだ今週のことだ。
発展途上も良いところ。途上はいいけど、どこかに繋がってんのかね僕は。
いじょ。
最初に「僕なりの仕事の"法則性"というか"核心"」を書くと言ったけども、いざ書いてみると新人ならではの不安が結構漏れ出ている。
まぁ、先が見えずに不安になることもあるが、僕に必要なのは、地面を確かに踏みしめて進んでいることを確認したら、後はとにかく日々を無駄にしないことだ。
いま見ているものをよく観察し、いま経験していることをよく記憶し、活かし、なんとしても次に繋げることだ。
発展途上の意志にとって迷いや不安が不可分なものだとするならば、僕に出来る最良のものごとはそういうことになる。
知恵の最後の結論はこういうことになる。およそ自由も生活も、日毎にこれを闘い取ってこそ、それを教授するに値する人間と言えるのだ、と。
ゲーテ "ファウスト"
おまけ
世界一わかりやすいプロジェクト・マネジメント 【第2版】 | |
中嶋 秀隆 総合法令出版 2010-04-23 売り上げランキング : 30488 おすすめ平均 非常にわかりやすく解説しています Amazonで詳しく見る by G-Tools |
↑PMやるにあたり、この本買った。結構好き。問題は実践か。。。
売れるもマーケ 当たるもマーケ―マーケティング22の法則 | |
Al Ries おすすめ平均 マーケティングに法則はあるというアル・ライズの主張 マーケティングに対する思い込みを修正するのに依然として有効な役割を果たす 理想と現実を併せ持つ法則 名著ダイジェスト 勇気を持ってポイントに集中する Amazonで詳しく見る by G-Tools |
↑上司オススメ本。内容メモはこちら→売れるもマーケ当たるもマーケ マーケティング22の法則 - 脳の中のミ−ム